交響曲第8番ハ短調
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮NHK交響楽団
75/11/26
Altus ALT-048

 84年盤に失望した私は、同じく超名演だったとされる75年の演奏が遂にCD化されると知って心が躍った。HMVの紹介ページには「録音も、この75年前後のNHKは特に優秀で、大変素晴らしい響き。70年代のN響のテンションの高さも特筆!」とあるので期待とともに購入。そして裏切られた。確かに臨場感はある。第3楽章で「ガンガラガッシャン」という何かが倒れる音が入っているから。しかし、音質自体は84年盤よりマシという程度であった。(追記でぶちまけることにする。)演奏も荒っぽく、響きは汚い(特にブラス)。 「買わなきゃ良かった」と後悔した。ちなみにHMVの購買者による評価にも同じようなものがある。実演を聴いたらしき人は比較的高く評価していたけれども。金子建志が「ブルックナーの交響曲」で取り上げていた終楽章第3主題直前のマタチッチ独自の解釈(ブルックナー休止をティンパニで埋める)にも興味があったが、いざ聴いてみたら「フーン」という程度で別にどうということもなかった。(金子は「スコアを知らない聴き手は違和感を感じることなく聴き通してしまったと思われる」と述べていたが、CDでもかなり集中して聴かないといつの間にか通り過ぎてしまうような小さな音である。)
 やはり私にはヨッフムやマタチッチのように激しく暴れ回るタイプの指揮者(←宇野功芳によれば「本質をワシづかみにする」「本質を逸脱していない」)の8番はダメのようである。ヴァント5番BPO盤のページには、「8番は5番と同様にテンポの揺さぶり攻撃にも強い」などと書いた。それは間違ってはいないのだろう。多くの指揮者が「傍若無人」とでもいうべき「自力型」(by 浅岡弘和)スタイルで演奏しているからである。ただし私にとっては、この曲の本質を「ワシづかみ」するのではなく生卵のように優しく扱っている演奏の方が好ましい。それだけのこと(好き嫌いの問題)である。

追記
 許光俊は「生きていくためのクラシック」にてAltusのディスクを繰り返し紹介している。まずマタチッチの項では、同レーベルが発売した物故名指揮者のライヴ盤について「いずれもが会場の空気を伝えてくれるかのような音質で非常に好ましい」と絶賛している。(ただし、後の「アルトゥスのCDだと、目の前のスピーカーから聞こえる音楽は生身の人間が演奏していることがはっきりとわかる」は、明快に言い切っているようでいて実はよく解らない文章である。)さらにムラヴィンスキーの項では、スタジオ録音について特に取り上げる価値なしとしているが、その理由は「日本で演奏した記録(Altus盤)だけでも、この指揮者がとんでもない演奏家だったことは明らかである。否、日本ライヴ盤以上にはっきりとそれを教えてくれるものも少ない。」というものである。
 しかしながら、既にヨッフム82年盤のページに書いたように、私はこのレーベルの録音には大いに疑問を持っている。ゆえに許にも異を唱えたい。特にムラヴィンスキーの来日公演ライヴについてのコメントに対しては。というのも、チャイコフスキーの5番(77年)には少なからず失望させられたからである。(DGの60年スタジオ録音と比べればあらゆる点で劣っていると思うが、条件が違うのでここでは論じない。)同じライヴ録音でも、73年盤(BMGジャパンの独自企画「ムラヴィンスキー全集」のうちの1点)の方が音質、臨場感とも明らかに上回っている。それに限らず、メロディア音源を用いた同全集中で私が持っているステレオ録音(全てライヴ)は、どんなに悪いものでもあの来日公演盤よりはマシである。(VICTOR発売のゴステレラジオの音源には臨場感不足のものも混じっているが・・・・)あれはとりわけノイズ(テープヒスの他、録音担当者が立てたとおぼしき雑音もしっかり収録)の多い例外的劣悪録音(いわゆる「膝上録音」?)なのかもしれないが、ヨッフムやマタチッチの来日公演ライヴにしても、ヒスノイズが少ないだけで許が述べたような生々しい臨場感は伝わってこない(私が持っている内ではケーゲルのベートーヴェンが唯一の例外)。もしかしたらAltusのプロデューサーが知り合いなので、許は親切心から提灯紀事を書いたのだろうか、と猜疑心すら抱きたくなるほどである。
 とにかく私はあのチャイ5で懲りたので、ネット通販での格安セールでもない限り、このレーベルのCDは買わないことに決めた。ところで、先日(2004年8月)の名古屋出張の際に立ち寄った今池の中古屋では、Altus盤がズラッと並んでいて壮観であった。(異様に感じるほど多かった。)特にヨッフムのブル7は4組も置いていた。実はその少し前に先述した通販の格安セールで1590円(税込)だったため、(既に「鐘」盤は持っていたけれども)買い直そうか迷いに迷った挙げ句、カートから削除したのであるが、あんなに売りに出されているのを目にすると、やはり見送ったのは正解だったと思わざるをえなかった。(もちろん、その店でも買わなかった。)最後に、許の「他社のライヴ録音と比べてみれば違いは明らかだ」にコメントしておこう。確かに違いは明らかである。会場の熱気がムンムンと立ち昇ってくるような BBC LEGENDS シリーズと比べれば。もっとも、これは録音の条件やホールの音響特性などの決定的な違いによるもので、いかに優れたマスタリング・エンジニアの技術を以てしてもどうにもならないのかもしれない。マスターテープの段階で既に勝負は付いてしまっているのだから。

おまけ
 本編でHMVのレビューを引いたが、そういえば許があそこでも何か書いていたな、と思い出したので捜してみたところ、「アルトゥスのムラヴィンスキーは本当に音が悪いのか?」(特別寄稿 許光俊の言いたい放題 第13回)が見つかった。既に当ページは相当な分量になっているので、これから長々と引用してクドクドと反論を述べるつもりはない。生演奏を聴いていない私にとって、彼の主張は畢竟のところ理解不可能だからである。ただし、ディスクがある程度のクオリティを持っていてこそ、あのページで述べてあることも検討に値するのではないか? このチャイ5はそのレベルまで達していない、とだけ言っておく。(念のため、私が持っているムラヴィンスキーの異演奏を全て聴き比べたが結果は同じであった。)実演を聴いた人間が追体験をするためならAltus盤にも価値があるのかもしれない。(そういえば、「レコ芸」で絶賛していた宇野功芳も、生でムラヴィンスキーを聴いた人であった。)が、私はあの「シャーシャー」という耳障りなヒスノイズを垂れ流し続けるCDをわざわざ聴こうという気にはどうしたってなれない。「CDのわざとらしい音質に汚染されている」と言われようが結構である。(色褪せた写真を収めた個人アルバムを見て感慨に浸れるのは、あくまで撮影当時の記憶を持っている人だけである。なお、ヒストリカル録音は記録写真集のようなもので、音が悪いと予め分かっているから腹は立たない。私が噛み付きたくなるのは「看板に偽りあり」の場合である。)
 ところで、同じチャイ5でも75年来日公演の録音は、購入者のレビューに「この録音を商品にした理由がわからない」「許氏の言う音質以前の問題」とまで書かれている。他盤のページも見たが、どうやらこの年の音源はみんなダメダメらしい。そんな極悪録音までCD化して金儲けを企んでいるプロデューサーに対して、何か言うことはないのだろうか?

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