ヘルベルト・ケーゲル

交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
 ライプツィヒ放送交響楽団
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
 ライプツィヒ放送交響楽団(60/04/03)
 ライプツィヒ放送交響楽団(60/11/11)
 ライプツィヒ放送交響楽団(71)

交響曲第5番変ロ長調
 ライプツィヒ放送交響楽団

交響曲第6番イ長調
 ライプツィヒ放送交響楽団

交響曲第7番ホ長調
 ライプツィヒ放送交響楽団(61)
 ライプツィヒ放送交響楽団(71)

交響曲第8番ハ短調
 ライプツィヒ放送交響楽団(75/03/11)
 ライプツィヒ放送交響楽団(75/03/13-19)

交響曲第9番ニ短調
 ライプツィヒ放送交響楽団(69)
 ライプツィヒ放送交響楽団(75)

 先月(2004年12月)取り組んできたフルトヴェングラーとクナッパーツブッシュのページ作成が予想以上に早く完了し、年明け早々にアップできたため、当初の予定を繰り上げて、旧東ドイツのオーケストラを振って見事なブルックナー録音を残してくれた指揮者三人衆(ケーゲル、スウィトナー、レーグナー)のディスク評を仕上げることにした。その代わり、来月はそもそも日数が少ないこと、職場の諸行事がやたらと多いこと、そして22日から1ヶ月海外出張することが決まったため、更新はショルティだけにさせていただく。どうかご容赦を。
 さて、私がクラシックを聴き始めた最初期に買ったレーグナー指揮によるマーラー36番のブックレットの終わりには、ドイツ・シャルプラッテンのCD一覧が載っており、その中にスウィトナー、ザンデルリンク、ブロムシュテットなどに混じってケーゲルの名前がある。その後何枚か購入したシャルプラッテンやレーザーライトの1000円廉価盤シリーズでも見かけた。だから、「ケーゲル」という名前の指揮者が東欧にいるということだけは知っていたが、全くといっていいほど関心を持たなかった。それは私が悪いばかりでなく、当時の音楽マスコミの扱いが微々だったことにもよる。農学部図書館で毎月読んでいた「音楽の友」でも彼の記事を目にした記憶はない。
 時代は過ぎ、私が「ディープ・クラシック」の世界に足を踏み入れるきっかけとなった洋泉社のクラシック本ではケーゲルは必ずといっていいほど取り上げるようになっていた。(彼が亡くなっていたことは全く知らなかった。)が、「猟奇的」という形容詞に何となく抵抗を覚えたこともあり、ディスクを聴いてみようという気にはなれなかった。ブルックナーの交響曲CDの蒐集を始めた当初も、ケーゲルのディスクは国内盤としての発売はなく、輸入盤まで選択肢を広げようとは思わなかった。(一部の曲は出ていたと記憶しているが安くはなかった。)ところが、既に通販サイトの常連客となっていた3年前(2001年)の夏、ケーゲル&ライプツィヒ放送響によるブルックナー交響曲選集(3番以降)激安ボックス(ODE CLASSICS、ODCL-1012/22)の発売予告メールがhmv.co.jpから送られてきたので、その日に予約を入れた。発売日を過ぎても入荷せず、「もしや発売中止?」とヤキモキしたが少し遅れて届いた。解説書の類は一切付いていないものの、479番は異演奏が2種収録された10枚組で5000円代というお値打ち品であり、その後しばらくしてサイトの検索結果から姿を消したので、限定生産の品を実にいいタイミングで入手できたということになる。(2004年10月現在、towerrecords.co.jpでは検索結果に出てくるが、私が購入した価格の2倍以上もする。本当にラッキーだった。)なお、このボックスではODCL-1013が抜けているのがちょっと気になる。まさか縁起の悪い数字なので欠番にしたわけでもないだろう。いったい何が収録されているのだろうか?(検索しても判らない、)
 ところで、「クラシックの聴き方が変わる本」の「怪人指揮者列伝」という項で、片山杜秀はケーゲルを「尋常ではない冷血指揮者」と評している。もう少し引くと「世界の諸国でも特に殺伐とした警察国家の東ドイツで長く活躍した、血も涙もない指揮者」ということである。また、あるクラシック総合サイトでもケーゲルを「冷血系指揮者」の一人に加えていた。(ちなみに、そのサイトの管理者の好みは私と180度とまではいかないが135度は違う。)なにせピストル自殺という壮絶な最期を遂げただけあって、この指揮者を語る際には「冷血」「非情」「酷薄」に加えて「狂気」といったキーワードが使われることが多かった。私が先述したボックスの入荷を待っていたある日、私は首都圏在住のネット知人Mさんの掲示板に、「『冷血指揮者』と呼ばれているケーゲルがどのようなブルックナー演奏を聴かせてくれるのかとても楽しみ」というような投稿を書き込んだことがある。それに対するMさんのレスの詳細はもはや憶えていないが、たしか「ケーゲルは冷血というより激情型の指揮者ではないか」という内容だった。実際に聴いてみた。すると、確かに激しいところはものすごく激しい。燃え上がっている指揮者の姿が目に浮かんでくる。「冷血」「非情」などで片づけてしまうのはちょっと安易すぎるのではないかと思った。(後述するように、ケーゲルの持つ2つの側面の片方しか見ていない?)
 私の手元にあるケーゲルのディスクのいくつかには指揮者の写真が載っている。それらが2つのタイプにハッキリと分かれることに気が付いた。1つは指揮棒を持った写真。私は彼のブラームス1番のディスクを2種、ODE CLASSICSのモノラル盤とWEITBLICKのステレオ盤を持っているが、前者の解説書裏と後者のケース裏には同じ写真が使われている。ケーゲルの指揮姿を正面から撮ったモノクロ写真で、これは滅茶苦茶にコワイ。指揮者の衣服と背景がともに黒なので、ケーゲルが背景と完全に溶け合ってしまっていて不気味でもある。CAPRICCIOのベートーヴェン交響曲全集その他の8枚組ボックスの写真は、カラーで少しアングルも違うが、印象は基本的に同じである。背景と指揮者が識別可能な分だけ不気味さは減少しているが、指揮者の表情の怖さでは上回っている。あんな風に睨みをきかされたら誰だって震え上がってしまうことだろう。(今回取り上げるブルックナー選集の箱の写真は背景にオーケストラが写っているし、指揮者が横を向いているためあまり怖くない。)いずれにしても、壮年期に撮られたケーゲルの写真を見ると、「冷血」か「激情」かは判らないが、とにかく厳格でものすごく恐い指揮者であるということは想像できる。これに対して、上記ブラ1ステレオ盤のブックレット表紙に使われた指揮者の写真は恐くない。これがカラーであるとか眼鏡をかけているとかは関係なく、あの怖さはどこからも感じられないのである。予備知識なしに見せられたら全くの別人28号と思ってしまうことだろう。(WEITBLICKのブルックナー3番86年盤ではケース裏に例のコワーイ写真、ブックレット表裏表紙にカラーの眼鏡写真が使われている。カラーの方はやはり全然恐くない。)今年(2004年)購入した89年来日公演のライヴ盤(ALTUS)のうち、「田園」他を収録した方のブックレット表紙にも同じ写真が使われており、その裏表紙に「写真提供:サントリーホール」とあるから、それが指揮者の死の前年に撮られたものであることは間違いない。壮年期から69歳までの間にケーゲルに何かあったのか? それとも、この全く違う2種類の写真はケーゲルがそれこそ「冷血」と「激情」という矛盾を内部に抱え込んだ人間であることを物語っているのだろうか?
 と、ここまで書いてふと「冷血」と「激情」は対立する概念だろうか、という疑念が湧いてきた。ドライアイスでやけど(←正しくはもちろん凍傷)をするし、「熱い氷柱」という言葉もどこかで目にしたことがある。(たしか、Kさんから聞いたある歌手のキャッチフレーズだったと思う。)そういう意味でなら両者を矛盾なく併せ持つことは可能なのかもしれない。私が考えるに「冷血指揮者の熱演」というのはおそらくアリである。その辺を今回のサイト作成で文字にできればよいと思っているが、果たしてできるだろうか?(自信まったくなし。)

追記
 物故指揮者ではあるが根強い人気を保っており、某巨大掲示板では投稿数が1000に達する前に過去ログ倉庫落ちに何度もなってはいるが、いつの間にか新たなスレッドが立てられ、その度に「党員」が「終結」(←決して誤変換ではない)しているようである。その人気に許光俊が果たした役割は計り知れないものがある。(昨年末に発売された「N響伝説のライヴ」シリーズの宣伝文には、「なお、解説は、ケーゲル十字軍ともいうべき執筆活動で知られる許光俊氏が担当しています。」とあった。)上で挙げた以外に私が他に持っているケーゲルのディスクは、ODEL CLASSICSによる15枚組ボックス、ビゼーの「アルルの女」「カルメン」組曲他を収録したBERLIN CLASSICS盤である。私も許が著書で繰り返し絶賛していたためにケーゲルに関心を抱くようになってはいたのだが、廃盤で入手困難なディスクをわざわざネットオークションで高額入札してまで、とは考えなかった。廉価盤として再発されたからこそ入手したのである。さて、それらを聴いての私の印象だが、「アルル」にしてもヴィヴァルディにしても、あるいはアルビノーニのアダージョにしても、確かに体に突き刺さりそうなほど尖っていて面白いけれども、是が非でも聴かなければならないほどの演奏とは思わなかった。ベートーヴェン全集は完成度は非常に高いものの、ヴァントのような「突き詰めた凄み」というものは感じられず、もちろんお祭り騒ぎにもなっていないので、コレクションに加えるにしては個性が弱いと思った。(何にせよ安いので買っても損はしないけれども。)私が圧倒的に素晴らしいと思ったのは他でもないブルックナーである。許がなぜこれを取り上げようとしないのかが解らない。(後に3番86年盤についてhmv.co.jpに書いているのを見つけたが、活字になっているものは知らない。)

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