交響曲第8番ハ短調
ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
94/10/19〜23
Teldec WPCS-4677

 最初に全体の印象を書いておくと、私が所有するカラヤン以降の比較的新しいベルリン・フィルの8番録音(当盤以外ではマゼール盤、アーノンクール盤、そしてヴァント盤2種)の中では最も聴き劣りがする。1枚に楽々収まってしまう速めのテンポ(マゼール盤は「反則」によって収まっている)、およびフルトヴェングラーばりの激しいテンポいじり(特に第1楽章7分58秒〜と8分15秒は我慢がならない)が私の好みではないためであるが、客観的にも当盤で聞かれるリズムやアンサンブルの甘さはBPOとしてはあるまじきものではないかと思う。フルヴェンが出たついでに書くと、御本尊の49年3月15日盤と比較すれば、5番同様(これも不謹慎かもしれないが)火だるまになって転げ回っている人と、それを演じているスタントマンぐらいに迫力が違う。ここからはしばらく脇道に入って、最後に再び演奏について書くつもりである。
 当盤と9番は2003年の廃盤CD大ディスカウントフェアで購入した。70%引きなので850円程度という大変なお値打ち価格だったが、「とりあえずこの2曲だけあればいいや」という気持ちだったので、3〜7番は出品リストに上がっていたにもかかわらず買わなかった。ところが、後に3番以降を揃えることになり、結果として高く付いた。さらに今年春まで待てば新録音の輸入盤全集が5000円程度で入手できたところだった。とはいえ、36番はelatusの廉価輸入盤で1000円ちょっと、47番旧録輸入盤2枚組もアマゾン・マーケットプレイスで2000円以下だったため、大損をした訳ではないが。ただし、89番の日本語解説はなかなかに内容豊富であったから、他の曲も廃盤となった初発国内盤を同時に入手しておれば読むことができたはずである。その機会を逸したことが惜しいといえば惜しい。
 さて、8番ブックレットには作品解説と指揮者紹介に続いて、バレンボイムとテルデックのプロデューサーの対談が掲載されている。ここでの指揮者は非常に饒舌である。が、今月に並行してページ作成を行っている指揮者と同様、「理論好きに実力者などいない」が残念ながら当てはまっているようで、(特に8番に関して)長々と持論を展開しているけれども、肝心の演奏自体は先述したようにフルトヴェングラーのスタイルを表面的になぞっただけに終わってしまっている。ところで、この対談中には私の音楽の知識が乏しいために十分理解できない箇所が結構あったのだが、それを除いても疑問を感じたところは少なくなかった。1つ挙げるならば、ブルックナーのコーダが短すぎると考えた指揮者が採用した方法である。

 私はさんざん考えた末に、ゆったりとした、煽動的で
 意気揚々とした終わり方よりも、いくらか素っ気ない
 終わり方が望ましいという結論に達したのです。

こう述べられている。特に8番終楽章の場合は大きな問題で、「全主題が集まってくる部分のテンポを緩めようとすると、それまで続いていた音楽の精神にも、最後の劇的なクレッシェンドにも背くことになる」からあえて素っ気なく終わるようにしたということである。ところが実際には、最後の「ミレド」こそアッサリだが、そこに至るまでは「素っ気ない」どころか御本尊に敬意を払ってか(多少は遠慮があるものの)相当激しく暴れ回っているようにしか聞こえない。既にブックレット前半の解説にて平林直哉が異を唱えていた。

 たとえばコーダのフルトヴェングラーのようなアッチェレランドは、
 果たして本当に「素っ気ない」終わり方なのだろうか?

ここでは断固彼を支持したい。また、CDデータベースサイトのCupiDに掲載されているコメントもこれと似ている。

 解説の中で指揮者は「素っ気ない終わり方が望ましい」と述べているが、
 実際はその逆ではあるまいか。かなり効果を狙っていると思われる。

もしかしてこれも平林が書いたのかと思ったが、確かめようがない。(ちなみにamazon.co.jpにて読める「CDジャーナル」データベースのレビューは別文章である。)いずれにしても、指揮者としては素っ気なく終わっているつもりでも聴き手には全くそうと感じ取ってもらえなかったということである。(神経質演奏を狙った)6番同様、やり方が徹底していないからそうなってしまうのだ。そもそも独善に陥った解釈には支持が得られないということかもしれない。なお、この対談の終わりには、バレンボイムが子供の頃に作曲者を知らないままブル9を聴き、何が何でもこの曲を指揮したいと思うようになったというエピソードが紹介されているが、当時の彼にはスケルツォがショスタコーヴィチのように聞こえたらしい。これには絶句である。思うに、入り口からして既に勘違いだったということになるのだろうか。それが言い過ぎなら、よほど特異な感覚の持ち主ゆえ私のような凡人には到底理解しがたい、ということにしておこうか。

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