交響曲第8番ハ短調

チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル(94)
ヴァント&ベルリン・フィル(96)
ヴァント&ベルリン放送響(西)
ハイティンク&コンセルトヘボウ管(05)
ヴァント&北ドイツ放送響(93)
ヤルヴィ&ロンドン・フィル
ヴァント&ベルリン・フィル(01)
ハイティンク&コンセルトヘボウ管(81)
ギーレン&南西ドイツ放送響
スウィトナー&シュターツカペレ・ベルリン(ライヴ)
ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管
マゼール&バイエルン放送響
ハイティンク&ウィーン・フィル
シノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデン
ヴァント&ミュンヘン・フィル
チェリビダッケ&シュトゥットガルト放送響
ジュリーニ&ウィーン・フィル
スウィトナー&シュターツカペレ・ベルリン(スタジオ)→First choice
クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル(63/01/24)
クーベリック&バイエルン放送響(77)
フェドセーエフ&モスクワ放送チャイコフスキー響
ヴァント&バイエルン放送響
ロジェストヴェンスキー&ソヴィエト国立文化省響(84年ライヴ)
ヨッフム&コンセルトヘボウ管
ティントナー&アイルランド国立響
セル&クリーヴランド管(スタジオ)
ジュリーニ&フィルハーモニア管
スヴェトラーノフ&ソヴィエト国立響
ヴァント&北ドイツ放送響(00)
セル&ウィーン・フィル
ロジェストヴェンスキー&ソヴィエト国立文化省響(85年スタジオ)
カラヤン&ベルリン・フィル(57)
チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル(85)
ケーゲル&ライプツィヒ放送響(75/03/13-19)
クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル(63/01 スタジオ)
グッドール&BBC響
アルブレヒト&チェコ・フィル
フランツ&フィルハーモニー・デア・ナツィオネン
ケンペ&チューリッヒ・トーンハレ管
ボッシュ指揮アーヘン響
マゼール&ベルリン・フィル
シャイー&コンセルトヘボウ管
ヴァント&北ドイツ放送響(DVD)
マタチッチ&プラハ放送響
ホーレンシュタイン&ロンドン響
ベーム&バイエルン放送響
クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管
パイタ&フィルハーモニック響
ヨッフム&バンベルク響
カラヤン&ベルリン・フィル(75)
ヴァント&ケルン放送響
チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル(93)
ジークハルト&リンツ・ブルックナー管
ベーム&ケルン放送響
ショルティ&シカゴ響
バルビローリ&ハレ管
ウェルザー=メスト&マーラー・ユーゲント管
ベーム&チューリッヒ・トーンハレ管
ケーゲル&ライプツィヒ放送響(75/03/11)
カイルベルト&ケルン放送響
レーグナー&ベルリン放送響(東)
ヴァント&北ドイツ放送響(87)
ハイティンク&コンセルトヘボウ管(69)
カラヤン&ウィーン・フィル
ショルティ&ウィーン・フィル
ヴァント&ケルン・ギュルツェニヒ管
朝比奈&大阪フィル(94)
ドホナーニ&クリーヴランド管
朝比奈&NHK響
コンヴィチュニー&ベルリン放送響
ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル
クレンペラー&フィルハーモニア管
ロペス=コボス&シンシナティ響
アーベントロート&ライプツィヒ放送響
テンシュテット&ロンドン・フィル
アーノンクール&ベルリン・フィル
ワルター&ニューヨーク・フィル
クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル
フルトヴェングラー&ウィーン・フィル(54)
ブーレーズ&ウィーン・フィル
セル&クリーヴランド管(ライヴ)
朝比奈&大阪フィル(83)
チバス&ベネスエラ響
スクロヴァチェフスキ&ザールブリュッケン放送響
シューリヒト&北ドイツ放送響
クーベリック&バイエルン放送響(63)
シューリヒト&シュトゥットガルト放送響
カラヤン&シュターツカペレ・プロイセン(第2〜4楽章のみ)
フルトヴェングラー&ウィーン・フィル(44)
マタチッチ&NHK響(75)
ベーム&ウィーン・フィル
フルトヴェングラー&ベルリン・フィル(49/03/15)
クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィル
バレンボイム&ベルリン・フィル
シューリヒト&ウィーン・フィル(スタジオ)
クレンペラー&ケルン放送響
マタチッチ&NHK響(84)
インバル&フランクフルト放送響
クナッパーツブッシュ&バイエルン国立管
ヨッフム&ベルリン・フィル
フルトヴェングラー&ベルリン・フィル(49/03/14)
シューリヒト&ウィーン・フィル(ライヴ)
ヨッフム&シュターツカペレ・ドレスデン
ホルヴァート&ザグレブ・フィル
メータ&イスラエル・フィル

(番外)
ロッグ(オルガン)

(論外)
ロスバウト&南西ドイツ放送響

> 8番は「クラシックを聴け」で紹介されていたチェリ&MPOの正規盤をわざ
> わざ注文して入手しました。確かに立派な演奏だとは思いましたが、さすが
> に遅すぎて少々退屈だとも感じられ、許氏があそこまで絶賛した理由が解り
> ませんでした。しかしその後、ネット上では「リスボン・ライヴ」と呼ばれ
> る海賊盤の評価の方がずっと高いことを知り、ヤフオクで3度目に落札し、
> ようやく入手できました。こちらは私の期待をはるかに上回る素晴らしい演
> 奏だと思いました。これでチェリの真の凄さを知った私は、その後もヤフオ
> クで3457番を入手することとなり、来月購入予定の69番(EMI)が加
> われば3番以降が一揃いすることになります。ヴァントは93年のNDR盤
> (BMG)と96年のBPO盤(SARDANA)が素晴らしいですが、僅かに一歩
> を譲る気がします。秋に出るらしいヴァント&BPOの正規盤はチェリを超え
> られるのでしょうか?他にはカラヤンの3種の正規盤が、それぞれハッキリ
> した個性があって見事ですし、ジュリーニ(DG)やセル(CBS)もいい。ハ
> イティンクはACOもVPO(PHILLIPS)もいい。他に・・・・と挙げていっ
> たらキリがありません。やはり8番にはさまざまな解釈を受け入れるだけの
> 一種の包容力があるのかもしれません。

 一時期ヴァント2001年BPOを究極の演奏だと思ったが、「リスボン・ライヴ」を返り咲き1位とする。最初に購入したのがハイティンク&ACO盤ということもあって2枚組の演奏(トータル80分以上)が私にとっての標準テンポになっており、上位に来ている割合も高いかもしれない。ハース版についても同様である。ファースト・チョイスはヴァント以外から選ぼうと思った。他の曲もそうだが、一聴ではなかなかその凄さが解らないと思ったからである。またCD1枚に収まるようなテンポに慣れると、2枚組は「かったるい」と感じてしまう恐れがある(特にチェリビダッケ)ので2枚組から選ぶことにした。ところが、上位にランクした中では意外なことに安価で入手可能なものが少ない。ジュリーニ&VPO盤(2004年1月再発、2000円)はこれらの条件は満たしているが、ノヴァーク版なので避けた。この曲だけは何としても最初にハース版で聴いてほしいと思ったからである。(その理由は下の「こだわり」に書いた。)ドイツ・シャルプラッテンの25周年企画として出ていたスウィトナーの限定盤(約2000円)はまだ手に入るかなあ? だったらそれ、ダメならカラヤン75年盤(同じく2000円で限定)、それもダメだったらしょうがない。ヴァント&NDRの93年盤を買ってください。(ヴァント&BPOの2001年正規輸入盤はなぜか非常に安価なので、「国内盤」という縛りさえなかったらファースト・チョイスでも良かった。ちなみに国内盤の盛りだくさんの解説を読むのはビギナーにとってちとシンドイかもしれない。)
 ヴァント2001年盤を買った直後は、「リスボン・ライヴ」とどちらを1位にしようか迷ったのだが、ハース版使用ということで結局前者を選んだ。「あまりに完璧」という理由にもならない理由(このディスクのページに詳しく書く)でヴァント盤に不満を覚えるようになり、代わって「リスボン・ライヴ」が返り咲くことになったのだが、これは私にとって苦渋の選択であった。以下に「この曲はなぜハース版でなければならないか」について書く。

こだわり
 私はハイティンク(81年盤)→ヴァント(93年盤)→カラヤン(75年盤)の順に購入した。偶然にも全てハース盤だったので、最初のノヴァーク版となったチェリビダッケ(93年盤)を聴いたときには「なんかヘンだな?」「何かが足りないな」と思った。理由はすぐに判った。この曲の中で私が特に好きな第3楽章のある部分がカットされていたのである。その箇所について、金子建志はスクロヴァチェフスキの全集ブックレットの中でこう解説している。

 209小節からの10小節は削除し、谷間による弛緩を避けて
 クライマックスを直結させ、ここではノヴァーク版や
 改訂版の見解に従っている。

これには納得できない。私に言わせれば「弛緩するような演奏をする方が悪い」である。これに対して浅岡弘和は、自身のサイト中の「交響曲第八番にみるブルックナーの本質」というページでこう書いていた。私はこちらに同意する。

 そしてハースが第1稿から復元した十小節だが、これがないと
 あの盛り上がり方は平凡すぎて、面白くない。
 近づくためには、いったん離れる必要があるのだ。

 そう。あれがないと暗から明への転換(転調)があまりに唐突すぎる。どん底でもがき苦しむ人間にいきなり光が射し込んできて、「あなたは救われました」という神の声が天上から聞こえてくるといった感じ。「出来レース」とでも言いたくなるような安っぽい救済ドラマ。あるいは、「水戸黄門」で格さんが面倒だからと立ち回りを省略して懐から印籠を出すような、と喩えたら俗っぽすぎるだろうか?
 もう一つ思い出したのは、本多顕彰(ほんだあきら)という文芸評論家の「歎異抄入門」(光文社カッパブックス)に出ていた話である。彼は他人がどのようにして信仰に入ったのかが知りたくて、あらゆる宗教書(信仰告白)を読みまくった。しかし、信仰に入った瞬間を記したものに出会うことはできなかった。やっとのことでトルストイの「私はどうして信仰に入ったか」を手に入れる。兄の死によってトルストイは瞑想的、宗教的になり四福音書を熱心に読むようになる。その後から抜き出してみる。

 そこまで読んで、私は緊張した。いよいよトルストイが信仰に
 はいる経路を聞くことができる! だが、トルストイは何と書いているか ─
  「そして、ある日、私は突如として信仰にはいった。」
 私は呆然とした。そしてつぎの瞬間に、その本をタタミの上に叩きつけた。

私はあのカットを聞く度にCDのプラケースをタタミの上に叩きつけたくなる(ウソ)。
 ノヴァーク版や改訂版の第4楽章にも何ヶ所か腑に落ちないカットがあるものの、 私にとって致命的とも言える3楽章のカットのような腹立たしさは感じない。もしかしたら、クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管盤(EMI)のあの悪名高き大カットも我慢できてしまうかもしれない。(→2006年4月追記:やっぱりダメだった。)ところが、ある非常に優れたクラシック音楽総合サイトのオーナーは金子と同じ意見を述べている。一般人にもあの十小節を冗長と見なしている人がいるのは私にとって驚きであった。たぶん最初にどの版を聴くかが決定的な要因なのであろう。

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