交響曲第9番ニ短調
ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団
75/12/16
ODE ODCL-1022(セット)

 トータル約55分、私が所有する内ではレーグナー盤(約54分)に次ぐ短さである。旧盤のページに書いたが、69年と75年の比較だけに47番のように後の方が遅いという公式は成り立たない。 それにしても、後の録音の方がここまで速くなるというのは珍しいケースではないかと思う。実際に聴いてみた。
 やはり第1楽章の基本テンポは旧盤よりかなり速い。が、インテンポで進むのは好ましい。(「インフレーション」でのアホ加速はもちろん、そのまま間を置かず「ビッグバン」に突入するのが良い。)この演奏では音量の大小をさらに効果的に使っているという印象を受けた。最初にそれを感じるのがこの楽章の1分少し前からの盛り上げ方である。「ビッグバン」(2分27秒)の凄まじさは旧盤をはるかに凌いでいる。ティンパニの重々しいゴロゴロ音は60年始めのモノラル時代に帰ったかのようである。ここで同名指揮者(カラヤン)の9番を持ち出すと、彼の66年盤に近いのが当盤、75年盤と似ているのが旧盤ではないかと思った。もしかして録音年月日が逆なのでは、とも思ったが、アンサンブルの精度は当盤の方が高いし、さすがにそれはないだろう。(ついでに書くと、両端楽章のバランスという点でも当盤の方が上回っている。) 当盤ではケーゲルが40歳代に入った頃に若返ったかのような演奏を繰り広げているんだな、確かに晩年のベームにもそういうことはあった、というようなことを思いつつ聴いていた。
 ところが当盤でも楽章後半で裏切られた。それまでインテンポを守ってきたのに13分19秒から加速。これは旧盤もそうだったので予測の範囲内だった。(13分27秒で再度爆発する。「ビッグバン」は一度でいいのに。)しかし、14分05秒では葬送行進曲のようにノロノロ進む。旧盤では聞かれなかった解釈で、さすがの私もこれは読んでいなかった。そして15分15秒から加速。即物的とでも言いたくなるような若々しいスタイルである。ちなみに、残響の少ないデッドな録音であるためか、当盤の音質も独特である。それに印象が左右されていることは疑えない。(また、木管がかなり前に出てくるため、旋律を吹くところだけでなく合いの手もよく聞こえる。そのため立体感は優れている。)この楽章のコーダも力強く締め括られ、悲痛なところは微塵もない。スケルツォは火の玉のような演奏である。「ダダダッダッダッダッダッダ」にはズシリとした重さがあり、大迫力である。終楽章冒頭からも悲しさは全く感じられない。ハ長調による2度(1分45秒、2分05秒)の大爆発であるが、ここも何かが滅ぶのを嘆くというよりは、何かを壊して新しいものを打ち立てるというような前向きな姿勢が感じられる。その後は意欲的に前進しているからである。
 上では若返り現象であるかのような書き方をしたが、やはりそう簡単には片付けられないようである。(指揮者はまだ55歳なのだ。)7番新盤ページ末尾に書いたように、やはりケーゲルは毎回毎回ゼロから始めないと気が済まないのかもしれない。「リセット型」とでも言ったら良いだろうか? つまり、唯一と思った解釈を極めていくのではなく、常に「一期一会」の姿勢で楽譜と対峙するタイプ。だから、目次ページに書いた「冷血」か「激情」かという問題も、結局は彼の演奏から受ける印象がその都度全く異なるということに過ぎないのだ。決して同一物の違った側面を見ているのではない。(まとめらしいものが一応書けたが、本当にまとめになっているかは大いに疑問だ。)

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