交響曲第8番ハ短調
ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団
70/05/20
BBC RADIO classics 15656 91922

 本ページはブラームスの話で始めさせてもらう。「クラシック名盤&裏名盤ガイド」で第4交響曲のページを執筆した海老忠は、最後に大穴盤として「情緒纏綿緩慢叙情派」(ナンノコッチャ?)のバルビローリ盤を推し、以下のように結んでいた。

 いわゆるVPOサウンドを特有のバルビ節でうたわせた、なかなか
 濃厚な魅力のあるもので、好きな人にはたまらない情緒洪水演奏
 (もちろん嫌いな人にもたまらないのだが)。

この曲に限らず、彼のブラームスには極端に好き嫌いが別れるという傾向があるようだ。ご存知の方も多いだろうが、吉田秀和も「世界の指揮者」で採り上げている。彼は第2番の第1楽章冒頭(1小節目の3音)におけるあからさまな強調を例に挙げて「すべてが重苦しいばかりでなく不自然なのである」と述べていたが、以後も「つまらない」「さっぱり」という印象だったため中途でやめてしまったのだという。続いて吉田はベーム&BPO盤を誉め称えていたが、ブラームスの交響曲に関する限りベームが一番好きな指揮者ということだ。ところが、これと正反対の意見を聞いたことがある。かつて西語を一緒に学んでいた長野のKさんである。ブラームス談義に及んでいた際、「バルビが最高、ベームなんか目じゃない」という彼のコメントに、当時(註:今もそうだが)ベーム&VPO盤を最も愛聴していた私は驚いてしまった。そうなると2番は「好きな人には堪らないが、その逆もまた然り」の典型かもしれない。(ちなみに、吉田は3番については「こちらは悪くない」と書いていた。私も一時期エアチェックしたテープでこの曲を聴いていたが、確かに悪くなかった。ついでながら、私はDISKYレーベルによる廉価再発盤が入手可能であるにもかかわらず、バルビ&VPOの3枚組全集には手が伸びない。過去に唯一所持していた1番は、拙サイトの「ブラームスのページ」に記した通り「全曲均等引き延ばし作戦」による常軌を逸したユルユル演奏で到底耐え難かった。そのトラウマを今も引きずっているからである。)
 ようやくにしてブルックナーに持って行く。某掲示板のブル8スレに少し前(2006年5月)こんな書き込みがあった。

 バルビの8番はバルビファンにとっては堪らない演奏なんだなこれが。
 バルビ節全開でとても楽しい。

ということで、当盤も世間からブラ同様の扱いを受けていることは十分に予想される。
 第1楽章の出だしは何ともいえず仰々しい。チェロの旋律にあざとさを感じずに済ますことは難しい。吉田を辟易させたブラ2冒頭もこんな感じだったのだろうと想像する。この時点で再生を断念してしまう人もいるだろう。しかしながら、この楽章の演奏時間は14分半で決して長くはない。時に脱兎のごとく駆け出しているから15分を切っているのである。遅い部分はトコトン重苦しく、速い部分では猛り狂う。とてもわかりやすい。ふと「フルヴェンみたいだな」(ただし54年盤除く)と思った。かつてクリュイタンスのベト8がフルトヴェングラーの演奏と偽って売られたことがあったらしいが、このブル8も音質を意図的に劣化させてから「フルトヴェングラーの未発表録音発見!」として売り出せば、そのままリリースするより何倍も儲かったに違いない、などとアホなことを考えてしまった。(以前某掲示板にて「最新ステレオ録音をモノラルに変換し、カセットテープに何度かコピーすれば名演に聞こえる」という投稿を見たが、それも大いにあり得ることだと思う。)
 ちなみに当盤は「クラシック名盤ほめ殺し」(鈴木敦史)の「ブル8下品演奏対決」にて天使が持ち出したものであるが、その推薦文はこれである。

 冷静沈着さとスケール感が求められがちなブルックナー演奏において、
 バルビローリは自分の感情の赴くままに爆発し、熱気と強引な芸能的
 速度変化(へんげ)、つまりアゴーギクで下品なまでに聴き手を魅了
 いたします。

これに対する悪魔のコメントは「フルトヴェングラーやテンシュテットの解釈と違いがないんじゃありませんか」であるが、天使はさらに第2楽章の2度目の主題展開時に奏でられる弦楽器の刻みについて力説する。(その努力も虚しく、結局は「究極のダメダメ盤」 (←私の勝手な命名である)ことメータ&イスラエル・フィル盤に完敗するのであるが・・・・)

 ムンムンと立ちこめるようなこの男臭い音。これだけ強烈な音を
 ブルックナーに要求した指揮者は皆無でしょう。まるで、真夏の
 満員電車の中、汗だくのオジさんの腋の下に自分の顔が押し当て
 られたようなインパクトがあります。ブルックナーを聴いてそう
 いう気分になれるのは、この盤が唯一でしょう。

これを読んだのは当盤入手の前である。実はこの箇所を聴くのを密かに楽しみにしていた。それが購入の直接的動機である。(書くのが遅れたが、当盤はヤフオク経由で入手した。たしか800円で無競争落札したはずである。)どこを指しているかはすぐ判った。第2楽章1分59秒〜2分04秒、および10分56秒〜11分01秒の執拗さは確かに他盤では絶対に聞けない。が、私は「男臭さ」「ワキガ」とは違う印象を抱いた。むしろ下手糞な奏者の頸を容赦なく切るような情け容赦のなさを感じたのである。そこで、いかにも斬首を得意にしていそうな指揮者のディスクを取り出して聴いてみたところ、セル(3種)やケーゲル(2種)はそんな真似はやっていなかった。同様の解釈を確認しているのは今のところムラヴィンスキー盤(やっぱり)だけである。トスカニーニが振っていたらどうだっただろう? 何にしても異常だ。
 第3楽章は所々で腰を落とすものの基本的には速めのテンポで進めており、引き続きドライな演奏である。ところが、16分06秒で意表を衝かれてしまった。(私が楽譜に疎いことに尽きるが)そこでようやく当盤がハース版使用であることを知ったのである。ここに限らず、ハース版にのみ存在する箇所にはいかにも「お涙頂戴」的というべき旋律が少なくない。藤原正彦は日本を「情緒の国」としているが、やはり島国の英国出身ゆえ採用する気になったのだろうか? と一瞬思ったが、既にここまで聴いて明らかなように、当盤のコンセプトは「情緒」というより「非情」に近い。終楽章も同様で、ハース採用部分はケーゲルあたりがやりそうな「切り捨て御免」スタイルである。(それでいて先述したブラ4などは「情緒タレ流し」とでも言いたくなるほどの超ウェット演奏を繰り広げているのだから訳が解らない。)とにかく至る所でブツ切りの音が耳に突き刺さるのには参った。この尖りっぷりに対抗できるのは、やはりケーゲルのヴィヴァルディぐらいのものか。あるいは当盤に「ケーゲル以上にケーゲル的な演奏」というキャッチコピーが付けられるかもしれない。(←それがいったい何になる?)

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