交響曲第8番ハ短調
ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団
75/03/13〜19
PILZ 44 2063-2

 いやーまったく激しい演奏だ。激しくて厳しい。ODEの選集の特徴そのままの演奏である。スタジオであるかライヴであるかは関係ない。というより、このスタジオ録音の方が激しいと感じる部分が多いように思う。演奏会で採り上げた曲目が日を置かずに録音された例では、他にベーム&VPOによる7番がある。ベームはスタジオ録音では若干おとなしいというか、慎重に過ぎる傾向があり、それが災いして興が削がれるところなきにしもあらずだったが、このケーゲルの8番には全く当てはまらない。旧共産圏ではレコーディングが国家の威信を懸けた重大行事として位置づけられており、各地から優秀な奏者が集められたということだが、それゆえに気合いの入り方も尋常ではなかったのだろう。上の録音年月日は7日間にも及んでいる。全ての日が充てられたのかは定かではないが、今では考えられないほど長い時間をかけて行われたのは確かである。ミスしても録り直せばいい、時間はいくらでもあるんだから、とばかりに指揮者も奏者も大胆な演奏を繰り広げているのが目に浮かぶようである。(もしヴァントが東独で活動していたら、どれほど完成度の高い録音が生まれていたことだろう?)
 トータルタイム、トラックタイムとも11日のライヴ盤と大差なく、指揮者の解釈にも大きな違いはない。ただし第1楽章は少し遅い。やはり大きく異なるのは激しさである。第1楽章1分06秒のティンパニ乱打の時点で、全く違う印象を受けてしまった。金管の鳴りっぷりも当盤の方が上回っている感じである。ただし音質の違いも大きいようだ。録音はどちらもDDR(東独)の放送局が行ったとあるが、スタジオ盤の方が爆演に聞こえるのはマイクが近いせいだろうか? (さすがにホールも同じだろうが、レーベルの違いによるミキシングの影響は無視できないかもしれない。)と言ったものの、実際にも奏者達が積極的姿勢で臨んでいることは十分感じ取れる。同楽章8分19秒から、ティンパニの「ゴトンゴトン」という乾いた音を伴った盛り上がりは無愛想だが怖い。8分34秒からは微動だにせぬテンポによる巨人の歩み、そしてトドメというべきは9分23秒からの音による混沌の表現。 楽章終盤(13分54秒)のカタストロフも負けずに凄い。ヨッフム&SKD盤とは音色は違うが、ブラスの悲痛な叫びは胸を抉られるようである。「これはどこかで聞いたことがある」としばし考えるうち、ヴァント&NDR2000年盤に近いと思い当たった。正規盤のはずなのに、海賊盤と似ていると思わせるような少々バランスの悪い録音であるが、フォルティッシモでも音が割れる寸前で辛うじて踏みとどまっているのが幸いである。その際どさのお陰でライブ盤を上回る臨場感を獲得しているのだから。
 以後の楽章も激しさで上回るが、基本的にはライブ盤と同じ解釈&スタイルである。終楽章冒頭(0分34秒)のティンパニの快刀乱麻は何度聴いても胸がすく思いであるが、エンディングではライブ盤と同じくティンパニを改変しているものの、他の楽器に埋もれてハッキリ聞き取れないのがちょっとガッカリである。ライブ盤を上回る「これでもか」を期待していたのに。
 なお、89年来日公演時のインタビューにて、ケーゲルは日本で、しかも日本のオーケストラと8番を演奏したいという意向を表明していたらしいが(Altus盤の解説による)、3番86年盤から彼のブルックナー演奏における充実ぶりが十分窺えるだけに、それが実現されなかったのは痛恨の極みである。

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