ヘルベルト・ブロムシュテット

交響曲第3番ニ短調
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
 シュターツカペレ・ドレスデン
 サンフランシスコ交響楽団

交響曲第6番イ長調
 サンフランシスコ交響楽団

交響曲第7番ホ長調
 シュターツカペレ・ドレスデン
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

交響曲第8番ハ短調
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

交響曲第9番ニ短調
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 クラシック開眼後暫くは「N響アワー」を毎週のように観ていたにもかかわらず(そして名誉指揮者としてN響とは関わりが深かったにもかかわらず)、ブロムシュテットもシュタイン同様あまり印象に残っていない。N響何十周年だったかの特別番組でマーラー5番アダージェットの最後の盛り上がりを振っていた時の情熱的な姿が目に留まった程度である。(その映像は「N響アワー」のオープニングにも使われていたことがある。)他にNHK-FMの「海外クラシックコンサート」でブルックナーを2度ほど聴いたはずだが(しかも当時まだ珍しかった初稿使用だったはずだが)、どんな演奏だったかは全く思い出せない。むしろ、かつて名古屋グランパスエイトの監督(95〜96年)だったアーセン・ベンゲル(現アーセナル)と何となく風貌が似ているというイメージが強い。ただし写真によっては全然似ていなかったりする。(ついでながら、この点ではガーディナーも一緒である。)上記リストの3番ジャケットがその例だが、最近少し太ったのかしらん? 一方、ベンゲルも最近は眼鏡をかけなくなったから両者は完全に別人となってしまった。(←元からそうだって。)ここでベンゲルで脱線したくなった。
 私が南米から帰国して間もなくJリーグが発足したが、開幕前年(92年)のナビスコカップでグランパスは予想外の快進撃を見せ、当時名古屋に住んでいた私にも大いなる期待を抱かせた。ところが、いざ蓋を開けてみたら鳴り物入りで入団したリネカーが全く期待ハズレだったこともあって(浦和レッズほどではなかったものの)不甲斐ない戦いぶりに終始し、最初の2シーズンは下位に沈んでいた。(そういえば技術が未熟なだけならまだ許せたが、その頃の一部審判によるヴェルディ贔屓には目に余るものがあった。後に一掃されたから良かったけれど。)それを僅か1年の間に天皇杯を制するまでに立て直したのが他でもないベンゲルである。日本サッカー協会もその手腕を認め、代表監督に呼んだらどうかという話が持ち上がったのだが、グランパスのフロントが転出を渋ったため結局はお流れとなった。中日スポーツに出ていたが、折角強くなったチームが再度弱体化するのを嫌ったという話である。そして、ようやく「岡ちゃん」の後任としてフランス大会終了後に正式オファーが出た時にはアーセナルとの契約を理由に断られてしまった。(その後彼が英国で大成功を収めたこと、および彼の推薦により同国人のトルシエが代表を指揮することになったのはご存知の通りである。)一蹴球団が名監督に逃げられたという以上に日本サッカー界にとって大きな損失だったのはいうまでもない。そういえば小倉隆史がサッカー留学先のオランダで大活躍(2部ながらチーム得点王)した際も、このまま残ってプレーしたいという本人の希望は叶えられず無理矢理呼び戻されてしまった。彼はJリーグでもそこそこ活躍したものの、後に右足の靱帯を断裂するという大怪我を負い、その時点で日本のエースストライカーとして活躍するという夢は事実上断たれてしまった。あまりに弱いグランパスの人気凋落に歯止めをかけることが狙いだったのだろうが、結果的には球団側にとって小利大損でしかなかった訳だし、その近視眼的ビジョンの犠牲となった小倉が私は不憫でならなかった。(このページ執筆中にYahoo!スポーツで小倉引退の報を知った。涙。32歳での引退は早すぎる。)グランパスはベンゲル時代の95年に続いて99年も天皇杯を制したものの、いまだにリーグではステージ優勝すら達成していない。どうもこういった辺りは名古屋人のセコさが災いしたように思えてならない。もっとも、それが三大都市圏中では最も高い持ち家率や平均貯蓄額、そして最も着実な景気回復の原動力となっていることを認めるに吝かではないのだが・・・・ここからさらに暴走する。今年(2006年)初めに新聞投書頁の囲み記事「私の視点」にて「新しいことをやろうという発想が全くといっていいほどない土地柄」という地方公務員のコメントに思わず肯いてしまったが、そういえば私はみみっちいという以上に保守的な体質にイライラさせられることの方が多かったように思う。「普通教」「普通信仰」とでも呼んだら良いのだろうか、大学時代の同級生による「普通=善」という(明らかに全国有数の管理教育の効果と思われる)価値判断に唖然とさせられたことは数知れない。「フツーそんなことしんぞ」(しないぞ)などと幾たび非難されたことか。もちろん他地域出身者は別だが。そういえば、旧七帝大ながら東海三県(愛知、岐阜、三重)の出身者が常に8割近いというのは普通ではない(←報復)。あと、さいはての地ながら関西地方に戻って来てつくづく思うのだが、とにかくシャレが通じないのは参った(突っ込むと「怒られちゃった」、ボケると「オマエ何言ってんだよ」といった反応しか返ってこないので拍子抜け)。彼の地にろくなお笑い番組がなかったのも無理はない。(貶してばっかりだと怒られてしまうので一応フォローもしておくが、緑の多いあの街が私は基本的には好きで、少なくとも東京よりはよっぽど住み心地が良いと思っている。また、最初の下宿の大家さんを筆頭に素朴で人情味溢れる名古屋のオバチャン達は言葉を尽くしても褒め尽くせないほどである。)戻って、「ジーコはドイツW杯を最後に代表監督を勇退することが既定路線で、その後任候補としてベンゲルが浮上している」というニュースを昨年11月に知り、私は複雑な気持ちになった。今は「失われた8年間」にならないことを祈るばかりである。(なお、私は今年6月のドイツ大会よりも平山や松井が主力として活躍するであろう次の南ア大会に期待している。ベンゲルが率いてくれるなら尚更だ。→2006年8月追記:あーあ、やっぱり危惧していた通りの結果に終わってしまった。ベンゲルには逃げられたが、オシムが就任してくれたのでひとまずホッとした。)
 どうも無関係脱線話の方が長くなることが避けられない情勢になってきた。初めて買ったブロムシュテットのCDはニールセンの45番で、その後(ブル4サロネン盤のページに書いたように)中古屋で他も揃えてしまった。北欧人ゆえの相性の良さ(作曲家はデンマーク人で指揮者はスウェーデン人)というのは正直わからなかった(今もわかっていない)が、大の愛聴盤となった。ブルックナーはディスク蒐集プロジェクト開始時点で購入対象にした。「名曲名盤300」(93年版)のブル7の項で渡辺和彦が「ブロムシュテットのドレスデン時代の最上の演奏といっていいだろう」として推していたからである。他に小石忠男と小林宗生も点を入れていたため3人合計で7点、1位カラヤン&VPO盤の19点には水を空けられていたものの2位に入っていた。そこで「デンオン・ベスト・マスターズ」シリーズ(税抜1700円)を4番(こちらは小石1人が推薦)と共に同時注文し入手した。その後「CREST1000」として再発され臍を噛んだのはマタチッチと同じであるが、演奏自体には大いに満足している。一方、LONDON(DECCA)レーベル移籍後の90年代録音(ゲヴァントハウス管との9番、およびサンフランシスコ響との46番)は未入手&未聴である。SKDとの47番に比べてネット評もイマイチという印象で興味が湧かなかったためである。しかしながら、これらは売れ行きも振るわなかったのかネット通販からも次々と姿を消しつつあるようで、中でも6番はオークションでも高騰するようになってきたから、確保するなら今の内かもしれない。まだその気にはなれないでいるけれど。(そういえば、ネット情報によると宇野功芳が9番LGO盤を酷評したらしい。朝比奈盤を持ち上げるための噛ませ犬、つまり例の卑劣戦略の餌食になったようだが、どういう事情にせよ、そういうことなら私は気に入るかもしれない。)3番は東京出張時に新宿「組合」にてケース裏の "1. Fassung von 1873" という表記に釣られて購入した。いずれも品行方正なエリートサラリーマンを思わせる風貌にピッタリと言いたくなるような折り目正しい演奏ゆえ、批評執筆には困難を極めることが予想される。やれやれ。

2006年8月追記
 サンフランシスコ響との4番および6番をヤフーオークションにて入手。

2006年12月追記
 さらにゲヴァントハウス管との8番および9番が加わった。

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