交響曲第8番ハ短調
リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
99/05/10〜12
DECCA 466 653-2

 9番のページには第1楽章の終わりで鳴りが弱いために不満を覚えたことを述べた。まだ宇宙創造の最後の仕上げという段階なのに、既にエントロピーが高くなってしまっているような印象を受けてしまう。あれでは不満を覚えて当然だ。ところが、この8番では軟弱の一歩手前のような響きがどういう訳かしっくり来るのである。茫洋としてつかみ所のない曲に向いているということかもしれない。(それを自力で何とかしようとしてジタバタあがいているような演奏には、私は却って興醒めしてしまう。)例えば、他の演奏ではトランペットやティンパニによって音の洪水となる第1楽章中間部の盛り上がり(当盤では8分46秒)も随分と抑制されている。そのため後のスケール感や透明感が際立ってくる。この楽章終盤のカタストロフでは、左チャンネルのトランペットが抑えられ、後を受けて吹かれるホルン(右)の方が耳に付く。あるいはここも鋭さを回避したのであろうか? このように独特の楽器のバランスによって時に妙な響きが聞かれるけれども、まあ指揮者の裁量の範囲内として許せないことはない。あと、ブルックナー・リズムにも一部クセがある。第1楽章7分58秒からのヴァイオリンが「チャーチャーチャッチャッチャ」と三連符でしゃくっている。(8分27秒で元に戻る。)第3楽章終盤(20分37秒〜)の深い悲しみを表すところでも、それをダメ押しするかのごとく弦がリズムをハッキリ弾いている。これらも面白い解釈として聞き流すことは可能である。ただし、第3楽章で最初のシンバルが鳴ってから(20分18秒〜)、および終楽章コーダ直前(18分38秒〜)の尻軽テンポは大いに疑問、とても「ハイそうですか」では済まされない。たった2箇所であるが、いずれも聴かせ所であるから痛いのだ。ゆえに、目次ページに書いた「とても素晴らしい演奏」よりは評価を下げる。それら以外テンポ設定には特に問題がなかったから余計惜しまれるのであるが。「絶対1枚に収めろ」と上層部に厳命されていたディレクターから巻きが入ったのだろうか?(まさか)

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