交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団
78/06/06
ODE ODCL-1012(セット)

 トータル約53分(プレイングタイム53分24秒だが、トラック4に拍手を30秒ほど含む)。もともと短いノヴァーク3稿による演奏の中でもかなり短い部類に属する。テンシュテットの海賊盤CD-Rを入手するまで最短演奏だった。(マゼール&バイエルン放送響盤も速いらしい。もしレーグナーが録音を残していれば、きっと最短になっていただろう。)
 ということで、テンシュテット盤と当盤はともに快速タイプの演奏なのだが、かなり印象を異にする。前者は「爆発型」といっていいほど熱くて激しい演奏だが、当盤は目次ページに書いたような「酷薄」「非情」という言葉がピッタリである。激しい部分でもあくまで冷静(冷酷?)な指揮者の視線を感じてしまうのだ。それが甚だしいのは、本来なら一息付けるはずの第2楽章である。もっとも、4つの楽章を貫く統一感という点で、この演奏はピカイチである。
 快速テンポの演奏によくありがちだが、第1楽章のピーク(当盤では10分34秒)に早足のまま突入し、以後もテンポを落とさない。つまり私の嫌いなやり方(ヴァントNDR盤ページ参照)なのだが、スクロヴァやセルのように神経質でないため、クライマックスとしてのスケール感は確保できている。スケルツォもニコリともしない。警察国家の舞踏会で使われそうな厳しい演奏だ。トリオも息が詰まりそうである。ただし、それはリズムが厳格なためで完成度はかなり高い。
 終楽章が11分ちょっとで相当に速いが、他の楽章が速かったのでバランスは損なわれていない(その点で合格なのがテンシュテット盤、失格なのがヨッフム盤)。この楽章の冒頭1分は短調で、小さなピークを築くが、53秒で入ってくるブラスの合いの手が印象的だった。楽章終盤(9分31秒以降)は激しくもインテンポでグイグイ進む。コーダ直前(10分09〜21秒)の弦の上昇は怖かった。コーダは明るくニ長調で進むが、あまり嬉しくはなさそうに聞こえる。誤解されていた自分の交響曲のエンディングの真相を語る際に、ある作曲家が持ち出した「強制された歓喜」という言葉を思い出してしまった。最後でティンパニだけがロール打ちをほんの少しだけ続けているが、あれは何なのだろう?
 しつこいけれど、この演奏はテンポが速いだけに宇宙的な広がりという点ではもう一つだが、逆に凝縮感、密度の濃さでは文句なしだ。

以下は余談
 このボックス全体にいえる特徴だが、録音は優秀で、非常にシャープな(といっても痩せていない)音質である。(ここで今更のごとく気が付いたが、最初「非情」と変換してしまった。この指揮者のページ作成にあたっては十分気を付けなければいけない。)「鶏が先か卵が先か」かもしれないが、録音のせいで鋭い演奏に聞こえるということはあると思う。さすがに60年代前半録音の4番と7番(ODCL-1014&18)こそモノーラルのため(←ムラヴィンスキーもそうだが、この時期の東欧ではしゃーないか)音の広がり感がないけれども、音自体は悪くない。7番71年盤(ODCL-1019)を除いてライヴ録音ということだが、にもかかわらずこの高音質は驚きである。また、客席ノイズの少なさも特筆すべき点である。(ただし、ここでもモノラル盤2種だけは椅子のギシギシ音や咳が結構入っている。)聴衆のマナーがたいへん良く、アホによるフライング拍手やブラヴォーなど全くない。盛大な拍手も節度が保たれている。やはり警察国家の管理下ではそうならざるを得なかったのだろうか?
 ここで国は違うが、ソルジェニーツィンの「収容所群島」で読んだエピソードを思い出した。雪の重みで電線が切れただけで責任者が反逆罪として収容所で数年を過ごさなくてはならなかった、など信じられないような話で出来上がっている書物だが、たしか何かの党大会で著者が目にした光景を記したものだった。(人に譲ってしまったので正確には書けない。ご容赦を。)すべての予定が無事終了し、出席者全員による締めの拍手が始まったが、それがいつまで経っても終わらない。誰も止めようとしない。最初に止めた人物として密告されることを恐れ、手を休めることができないのだ。ようやく数十分が過ぎて自然消滅的に終わったということだ。あるいは、ケーゲルの演奏会でも手が痛くなっても泣く泣く「強制された拍手」を続けなければならなかったのだろうか? そんなことを考えてしまうほど、このボックス収録の演奏からは厳しさを感じるのである。

3番のページ   ケーゲルのページ