交響曲第8番ハ短調
ヴラディーミル・フェドセーエフ指揮モスクワ放送チャイコフスキー交響楽団
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RELIEF CR 991063

 この8番のディスク評を4番ページの下にくっ付けなかったのは他でもない。上記のようにオケ名が異常に長いため、同居させるとタイトルが表示できないからである。これは「犬」および「塔」通販サイトで使われている表記で、確かに "Tchaikovsky Symphony Orchestra of Moscow Radio "という英語表記を忠実に訳していると思ったから私も採用することにしたが、本当にこんなケッタイな団体が存在するのだろうか?(「チャイコフスキー記念モスクワ放送交響楽団」という記載も目にしたが、どこにも "memorial" という単語がないため少々ひっかかる。)そういえば、かつて西本智美がロシアの名門国立オケであるボリショイ交響楽団の主席指揮者に就任するという「快挙」をこぞってマスコミが報じたが、実は民営の「ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”」という相当怪しげな名前の新設団体だったという落語のようなオチが付き、某掲示板でもちょっとした騒ぎになったことがあった。そんな訳で胡散臭さも漂わせているオーケストラだが(もちろん実際には当方が勝手に感じているだけであるが)実力はなかなかのものである。
 4番2種がともに期待外れだったためフェドセーエフの真価を探るべく機会を窺っていた私だが、当盤の存在を通販サイトの検索にて知ったものの初稿使用と知ってガッカリ。もはや手を出す気が失せてしまった。ところが今年(2006年)3月の東京出張時に立ち寄った「組合」お茶の水店で出来心購入。(そんなに高くなかった。)後悔半分の気持ちで帰宅し、さほど期待しないで試聴に臨んだがビックリ! ブルックナーのディスクに関しては久々の嬉しい誤算である。最後の最後に勝って何とか残留を決めたという訳だ。
 最近アップしたライトナーのページ(7番評)には、ヴァントの芸風に対する「一小節ごとに伸び縮みしている」という某掲示板のコメントを紹介した。当盤を聴いて直ちに思い出したのがそれである。とにかく同じテンポで留まっているということがない。めまぐるしく移り変わる情景に付いていくのが精一杯で退屈する暇がない。響きが整理されているとは到底思えない箇所を下手に化粧で誤魔化したりしていないのも良い。どう聴いても不協和音っぽいが、それでこそアホ弟子達の頭ではどうしても理解できなかったという前衛作品だったことが実感できるというものだ。同サイトには「ロシアン・ブラスの強烈な響きに圧倒される」という別人のレビューも出ていたが、その効果も絶大である。冒険をなるべく回避した結果、砂を噛むような平板演奏に終始していたインバル盤は言うに及ばず、そこそこ満足できていたティントナー盤をも蚊帳の外に追いやってしまうほど強烈な印象を受けた。「犬」のユーザーレビューにも似たような記述を見つけたが、「同じ1887年版のインバルよりまし」はないだろう。「月とスッポン」である。
 よく考えたら、私がゴチャゴチャ書くまでもなく、「ダイヤモンドの原石的な所と、ロシアのダイナミックな響きが、奇跡に近いほどマッチしている」で言い尽くされているような気がしてきた。ということで、ここら辺りで締めることにしたいが、アダージョのクライマックスについては触れない訳にもいくまい。シンバル6発(3×2)を全く手加減していない。これには胸がすく思いだった。ブルックナーが7番の大成功に気を良くしていたのは間違いない。次作におけるシンバル大幅増は祝砲(自身に対する一種の御祝儀)である。本心では「第九」(もちろんベト)のエンディング、もしくはチャイ4の終楽章ぐらい乱れ打ちしたかったのではなかろうか?(そんな芸風ではないと判断したから自粛したけれども。既にティントナー盤ページに書いたが、浅岡弘和の「気の緩み」という考えをぼくはとらない。)だから、その心意気を汲み取って音にしなければ何にもならない。当盤を聴くと、インバルはあれが恥ずかしくて仕方がなかった(のでコソコソと申し訳程度に叩かせた)としか思えないが、それならば初めから演奏すべきではなかったのだ。
 最後に先述したテンポ伸び縮みについて。そういう乱暴狼藉スタイルを極め尽くしたフルトヴェングラーこそが、この初稿を採り上げるに最も相応しい指揮者であったと私は考える。なので彼が録音を残していないことが惜しまれてならない。次善は構造クラッシャーのシューリヒトあたりか? 最凶ブラス・セクションを擁するシカゴ響とショルティのコンビでも聴きたかったが、その機会も永久に失われてしまった。

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