交響曲第6番イ長調
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団
90/10/08
DECCA 436 129-2

 当初目次ページには消極的態度を示していたにもかかわらず、ヤフオクにて当盤の入札に踏み切った理由はいくつかある。まず将来入手が困難になると予想されること。(オークションでも一時期ほどは高騰しなくなっているが・・・・)サンフランシスコ響によるブルックナーを未聴だったこと。このコンビによるニールセンがことごとく名演だったこと。そしてスタート価格が高くなかったからである。実は同オケとの4番とのセットで1600円で出品されていた。無競争とはいかなかったが、諸経費込みで1枚当たり1100円ちょっとだから悪くない買い物だった。こうなるとリリースされている音源で残っているのはゲヴァントハウス管との9番だけということになる。だが、そちらには手は伸ばすまい(よほど安ければ別だが)。中古市場では結構値上がりしているし、LGOの9番は既にマズア盤を持っているから。私はむしろ最近演奏され、某掲示板での評価が非常に高かった5番と8番の発売を心待ちにしている。
 それでは本題に入るが、まず「ジークフリート牧歌」がトラック1に置かれていることについて触れねばならない。これまで私はブルックナーの交響曲の後にフィルアップとして他曲を収めることに対し、しはしば異を唱えてきた。当盤ではトラック2から再生を開始すれば良いから、その点では文句はない。ただし、普通にワーグナーから再生した場合に問題が生じる。トラック1とのインターバルが短いため、「牧歌」が終わると直ちにブル6が再生されてしまうのである。余韻に浸る暇もなく例の「チャッチャチャチャチャ」という神経質な刻みが耳に飛び込んでくるから全てがぶち壊しである。もし再発を考えているのなら制作者には是非この点で改善をお願いしたい。(他にいっぱい持ってるから、オマケの方は別に聴かなくたっていいんだけどね。)
 さて、「神経質」と書いたけれど当盤の出だしは相当なものである。その脱兎のごときテンポのまま第1主題提示に突入してしまう。が、しばらく聴き進んだ後、私は「その手があったか」と思わず手を打った。ドイツのオケのように凝縮した響きではないため、同じような解釈を採っても小さくまとまってしまうことがない。これなら同じく米合衆国のオケを振ったショルティ、ロペス=コボス、あるいはエッシェンバッハのように「イケイケ」にしなくとも(ティンパニやブラスの乱暴狼藉に頼らずとも)聴き手に「つまらない」と感じさせることを防げる。アイデア賞ものである。なお、既にニールセンの交響曲全6曲で馴染んでいたが、サンフランシスコ響の演奏はいつも颯爽としており、それでいて落ち着きが感じられるから私は大好きだ。これを聴くと「欧州のオケに比べると」云々のコメントが戯言としか思えなくなる。(現代的な音がするのはヒューストン響やシンシナティ響といった新興団体はもちろん、シカゴ響やロス・フィルなどとも一緒だが、何かが少し違うような気がする。それが何かはわからないが、とにかくホッとするのである。)第2主題提示部から一気にテンポを大きく落とし、曲想に応じてさらに減速する。これが再現部でも繰り返される。つまり第1主題とそれ以後の対比をこの楽章の主眼に置いている。しかも他でいらんテンポいじりをしていないから、それに絞り込んでいるといえる。このように目的がハッキリしているから聴く側にとっても非常に解りやすい。退屈することがない。コーダに入って急にテンポを上げる指揮者が少なくないが、それをやると逆効果、ただでさえチンケな曲がさらに矮小化されてしまう。もちろんブロムシュテットはそんなアホなことはしない。それまでと同じテンポ、および節度を保ったまま楽章を締め括る。特に打楽器やブラスの乱暴狼藉に頼らずとも必要なスケール感が確保できることをこの人は分かっているのが偉い。最後のティンパニの1音にも気品が感じられる。
 第2楽章は溜息が出るような美しさが続出するが、こういった叙情的表現は他盤の多くからも聞けるものであろう。むしろ印象に残ったのは、10分台と12分台の後半の盛り上がりでブラスに手加減なしで吹かせていることである。(前楽章はやや抑え気味のように思ったが、ここを最重要楽章と位置づけて力を温存させていたのだろうか?)まるで7番アダージョのクライマックス(ただしハース版)のような輝かしさに満ちている。第3楽章はスケルツォの終わりのティンパニ炸裂が決まっている。「八分咲き」の感があった第1楽章に対し、「ごらん下さい、満開です」といったところか。抑えるべきところでは引き締めるけれど暴れ回らせたいところは緩めるという名騎手、いや名指揮者ぶりを発揮している。終楽章で第1主題と第2主題のコントラスト(強弱およびテンポ)が際立っていたのは既に第1楽章から予想された通り。全力投球ながら品のある締め括り方も同様。4分48秒以降のイラチまでは読めなかったけれど。
 4番と違って流麗そのものの演奏に物足りなさを感じなくもないが、これがオケの持ち味だから仕方ないかもしれない。とはいえ、行進曲調の部分で弦の刻みを強調するなどいろいろ工夫を心懸けているお陰か、6番としては珍しく最後まで退屈しないで済んだ。ショルティらのように「イケイケ」に徹する以外にも、行き届いたサービスによって聴き手に満足を与えることも十分できるのだ。まさに「目から鱗」「コロンブスの卵」的名演といえる。ショルティ盤によって破壊された感覚が当盤を聴いて少しだけ回復したような気がする。(なお、当盤のエンディングを聴いていてふと思ったが、この曲をウェルザー=メストが演ったら結構凄いことになっていたかもしれない。何せロンドン・フィルとの5番がアレだったから。11月に廉価再発される予定の7番を購入するか迷っているところだったので彼のことを思い出したという次第である。しかし、録音は残っていないようで少々残念。VPOとは演奏しているようだが。)

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