ギュンター・ヴァント指揮ケルン放送交響楽団

交響曲第1番ハ短調  81/07/11      BMG (RCA) BVCC-8911〜12
交響曲第2番ハ短調  81/12/01〜05   BMG (RCA) BVCC-8911〜12
交響曲第3番ニ短調  81/01/17      BMG (RCA) BVCC-8913〜14
交響曲第4番変ホ長調 76/12/10      BMG (RCA) BVCC-8913〜14
交響曲第5番変ロ長調 74/07/07      BMG (RCA) BVCC-8915〜16
交響曲第6番イ長調  76/08/16〜25   BMG (RCA) BVCC-8915〜16
交響曲第7番ホ長調  80/01/18      BMG (RCA) BVCC-8917〜18
交響曲第8番ハ短調  79/05/28〜06/02 BMG (RCA) BVCC-8919〜20
交響曲第9番ニ短調  79/06/05〜10   BMG (RCA) BVCC-8917〜18

 かつて私はKさんに以下のようなメールを送っていた。マドレデウスというポルトガルのグループによる「陽光と静寂」というアルバム(94年8月31日国内盤発売)をそれまで彼らの最高傑作と思っていたのだが、2001年4月に登場した新作「ムーヴメント」によってそれが覆されてしまったということを述べていた。ところが、いきなり(そしていつものように)話題がヴァント&ケルン放送交響楽団のブルックナーに飛んでしまう。ちなみに、(ここでも脱線して恐縮だが)「陽光と静寂」の冒頭に収録されている「コンセルティーノ」(組曲)は、20世紀に作曲された中ではR・シュトラウスの「4つの最後の歌」と肩を並べる歌曲集の最高傑作だと私は思っている。

>  ここで『陽光と静寂』はギュンター・ヴァントが1970代から80年代初め
> にかけてケルン放送交響楽団と録音したブルックナー交響曲全集に喩えられ
> るのではないかとふと思ったのでした。 時折NHK交響楽団にも客演して
> いた70年代のヴァント(当時は「ワント」と表記されていた)は「堅実な
> だけで面白味がない」と評される地味な存在でした。しかし、常任指揮者を
> 務めていたケルン放送響との録音は、BPO等に比べれば技術の一段劣るオー
> ケストラを徹底的に鍛え上げることによって、ヴァントの解釈が余すところ
> なく表現されている極めて完成度の高い演奏です。(ただし発売当時、日本
> では全く注目されませんでした。最近のヴァント・ブームによってようやく
> 評価されるようになりましたが・・・・)しかし、それらを最高傑作とまで
> 考える人は極めて少ないはずです。その次に常任に就いた北ドイツ放送響と
> の再録音(88年〜93年)と比較すれば、緻密な演奏が仇となって少々窮屈
> さが感じられ、スケールが不足しているという印象がどうしても拭えません。
> (出来不出来のあまりにも激しい90年代後半のBPO盤は、所詮は年に1〜
> 2度の客演時における録音ですから同列には論じられないと私は思っていま
> す。論じている人も多いですが。) これまた長い前置きで申し訳ありませ
> んが、言いたかったことは「ケルン盤は当時のヴァントとしては最高の仕事
> だった」ということです。そして、その後の彼の人間的(内面的)成長が旧
> 録音の印象を薄れさせるまでに新録音を素晴らしいものにしたということで
> す。(オケはどちらも放送交響楽団で技量に大きな差はないですから。流石
> のヴァントも最近はオーラだけで指揮しているような感がありますが、70歳
> どころか80歳を過ぎても成長を続け、決して老人性弛緩には陥らなかった
> というのは・・・・・実に恐るべき人です。(01/09/13)

 ということで、ケルン時代のブルックナーについてはヴァントがよほど好きな人以外はチェックしなくても良いだろう。後の北ドイツ放送響やベルリン・フィルとの録音により優れたものがあるからだ。ちなみに私はネットオークションで上記全集(2枚組×5)を入手した。送料や振込手数料も含めて約6000円だった。
 宇野功芳は、「『固く結晶したバラの実のような無駄のない厳しさ』を特徴とするヴァントのブルックナーは5番、7〜9番のような大作ではスケールがやや小さい」という理由で、(規模の小さい)3番と6番を最高傑作に挙げた。この評価に対して異を唱えるつもりはない。が、3番の規模が小さいというのはどうだろうか?(6番については同意する。)演奏時間こそ短いものの、3番の音楽自体はかなりダイナミックであり、特に両端楽章は宇宙的な広がりにも不足していないと感じる。規模の大きい順に並べるなら、まず8番、わずかに及ばず5番、続いて4番だと私は思う。(4番の両端楽章は全11曲のどの楽章の中でも極めつけの宇宙的スケールである。その反面、森の中の散策や狩りを描いたような第2、第3楽章はローカルサイズであるが。)その次が3番で、7番は大気圏から一歩も出ていないように私は感じてしまう。9番は演奏次第で宇宙的極大スケールにも素粒子的微小スケールにもなりうる不思議な曲だと思う。
 脱線はこれくらいにして、この全集中で特に完成度が高いのは7番と9番だと思っている。特に9番は叩いてもビクともしない鋼鉄のようだ。あまりにキッチリしていて息苦しさを感じてしまうが・・・・5番は他が聞こえなくなってしまうほどのブラスの炸裂が聴き物である。ただし、例のネット掲示板に「ケルン放響盤は金管の音が汚い」という意見が出されているように、あのブラスを受容できるか否かがこのコンビの演奏に対する評価の分かれ目であるように思う。3番も決して悪くはないが、後のNDR盤があまりにも素晴らしすぎる。4番は快速テンポが私には受け入れられない(嫌い)。それから、8番は1971年のギュルツェニヒ管に始まり2001年のベルリン・フィルで終わるヴァントの演奏スタイルの変遷を辿ろうとする者にとっては必聴である。蛇足ではあるが、1番と2番は海賊盤も含めて上記の録音でしか聴けない。
 以下も余談であるが、この全集のブックレット前半に収録されているヴァントのインタビュー「ギュンター・ヴァント、大いに語る」は面白い。特に聞き手が許光俊のBVCC-8913〜14(3&4番)とBVCC-8915〜16(5&6番)は圧巻である。プロモーションの拙さに不満をぶちまけたり、指揮者(自分)とオーケストラの名前を載せなかった新聞を「犯罪」と糾弾するところなど吹き出してしまった(括弧書きによるヴァントの描写が秀逸)。こういう俗っぽさも含めて、指揮者の素顔を包み隠すことなく原稿として起こしてくれたインタビュアーを称えたい。
 ところで、ヴァントはハース版を使っていたという理由でベームやカラヤンを「馬鹿ではなかった」と評していたようだが、(知名度こそ負けていたものの)実力でははっきり自分が上だと思っていたからこその余裕のコメントではないだろうか? これに対して、「チェリビダッケをどう思うか?」には「そういう質問は止めて下さい」と真顔になって回答を拒否したということだが、これはチェリを本気でライバル視していたことの現れではないかという気がする。(新聞批評に腹を立ててウィーンを2度と訪れようとしなかった等)評判を気に懸けるような人間がライバルを認めるような発言などするはずがないではないか。

追記
 8番ベーム&ケルン放送響ページの執筆中に、上で載せたメール中に大間違いがあることに気が付いた。ヴァントはケルン市の音楽総監督こそ務めてはいたけれども、放送響の常任指揮者あるいは首席指揮者の地位に就いたという事実はない。おそらく、この種の誤りは当サイトの至る所に散りばめられていることだろう。トホホである。

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