交響曲第8番ハ短調
ピエール・ブーレーズ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
96/09
Deutsche Grammophon POCG-10233

 吉田秀和著「世界の指揮者」では「ブレーズ」と記されている。CBSソニーの最初および次の「ベスト・クラシック100」シリーズも同様である。(ちなみに最初のシリーズでは「海」他のドビュッシー管弦楽曲集、シェーンベルク「浄夜」&ベルク「叙情組曲」、バルトーク「オケコン」&「舞踏組曲」、ストラヴィンスキー「火の鳥」の4枚が収録されている。ところが「ペトルーシュカ」と「春の祭典」はメータ&NYP、しかもご丁寧に両曲が単独で別盤に収められているのだ! さすがにこれは拙いと思ったか、次のシリーズではブレーズの演奏を1枚物で出すように改められた。なお、この演奏については後述する。)ところが、DGへの移籍後は「ブーレーズ」と表記されるようになり、それと機を同じくするように人気と評価が鰻登りとなっていた。「レコ芸」の企画「名曲名盤300」93年版で既に同レーベルからの新譜が上位にランクされていたが、続く98年版では、バルトーク、ドビュッシー、ストラヴィンスキーの管弦楽曲でほとんど1位独占である(「オケコン」のみショルティに首位を譲って2位)。ところが、それと前後するようにして購入した洋泉社のクラシック本ではブーレーズがそれこそボロクソに書かれていたので唖然とした。その急先鋒に立っていたのが許光俊と海老忠である。

 グラモフォンに移ってから天変地異のごとくスターとなった
 ブーレーズ。それまでCBS時代の録音はあくまで一部ファン
 のものだったのに。DGの力、あなどるべからず。
 しかし、現在のブーレーズはあなどってもいい。

 いくらお客やレコード会社がバカでわからないからといっても、
 たまには本気出してよー。
 (ともに許光俊、「クラシック名盤&裏名盤ガイド」197頁)

 つまらない演奏をありがたく頂戴しろと言われても迷惑な話であり、
 メーカー、プロモーター、マスメディアが三位一体となったところで、
 全ての消費者を洗脳できるはずもない。
 (海老忠、「クラシックの聴き方が変わる本」196頁)

既に私は「幻想」(ベルリオーズ)新録音やマーラーをFM放送で、あるいは後輩から借りて、さらには愛知県芸術劇場のリスニングルームにて聴いて、それほど感心できなかったため「もしかするとブーレーズは過大評価されているのかもしれない」と考え始めていたが、それらを読んで我が意を得たり(「やっぱり眉唾だったか」)と思った。そうなると、いくら「確変」(何を出しても特選)状態だったとしてもDG盤には手が全く伸びなかった。とはいえ、彼が本当に「ダメになった」のかについては確信が持てなかった。当時私が所有していたディスクはストラヴィンスキーの「火の鳥」全曲(CBS)、「兵士の物語」全曲(ERATO)、および「プルチネルラ」全曲&「うぐいすの歌」(同)、ベリオ「シンフォニア」他(同)、そしてバルトークの管弦楽曲集(「ディベルティメント」「舞踏組曲」など計4曲収録のDG盤)の計5枚だったが、結局のところ新旧録音で同一曲の聴き比べをしないことには何もわからないと考えていたからである。最近になってようやくその機会が訪れた。
 経緯を説明し出すと長くなるので簡潔に述べるつもりだが、アマゾン通販のギフト券を使い尽くす(キャンペーン用の300円分はトータル3000円以上の注文でないと利用できなかった)ために、欲しかったニールセンの弦楽四重奏曲(NAXOSの2枚)に加える1枚を探していたところ、ブーレーズの「ペトルーシュカ」&「春の祭典」(輸入盤)を見つけたのである。後者は吉田が「世界の指揮者」で絶讃していた演奏ゆえ一度聴いてみたいと思っていた曲である。それも1000円ちょっとのお手頃価格。残り点数も少なくなっていたため直ちにカートに入れて注文確定させた。ところが届いた宅急便は開けてビックリ玉手箱。91年録音のDG盤ではないか! 例の黄色ジャケットではなかったので私はてっきりSony Classicalだと思い込んでいたのだ。ブックレット表紙の作曲家名の左に "UNIVERSAL" の文字があるけれども、PCの画面上では小さすぎたため見落としていた。とはいえ、「名曲名盤300」にて評論家がこぞって点を入れていた(両曲とも93年盤では5人全員、98年盤では5人中4人が投票)演奏であると思い直し、聴いてみた。印象は「特に良くもなし悪くもなし」であった。が、注文間違いにはやはり悔いが残る。ということで再度「尼損」で検索してみたところ、「マーケットプレイス」で旧盤中古が700円(諸経費込1040円)で売られていた。「こうなったら後には引けぬ」の心境で注文した。(ちなみに、そのディスクは2000年11月に発売された「ソニー・クラシカル ベスト・クラシック100〜プレミアム・エディション」の1点であるが、指揮者名はDGに追従したのか「ブーレーズ」になっていた。)
 聴いてみて目が点になった。(耳はどう形容すべきだろうか?)何という鮮烈な演奏!大袈裟ではなく、解説に記されているような情景が目に浮かんできた。既に手垢にまみれた表現だが「切れば血が出るような」とも言いたくなってくる。(ちなみに吉田は「ハルサイ」について「ブーレーズできいていると、それまではっきりしなかった個々の音型がよくきこえるというだけでなく、それらのリズムのパターンのもつ構造上の意味がよくわかるようにひかれているのが、すばらしい」と書いていた。構造主義評論家の元祖といえるかもしれない。)これに比べたら新盤は燃え滓である。既に他所で使ったが「旨味が抜けてパサパサになった鶏肉」でも構わない。両盤から受けたインパクトの違いは「ぬいぐるみの犬と本物の犬ぐらい」(←何だったか憶えてないが最近観たテレビ番組でタレントが使っていた)という喩えがピッタリくるほど大きなものであった。この差は某掲示板の「DGの録音がアレだから」という理由だけでは到底説明がつかない。演奏自体が月とスッポンなのである。(新盤が上回っているのは「ペトルーシュカ」の幕間における野趣味あふれたドラムの連打だけである。)「クラシックB級グルメ読本」48ページには、デモ隊の一員として抗議行動に参加している「60年代のブーレーズ」と日向ぼっこしながら飼い猫と戯れている「90年代のブーレーズ……」の対比を描いた伊藤真司の漫画が載っているが、それがよく理解できた。そうなると新盤を持ち上げていた音友系評論家の多く(「グラモフォン・ライター」から「御用評論家」に昇格?)は「経済の原則」(別名「売らんかなの原則」)にヘイコラ従っていたとしか考えられない。よって「名曲名盤300」にて両曲の選定を担当した中で超名演の旧盤を無視し、新盤のみに点を入れていた連中(=石原立教と斎藤弘美以外)に私は躊躇うことなく「ダメ評論家」の称号を贈らせてもらった。
 ということで、私の評価も墜ちるところまで墜ちてしまった感のあるブーレーズだが、このブル8も「疑心暗鬼時代」に発売されていた品で、2000年3月13日付のKさん宛メールに「ブーレーズとブルックナー。最初がBで始まるという以外、共通項が見つからない。水と油としか思えません。」と書いていたように購入意欲はまるで湧かなかった。ところが、その後ブルックナーのCD収集を開始してしばらくした頃、ヤフオクに1500円で出品されていたのを何故か(今思うと不可解)「安いなあ」と錯覚し、入札したらそのまま落ちてしまった。(なおライナー執筆者の藤田由之は、先に私が烙印を押させてもらった内の1名である。)「ハッタリ野郎」ことアーノンクールの振った同曲BPO盤とほぼ時を同じくして入手することになったが、どちらも魔が差したとしか言いようがない。
 さて、当盤のケース裏には「ザンクト・フローリアン修道院でのライヴ・レコーディング」とある。同所で録音されたディスクの戦績はこれまで1勝1敗(ともにKO決着)であるが、第3戦目はどうだったか?
 76分台のトータルタイムから推測されるように、特に粘ったり逆に暴れ回ったりすることもなく淡々と進んでいく。演奏自体は可もなく不可もなし。ただし、指揮者の作曲家に対する思い入れが微塵も感じられなかったのは大いに不満だ。(ちなみに藤田はハイティンク&ACO81年盤の解説でも使っていた「ノヴァーク版より構造上の弱点が解消されている」という話を持ち出して、ブーレーズのハース版選択を「彼としては当然のことであろう」と述べていた。が、当盤をいくら聴いても指揮者が積極的にこの版を採用した理由など全然伝わってこない。ハース採用部分にしてもアッサリ通過してしまってるじゃない? まったく出任せもいいところだ。)なので「売れれば儲けもの」(←何匹目のどぜう?)という商魂逞しき制作者にまんまと乗せらただけではないか、などと余計なことまで頭に浮かんでしまった。
 むしろ言及したいのは録音である。先述のKさんへのメールでは、ブーレーズ指揮のマーラー4番新録に対するレコ芸月評についてコメントした後、こんなことを私は書いていた。

> ついでに書くと、「巨匠神話の崩壊」を書いていた荒股育代女史は、ブーレ
> ーズのマーラーを「表面を美しく仕上げただけにしかきこえない」と酷評し、
> (「知性の人」である)彼にはマーラーの適性がない(「知性が適性に負ける」)
> とまで書いていました。さらに「楽器が空中浮遊しているような録音がマー
> ラーの音楽の足を引っ張り、オーケストラにマスとしての重さが感じられな
> い」とダメを押す念の入れよう。録音については僕が7番を聴いた時に感じ
> た不満そのものでした。

ということで、シノーポリのディスク評でも触れたDGの4Dオーディオ・レコーディングであるが、その空中浮遊感と修道院の残響との相乗作用により何とも異様な音響空間が生まれている。「犬」通販のユーザーレビューでも「ホールトーンに固執」「ホールトーンを意図的に残した」「音楽の全体像がホールトーンの彼方にかすみ」といったコメントが出ていた。ところが、それがあまりにも耳に付きすぎるため、あるいはシラケ切った演奏に対する批判を逸らすという効果をもたらしているような気もする。この曲の第1楽章カタストロフやアダージョのクライマックスにおける汚らしい響き(VPOの必殺技?)も多少は緩和されていた。早い話、指揮者はそれで救われていると言いたかった訳だが、この録音方式のインチキくさい音質を堪能するという目的にはピッタリのディスクといえるだろう。
 最後になるが、私は「空中浮遊」という文字列を眺めているだけで某新興宗教の教祖だった男のPR映像と同様のいかがわしさを覚えずにはいられない。今思うに、ブーレーズの新録を手放しで称賛していた連中というのも、要はマインドコントロールされていただけではなかったか? とはいえ、あの信者達のような一途さを持ち合わせていた訳ではなかったから、(当時低迷していたクラシック業界の)救世主という扱いも単なる一過性の現象で終わり、大事に至らなかったのは誠に幸いであった。
 結局ここも指揮者と評論家に罵詈雑言を浴びせるだけのページになってしまった。

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