交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン
81/09/07〜11
DENON COCO-85053

 HMV通販サイトの連載「許光俊の言いたい放題 第71回」はピアニストのレーゼルと東独指揮者による協奏曲集を採り上げたものだが、そこでブロムシュテット&SKDの演奏についても触れられていた。「若いうちからこんなすごい楽団を指揮していたおかげで、名指揮者だと誤解されてしまった」とあり、許が評価していないのは明らかである。ちなみに、某掲示板には「日本では、N響を振り過ぎると、その指揮者の評価が下がる」という投稿があった。他ならぬ私もかつてはその1人だった訳だが(今は必ずしもそうでもない)、許は昔も今も変わっていないようで、他にサヴァリッシュもボロクソに書いているし、シュタインにしても「バカではない」という程度の扱いである。(ライトナーを例外的に評価しているのが謎だったが、最近知ったことには彼はN響名誉指揮者ではなかった。それが理由だろうか?)ついでなから、そのエッセイでは大嫌いなはずのマズアを(もちろん褒められてはいないものの)特に貶していなかったのが私には大いに意外だった。
 さて、当盤第1楽章のトラックタイムは約18分半とやや短く、冒頭からテンポも速めである。まず流れの良さに私は耳を奪われてしまったが、さらに1分38秒からが全然うるさくないのに感心した。「あたかも一つの楽器のように溶け合って響く」を最終目標としたセル&クリーヴランド管とは別種かもしれないが、きめの細かい布地のような極上の響きも等質性の追求がもたらした勝利といえるだろう。何せ特定パートの突出がないから、またテンポいじりを極力避けているから、その反動によるスカスカ感がない。(レガート奏法を強化すればするほどその恐れは減少するが、それだとカラヤン盤のように重々しくなってしまう。)ということで、これはヨッフム75年盤とは全く毛色が異なると言いたかった訳である。そもそも向こうは耳に突き刺さるように鋭い音色で、とても同じ団体の演奏とは思えない。許が「天下のドレスデン」と誉め称え子分(鈴木)もヨイショしていたSKDであるが、ここで私が(あくまでディスク試聴から)抱いているイメージを挙げるとすれば、ブロムシュテット盤(DENON)は「滑らかさ」、シノーポリ盤(DG)は「充実した響き」、ヨッフム(EMI)は「ケバケバしさ」である。前のものほど評価が高い。これはエンジニアによるバランス調整も大きく影響しているだろうが、全く澱みのない、それでいて上滑りしたところのない音楽を聞かせてくれるというだけで私にとっては「名指揮者」の資格十分である。
 最初の数分ですっかり魅了され、それが3楽章までは裏切られることのなかった当盤だが、終楽章だけは「若気の至り」という訳でもないだろうに(録音時の指揮者は54歳で壮年期だったのだから)少々わざとらしさを感じるような「解釈」が聞かれた。特に15分を過ぎてからの極端加速には疑問だ。とはいえ、他に興醒めするほどの逸脱行為は聞かれず、全体としては真っ当演奏であることに変わりない。むしろ、あまりに聴き心地が良すぎるのが玉に瑕といえるかもしれない。他盤では聞きどころとして構える部分ですら、いつしか通り過ぎてしまっていたりする。既にあちこちに書いたような「特に欠点のない演奏」中でもワンランク上に位置することは間違いないのだが・・・・

おまけ
 当盤の解説執筆者は例の評論家。実演では金管の最強奏に苦言を呈していたけれども、「最近のアルバムではクーベリックと並んで広く推薦しうるものであろう」と述べるとともに既発の7番にも言及し、「これまた至って真面目な解釈で、ケレン味を排し、オーケストラの美質を最大限に発揮させた指揮ぶりが、ブルックナーだけに成功していた」と賞賛していた。とりあえずCDブックレットでは褒めておく。いつものやり口だ。そして、目次ページで触れたように朝比奈盤を褒める際には手のひらを返したかのような酷評を平気で書く。この節操の無さが彼らしいと言ってしまえばそれまでだが、私はどうにも腹の虫が収まらないので、某掲示板のブロムシュテットスレより宇野の矛盾を指摘した一連の投稿を抜き出して載せておく。

 宇野功呆はどうしてブロムシュテットけなすの?
 それも朝比奈を誉めるときの引き立て役としてばっかり。
 音が薄いとか精神性がないとか、どうしてそんなこと言うのか理解できないんだが。

 宇野なんかほっとけよ。

 誉め頃しか誰か貶して引き立てるか、の2つしかパターンないじゃん。
 ほっとけ。

 > 音が薄いとか精神性がないとか、どうしてそんなこと言うのか理解できないんだが。
 宇野自身が薄っぺらで精神性がないからさ

 朝比奈の方がよほど精神性に乏しいよね。
 リハなんか「そこもっとしっかり弾いて下さいね」とか
 「フォルテの後はすぐピアニッシモになります」とか
 ばっかりでまさしくただ楽譜をなぞってただけ。
 一期一会とか脱マンネリとか一見聞こえはいいが
 実際は場当たり主義で解釈は一定しなかったし
 「今回はクレンペラーを真似てみた」なんて公言して
 憚らない恥知らずな面もあった。
 宇野某はハイティンクを「愚鈍の塊り」と貶す一方で
 朝比奈の鈍重さは「重厚な朝比奈サウンド」とか称揚してたが
 朝比奈こそ「愚鈍の塊り」だろ。

 麻雛は愚鈍なのではなく、「愚直」なのである、とか言いそうだ。

 宇野が朝比奈をやたら持ち上げるのは昔からだから別にどうとも思わないが、
 なぜそのときにブロムシュテットを引き合いに出して貶すのかは不思議だ。
 やっこさんの数年前のレコ芸に載せたブロムシュテットのブル9の新譜評なんか、
 全楽章聞くに堪えないと切って捨てたうえで、途中から紙面がぜんぶ
 朝比奈礼賛の文章で埋まっててびっくりした。

 それが宇野クオリティ

 どうせヴァントみたいなブーム(来なくていいが)きたら
 手の平返して驚くべき深化とか言い出すんだし。

 宇野は録音が良ければ意外となんでも誉めるよ。ブロムシュテットのブル9は
 DECCAとしては変な録音だし、当然宇野のオーディオもロクでもないもであるから、
 その辺を考慮しないと。

 ゲヴァントハウスを振ったブルックナー、あらためて聴くと凄い名演だと思う。
 旧東ドイツのオケらしい渋くてまろやかな響きと英米系楽団と比較しても遜色のない機能性が
 高い次元で両立されている。金管が美しいコラールを奏でる一方で、スケルツォのリズムの切
 れ味の良いこと!

 宇野はダイナミックレンジを広くとった録音はほぼすべてNG(かつては誉めていたシャイーの
 最近の録音がその典型)。自分のオーディオを棚に上げて(?)、「弱音が死んでる」とか言
 い出す。

4番のページ   ブロムシュテットのページ