交響曲第8番ハ短調
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
05/07/01〜02
Querstand VKJK 0604

 6番評ページで述べたように、ネット評の高かった8番のリリース情報を得たため直ちに注文を入れた。通販サイトの宣伝文によると、ゲヴァントハウス管の常任指揮者としての最後のコンサートのライヴ録音らしい。このコンビの初録音はLONDONレーベルへの9番だったから幕引きにも同じ作曲家を選んだということである。エリートサラリーマンの風貌に相応しい義理堅さを物語っているようだ。ハイブリッドSACDによる2枚組ながら2275円(ただしマルチバイ割引価格)というお買い得価格も嬉しい。チェリの5番86年東京ライヴを4000円以上(25%割引でも税込¥3535)という時代錯誤価格で売ろうとしているAltusレーベルも見習えと言いたい。(値崩れして3000円切るまで絶対買わん。)
 発売直後(2006/12/11)に某掲示板のブロムシュテットのスレッドに「宇野珍ポーコー」と名乗る投稿者による「日本語の解説が最後にあるが、ぼくの執筆であることを諸君に伝えておく」という書き込みがあった。しかしながら、宇野を彷彿させるのは最後の文の「賜物といえよう」という終止形のみである。彼は「ソリッドでスタイリッシュな」とか「オーケストラ・ビルダー」といった外来語は使わないから十中八九別人といえよう。また、「帯の売り文句がちょっと虚っぽくて嫌な感じ」という指摘もあったが、「そうなのだ」という断定口調がそれっぽいだけで許光俊との共通点はどこにもない。たぶん輸入総代理店である東武ランドシステムの社員が書いたのであろう。(なお帯の文章は解説を一部抜き出しただけである。2日後に「日本語解説、たしかにチンポーコー先生のような文体・中身だね。帯は虚チック」というカキコを見たが大間抜けである。)
 さて、図らずも許を持ち出すこととなったが、実のところ当盤の印象を記すにあたっては見事に先を越されてしまった。それは犬サイトの連載「言いたい放題」の第99回「年末のびっくり仰天」中の一文「第3楽章が、信じられないくらいすばらしい演奏なのだ」である。許は冒頭からこれまで全く評価してこなかったブロムシュテットへの執拗な口激を展開し、「私にとってこの指揮者は関心の外どころか、軽蔑の対象だったのである」で段落を結んでいる。が、そんな彼をして(「騙されたつもりでとりあえず聴いてみた」らしいが)当盤は「とてもこの指揮者とは思えない演奏」と言わしめるほどの出来映えだったのだ。
 まず「ハッキリ言って、第1、2楽章はとりたてて賞賛するほどではない」は同意半分といったところ。LGO着任直前の9番でも既に兆しは見られていたが、スケール感の拡大傾向が次第に顕著になっているブロムシュテットゆえ、この8番を1枚に収めるようなセカセカテンポなど採用するはずがないという予測は十分に立っていたが、案の定堂々たる歩みを押し通す。適度な緩さ(決してユルユルではない)もこの曲ではプラスに作用しているようだ。第1楽章の中間部の微加速、およびアッサリ気味のカタストロフと直後の迫力不足のティンパニが引っかかったが、これだけの演奏を聴かせてもらえれば十分合格点は出せる。スケルツォも欲を言えば前楽章のテンポと歩調を合わせてもらいたかったところだが、楽章単位ではまあ問題ない。しかしながら、真に素晴らしいのはCD2に入ってからである。「第3楽章のためだけにこのCDを持っていても損はないはずだ」は本当だ。冒頭の繊細な弦楽合奏を聴いたらもう溜息が出てしまった。第1楽章以上にリズムの厳格さが求められないため弛緩を恐れる必要がなかったのだろう。ほとんど30分を使ってゆっくりゆっくり進めている。ハープが入ってきたところで思わず「桃源郷」という言葉が浮かんだ。白眉はハース版およびノヴァーク1稿の固有配列(209〜218小節、当盤では20分19秒〜21分16秒)である。弦の厳かさ(20分53秒からの念の入れ方がまた凄い)と管の音色の美しさ、そして両者の絶妙なバランス。この部分だけを採ればダントツ、ヴァントもチェリビダッケもまるで太刀打ちできない。残念なのはクライマックス直後(24分11秒〜)の弦のダメ押し。いくら何でもやりすぎだ。ヴァントの受け売りのような気もするが、聞き手に解釈を感じさせてはいけない。マーラーじゃないんだから。終楽章も充実しているが、前楽章でお腹いっぱいになってしまっているためかイマイチ感動できない。先に述べたのとは逆になるけれど、冒頭のティンパニなど多少の乱暴狼藉を許しても良かったのではないか。コーダにしてももうちょっと華やかさが欲しい。アダージョの「静」vsフィナーレの「動」という対比の構図を明確に打ち出していれば印象は格段にアップしていたような気がする。もしかすると指揮者はこのオケ伝統の渋い音色では中途半端になりかねないと判断して正攻法を貫いたのだろうか? ならば賢明な選択といえるかもしれない。

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