交響曲第8番ハ短調
ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団(87)
87/08/22〜23
BMG (RCA) BVCC-38166〜17

 ケルン放送響との全集と同様、この2枚組もよほどのヴァント好き以外は敢えて購入する必要はないだろう。 (試しにヴァントを聴いてみようという人が1000円程度の格安中古を見つけたというような場合のみ「買い」かもしれない。)残響6秒というとんでもない演奏会場(リューベック大聖堂)での録音であるが、聴き辛さは併録されている9番ほどではない。あるサイトでは「残響のお陰でオケの響きが薄いのが救われている」といったコメントも出されている。
 第8番BPO盤(2001年)ブックレット掲載の金子建志による「ヴァント5度目のブルックナー『8番』〜ヴァントの解釈の変遷を具体的に検証する」は非常に興味深くて為になる解説であるが、それによると第1楽章225〜234小節において、このリューベック盤にのみ聴かれる独特の解釈があるという。8分39秒〜および8分59秒〜の2度、ホルンの音を抑えて「遠近法的な効果をつけている」とのことである。「そう言われてみると確かにそうだった」ということで改めてじっくりと聴いてみたら、確かに大聖堂の外から音が飛び込んでくるようで効果的であった。
 ところで、このリューベック盤、朝比奈の聖フロリアン修道院での7番(75年)およびヨッフムのオットーボイレン教会での5番(64年)を「教会録音三種の神器」と自身のサイトに書いている人がいたが、その呼び名は他でも通用するのだろうか? キリスト教関連の建築物での録音はさほど珍しくないようにも思うが・・・・・(誰か向こうを張ってパガン、ボロブドゥール、アンコールワットで演奏&録音してくれい。)

追記
 当盤ブックレットの最終ページには、ヴァント自身によるこの録音に対する見解が載っている。93年の許光俊によるインタビュー「ギュンター・ヴァント大いに語る(2)」では、「響きがみなかたまりになってしまって細かいところが聞き取れない」との不満を述べていたとのことで、執筆者(舩木篤也)が引いていたケルン全集34番のブックレットを改めて開いてみたところ、「私は大聖堂の響きというのが嫌いなのです」「私は出来に不満を感じているのだよ」「指揮者の私にとっては不愉快で、時には重要な音が聞こえないのに我慢せざるを得ない」と、まさに「言いたい放題」である。ところが、2000年の来住千保美のインタビューでは、この8番演奏について「これは6秒の残響があるというたいへんな場所での録音でした。でもこの録音も悪くないですよ」に変わっているらしい。(詳細は93年盤の再発廉価版に掲載されているようだが、初発盤所有の私は読んでいない。)許によると、[コンサート前のヴァントは非常に神経質ということだが、事実かなりピリピリしている]こともあって[非常にいらだち怒った様子]になったらしいが、そもそも2000年はそういう状況になかったし、あるいは女性を前にして機嫌も良かったのかもしれない。いや、こんなあやふやな憶測を書こうとしたのではなかった。実は私の当盤に対する評価も同じように変遷したのである。つまり、9番88年盤ページの終わりで述べたように新マスタリングのお陰で「この録音も悪くない」と思えるようになったのである。もしかしたらヴァントもそれを聴いて再評価する気になったのだろうか?(これも「あやふや」という点では五十歩百歩だが・・・・)

8番のページ   ヴァントのページ