交響曲第7番ホ長調
ハンス・ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団
57/12/27〜30
Concerto Royale 206218-360

 鈴木淳史が「クラシックCD名盤バトル」で推している。彼の批評はとかく気に障ることが多いのであるが、採り上げるディスクは妙に気になるのである。「枯淡の王道的地位を保つ」「最初のトレモロから最後の和音まで、枯れまくったいい演奏」というのが聴きたくなった。(ただし「シューリヒトと並んで」には異を唱えたい。既に向こうの9番61年盤評で述べているので参照のこと。)あの本で紹介されていた通りVOXレーベルからも発売されているが、HMV通販サイトで検索したところ全然違う指揮者&オケの467番を組み合わせた3枚組(CONCERTO ROYAL )も出てきた。しかも1000円以下と単品のVOX盤(約1300円だったような)より安かったため、ためらうことなく買った。
 さて、お目当ての7番を当然ながら真っ先に聴いたが開始早々に首を傾げた。先の「最初のトレモロから」が1秒と続かず主題が始まってしまう。「随分変わった解釈だな」と思ったりはしなかった。最初に買ったアイヒホルン盤(特記:後に良品と交換)のようなバッサリではないものの明らかに編集ミスによる欠落である。が、元々怪しげなレーベルと思っていたこともありクレームは付けないことにした。こういうのは「安かろう悪かろう」だから大して腹も立たない。修復しようと思えば簡単だが、今のところその気にもならない。
 第1楽章は冒頭から淡々と進む。ヴァントNDRページに書いたように5分43秒をアッサリ通り過ぎるのも「構造派」らしい。ここでも「骨格はしっかりしている」と鈴木が述べた通りである。が、7分30秒からのチェロの旋律はウェットだし(それと呼応するヴァイオリンも同様)、コーダ(17分19秒〜)の表現も結構濃密である。アダージョでもいきなり嘆きの表情が聞かれ(40秒過ぎなどしゃくり上げているようである)、短調部分と長調部分の落差が激しい。ここまで聴くと「枯れまくった演奏」というのはちょっと違うのではないかと思えてくる。「骨がチラチラ見える」にしてもデッドな録音の影響が小さくないはずだ。そこで改めて最初から聴き直してみた。
 するとブロック内ではインテンポを守っているものの、切れ目ごとにギアチェンジを行って小刻みに変えていることが判った。ふとクロノス・カルテットの演奏する「ディフェレント・トレインズ」(ライヒ)のようだと思った。サンプリングした男女の声による台詞("from Chicago to New York" など)と汽車の音が繰り返され、それに弦楽四重奏が単純な音型による伴奏を付けるという曲だが、テンポと音型は同じフレーズが繰り返されている間こそ一定に保たれているものの次の台詞に移った途端にガラッと変わる。何となく当盤の演奏があれと似ているような気がしたのである。当サイトでは「ブロック構造」という言い回しをよく使っているが、ここでは床のタイル張りに喩えてみる。少々強引かもしれないが、形も大きさも全て同じタイル(三角形、四角形、正六角形などはすぐ思い付くが、曲線図形でも可能)をひたすら敷き詰めるやり方、異なるタイルを何種類も組み合わせて配置するやり方に大別できると思う。見た目にも単調な前者に比べ、後者では隙間が生じないよう気を使わねばならないのは当然である。緻密な計算や熟練の技が求められるだろう。で、私が言いたいのは当盤はそのような演奏ではないかということである。基本テンポは概して速めながら随所に聴かせどころを配置して決して飽きさせない。実に魅力的な演奏である。鈴木が「名盤バトル」にて同一オケで録音も優れているギーレン盤でなく当盤を挙げたのか不可解に思っていたが、彼も無意識のうちに「似て非なる演奏」であることを感じ取っていたに違いない。ちなみに、彼はアダージョのクライマックス以降について「弦楽合奏が艶っぽかったりするのが、ちょっと奇妙だ」と書いているけれども、枯淡一辺倒ではないと考えれば何の不思議もない。当盤の後にギーレン盤を聞いたら異様なまでに無感動な演奏と聞こえて愕然とした。
 鈴木の「全体的に同じトーンで演奏されたもの」に偽りはなく、後半も全く手を抜かないし最後まで隙を見せないのが見事である。スケルツォ主部の3拍子(6拍子だっけ?)が次第に強調され、ついにはウィンナ・ワルツみたいに優雅に聞こえるのが面白いし、トリオのネットリ演奏にも惹かれる。終楽章も力強くズンズン進みコーダはテンポを落として堂々と締め括る。

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交響曲第5番変ロ長調
ハンス・ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団
62/05/17〜24
ARKADIA CDGI 746.1

 HUNT/ARKADIAの製品にはヒジョーに気に入らない点がある。モノラル録音ならそうとケース裏にハッキリ書いておけよ! カラヤン&VPOの8番(「テ・デウム」とカップリングされた2枚組CDGI 705.2に収録)が1967年ザルツブルク音楽祭ライヴということで、私は彼の57年盤と75年盤との間のギャップを埋める貴重な録音として狙っていたのだが、ある日ヤフオク出品ページの商品説明に「モノラル」とあるのを見て入札する意志を放棄した。その直後に各国の尼損に入れていた予約注文も全てキャンセルしたのはもちろんだが、「何でこんな大事な情報を載せへんのや!」と改めて込み上げてきた怒りを抑えることはできなかった。そういえばクレンペラーの6番(CD 725)は61年3月21日の演奏と謳いながら実際にはEMIスタジオ録音(64年11月)の故意劣化コピーだという指摘を某掲示板で見たことがあるが、演奏時間もノイズ混入箇所も同じだから図星のようだ。実にケシカラン悪徳レーベルである。もちろん7番(CDGI 708.1)に関するデータ(1956年4月12日のBRSO)もまるで信用ならない。
 さて、このロスバウトの5番はオクの画像にも "ADD Stereo" とあるから私は安心して入札に踏み切っていたのだが、2000円以上に騰がるため一度も落札には成功しなかった。そして先日(2008年3月)の関東出張時に渋谷レコファンにて購入。1700円也。(ちなみに3番を収めたGI 772.1には名手デニス・ブレイン独奏によるモーツァルトのホルン協奏曲第2番も併録されているのが気にはなるけれど、既にモノラルとの情報を得ているため手は出さん。)
 ところがである。再生を初めてすぐ愕然とした。方向感がまるでない。ヴァイオリンが真ん中で鳴っている。というより全ての楽器がそうだ。ある程度の奥行きは感じられるから一種の擬似ステなのかもしれないが、まともな会社なら絶対に "Stereo" として売ったりはしないだろう。この豚野郎!(なおJ.F.Berky氏のサイトでは当盤とArchipelのARPCD 0129の演奏を同一と断定している。事実トラックタイムにはほとんど差がない。だとすれば、そちらの1953年10月21日という録音年月日の方が信憑性が高いということにはならないだろうか?)
 この時点で真面目に演奏評に取り組み気がかなり失せたけれど気を取り直して少しだけ書いてみる。第1楽章の3分52秒あたりで低弦の刻みが耳に付いた。4分過ぎのはもっと徹底している。細かいところも疎かにしない指揮者が執拗に弾かせていると思われる。どうやら7番と同じく曲のあちこちに仕掛けを配置している模様だが、それでいて不自然とは感じさせないのは流石である。ただし、こういった名人芸を堪能するには貧相な音質が大きな災いとなってしまう。その欠如を理由に鈴木淳史を叩いてきた私だが、想像力にも限界があることを認めざるを得なかった。工夫を凝らしに凝らすという職人タイプの指揮者による演奏を鑑賞しようとする場合にパートバランスは生命線である。フルヴェン(イケイケ型)やクナ(テキトー型)とは事情がまるで違うのだ。

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交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
ハンス・ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団
60/12/17
ARKADIA GI 772.1

 上で「手は出さん」と書いていたのに尼損のマーケットプレイスにて1400円で売られていたのを見て出来心購入してしまった。
 届いた品のジャケット右端、指揮者の顔写真を見てちょっと驚いた。こんなショボくれたオヤジだったとは! だが演奏はそんなことを微塵も感じさせない。最初から最後まで凛々しいという形容がピッタリと来る。3番が「ブルックナー指揮者」としての試金石という私の持論に照らせば、優にその水準をクリアしているといえる。また第4楽章の出来が群を抜いて素晴らしいと聴いたのは後任(3代後)で同タイプ(冷徹型?)のギーレンと一緒だが、これは何かの偶然だろうか?
 ところで、パートバランスに対する折角の細かな配慮もモノラルでは十分に感じ取れないという問題点は先の5番と全く同じはずなのに、なぜか当盤ではあまり不満を感じずに済んだ。逃げるようだが、これもあるいは曲のスケールや性格の違いで片付いてしまうのかもしれない。何してもモノラル録音ではセル&SKD盤に代わってトップの座に就いてもらう。なお、おまけに付いていたモーツァルトのホルン協第2番だが、ブレインの名人芸というのは正直よくわからなかった。ザイフェルト盤(カラヤン&BPOの伴奏)があればいいや、という気分である。

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交響曲第8番ハ短調
ハンス・ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団
55/11/17
Urania URN 22.188

 これも「毒を食らわば皿まで」的に3番入手から程なくネットオークションで落札した。当盤もモノラルだがヒスノイズがかなり耳に付き、上記35番より音質はハッキリ劣る。
 前半2楽章はなかなかのものである。ともに13分台で快速テンポ採用ながら決してイケイケにはならない。ここでもロスバウトお得意の理知的演奏を繰り広げていると判る。だが・・・・続く第3楽章で全てが終わった。
 オクの出品ページに掲載されていたケース裏画像から、アダージョのトラックタイムが常軌を逸している(何と18分05秒!)ことは知っていた。そのせいでトータルタイムはたった64分32秒である。(たぶんダントツの最短記録だと思っていたが、Berky氏のサイトよりその上を行くディスクがあると知り腰を抜かした。スタインバーグ&ボストン響による1962年の演奏を収めたVibrato盤 (VLL-31) は順に13:46、13:24、20:16、14:00でトータル61:30らしい。ありえなーい!)この指揮者がアダージョをリニアモーターカー級スピードで爆走するとは考えられないから、おそらくは大幅カットを施していると推察できた。それならそれで面白いだろうと私は考え、入手に踏み切ったのである。ところがである。
 14分20秒で終盤の静寂部分に突如ワープしてしまう。茫然自失。地獄の底に垂らされた蜘蛛の糸による救済、あるいは耐えに耐えて遂に訪れた輝かしいクライマックス等々、この楽章の聴きどころが完全に葬り去られている。これは酷い! 音楽の解る人間なら絶対にこんなことをするはずがないから、この言語道断級の悪行は間違いなく制作者の仕業である。フィナーレを聴く気も完全に失せてしまった。こんなディスクは評価に値しない(←山岡士郎口調で)。

おまけ
 上記カットについてはBerky氏ももちろん言及している。SWRアーカイヴスのテープでは第3楽章の演奏時間が26分11秒と真っ当であり、氏はそれゆえ "What happened to eight minutes of the Adagio?" および "The edit is smooth and hard to find but why was it ever cut?" との疑問を呈していた。ちなみにノーカットの演奏はEn Larmesから青裏(ELM 06-691)としてリリースされているらしい。

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