交響曲第5番変ロ長調
ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団
77/07/06
ODE ODCL-1016(セット)

 トータル70分という快速テンポの演奏。後に録音されたレーグナー盤が68分台、スウィトナー盤も69分台だったから、これが東独では標準的なスタイルだったのかもしれない。「8番と並ぶ大曲」とは見なされていなかったということだ。
 第1楽章の序奏こそ堂々としたテンポであるが、2分18秒〜の「ソードーレミーラ♭ーソー」は速い。ここのティンパニの乾いた音が印象的だ。ホールの残響が少ないせいもあってか、潤いがなくて冷たい感じのまま音楽が進められていく。ティンパニの打撃と共に、トランペットの切り裂くような音も耳に付く。ただし、アンサンブルの精度は非常に高い。(ソヴィエトの演奏ほどではないが。)14分20秒のピーク前後も全く隙がない立派な演奏であるが、ここで感じる息苦しさはヴァント&BPO盤に匹敵する。それゆえ、14分56秒からテンポを落として2分あまりしみじみ演奏しているのが「私はもうこんな生活には疲れました」とこぼしているようで、聴いている者の涙を誘う。(←な訳ないって。)18分11秒から再びテンポが速くなり、次第に軍隊行進調になる。ここのコーダは堂々としたものだが、予想していたほど激しくはなかった。
 その後も厳しい音楽が続く。次の第2楽章も一息吐くどころか、圧制に苦しめられている人の嘆きを聴かされているようだ。ショスタコーヴィチの交響曲のいくつかの楽章(5番や10番の3楽章など)を思い出した。要は私の考え過ぎなのであるが、テンポと音響のせいで緩徐楽章からもヒンヤリした印象を受けるのは確かである。続く第3楽章では冒頭の突進に驚かされる。スケルツォ主部は長調部分でも音楽は決して微笑まない。主部が厳しくともトリオに入るとテンポを落として息抜きをする演奏が一般的だと思うが、ケーゲルはそんなことには全く興味がないかのごとく、ここを早足で通り過ぎてしまう。労働基準法を全く無視したかのような(途中の休憩10分だけで12時間労働させるような)過酷な演奏である。
 第4楽章も同様に厳しい音楽が繰り広げられていく。突然激しくなる箇所が途中に何度かあるものの、決して熱くはならない。ここまで徹底して同じスタイルで演奏しているのだから、全曲を貫く統一感という点では抜群である。聴いていて楽しい演奏では全くないが。ところがところが、である。そんなことを思いつつ聴いていたのであるが、10分を過ぎた辺りから次第に演奏に熱がこもってくるのである。13分38秒の小ピークに持っていくまでは、テンポこそまるで違うけれどもチェリビダッケのような壮絶な盛り上げ方である。そして仰天したのが17分を過ぎてから。変なところでティンパニが鳴る。クナの5番は大幅カットされてしまっているので、それとの対応関係が掴まえにくいが、ケーゲルが改訂版を参考にしつつティンパニを付加したのは間違いない。それまでと異なり、ここのティンパニは音が明るい。(まさかとは思うが、違う楽器を使ったのだろうか?なお、クナ盤では音がこもっているせいか、コーダ前のティンパニ付加はそれほど耳に付かない。)そしてシンバルこそ鳴らないが、コーダでもティンパニはやりたい放題で、シャルクが狙った通りの軍楽調になっている。マタチッチ盤を上回るドンチャン騒ぎで、またしてもショスタコだが「森の歌」のラストと同じく、共産主義の明るい未来を予想させるような音楽になっている。「東側はハース版」という常識が見事に覆されてしまった訳だが、あるいは党の偉いさんに改訂版使用を強要されたのだろうか?

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