交響曲第8番ハ短調
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
81/05/25〜26
PHILIPS 30CD-94〜5

 解説執筆者の藤田由之は、ブルックナーの交響曲演奏におけるテンポ設定について、かつてヨッフムが述べたという以下の言葉を載せている。(最初に買った8番のCDだけに、この解説は何度も何度も読んだ。)

 いかなる音楽でも、解釈を決定するのはテンポの選び方です。
 ブルックナーの交響曲の緊張は、ゆるやかに増大し、
 ゆるやかに弛緩してゆくという伸び伸びとしたものですから、
 正しい基礎となるテンポが必要となります。
 それは、時に応じて少しずつ変化させても構いません・・・・
 しかし、全体的に極端なアッチェレランドやリタルダンドを
 使うことには、私は反対しなければなりません。
 後期ロマン派の音楽は、そうした表現を求めていますが、
 ブルックナーは、少し違うのです。

ここを「ナルホドナルホド」と感心しつつ読んだことを憶えている。さて、藤田は(発言当時60代だった)ヨッフムが自分でそう言いながらも、実際にはそのような演奏を必ずしも実現できなかったとまずコメントしている。それは、私がヨッフムのディスク評ページで繰り返し述べてきた(非難してきた)ことと一致している。藤田はさらに続けて、(当盤録音当時まだ50代の)ハイティンクがヨッフムの言葉を裏付けるような表現に向かいつつあるのが興味深いと述べている。
 この少し前(解説書の上)には、前回の69年録音と当盤の演奏時間をまとめた表が載っている。それによると、69年盤のトータルタイムは73分半、当盤の約85分と比べると相当に短い。つまりテンポは別人のように速かったということである。(この12年間に何があったのかは知らないが、ここまでガラッと変わったというのは他にチェリビダッケぐらいではなかろうか?)73分台の8番演奏といえば、大抵の場合「セカセカテンポ」として私には受け入れられないものである。特に終楽章の20分44秒というのは、例えばフルトヴェングラーやシューリヒト、あるいはテンシュテット、そしてヨッフムの時に怒り狂ったような演奏を連想させる。この当時のハイティンクは、同じくACOの常任指揮者であった先輩ヨッフムの激しいスタイルを自分のブルックナー演奏に取り入れていたと想像するのだが(←何せCDを聴いていないので)、いつしか「脱ヨッフム化」を図るようになったのだ。酔っぱらって大喧嘩でもしたのだろうか? 冗談はさておき、9番ページにも書いたように、ハイティンクがヨッフムの悪い点は吸収せず、(あくまで芸術の上で)袂を分かつことになったのは非常に喜ばしい出来事であったと思う。
 とはいえ、上で藤田が「向かいつつある」と進行形で書いているように、当盤録音時のハイティンクはまだ過渡期の段階にあり、同年録音の9番と同じく結構テンポを揺さぶっている。第1楽章8分28秒から少しずつ速くなるが、トランペットの合いの手が少し弦のリズムとずれているのが気になる。また、8分56〜59秒や9分18〜21秒の加速も耳に付く。やはり9番のように不自然とまでは感じさせず上手くまとめてはいるが、余裕の出てきた後のVPO95年盤と好き嫌いが分かれるところだと思う。VPO盤を出したついでにもう少し比較すると、録音は圧倒的に当盤が上。(VPO盤のページではカラヤン盤やジュリー盤を「音が汚い」と貶しているが、当盤と比べたらやっぱり95年盤も汚く感じてしまう。)クリアーな音質で左右の分離も極めて良好(「離れすぎ」と感じるほど)である。特に弦の輝かしさが素晴らしい。美しく豊かな響きに「いいホールなんだろうなあ」と想像してウットリしてしまうほど。(やっぱり聴きたかった。)そちらのページに書いたが、「きびしさ」が特に必要であると私が思う両端楽章はVPO盤、中間楽章は当盤に軍配を上げる。タップリと29分をかけるアダージョの天国的な美しさはトップクラスである。そういえば、8番専門ページの作成者はヴァント盤(93年)をトータルではベストとしながらも、アダージョはセルがベストと述べているが、このセル盤(CBSスタジオ録音)のアダージョも約29分である。

8番のページ   ハイティンクのページ