交響曲第8番イ長調
ラファエル・クーベリック指バイエルン放送交響楽団
77/05/12〜13
METEOR MCD-015〜16

 「その他(雑文)」のコーナーで「ブルックナー指揮者」について考察するつもりだが、何となく「47(番)系」と「58(番)系」をそれぞれ得意にする指揮者、および両系とも得意とするごく少数の指揮者に大別されると思っている。3番は前者、6番は後者にどちらかといえば近い。9番は同一線上には乗ってこない。ところが、クーベリックはどうもこの分類には当てはまらないような気がするのだ。34番では名演、名録音を残しながら7番は演奏記録すら残っていないようである。それでも8番が凡演だったら、5番を残していないこともあって「47系の変種」として強引に押し込むこともできたのだが、この77年盤は優れモノときている。ようわからん。
 前半2つの楽章はともに15分台。63年盤より少し遅くなっただけなのにスケールは格段に大きくなった。時に早足になることはあっても、全般的には余裕のあるテンポで進められるため、既に(指揮者はまだ62歳)堂々たる巨匠ような雰囲気が漂っている。(良質なステレオ録音のお陰でもある。ただし、ここでも6分過ぎのホルンが危なっかしい。)この後に録音された34番が名演となったのも当然という気がする。全集録音が計画されていたという話だが、そこでストップしてしまったのはまさに痛恨の極みである。と愚痴をこぼしていても仕方がない。さて、旧盤よりトラックタイムが3分近く伸びたアダージョだが、ここでのクーベリックも14年前同様に自然体で決して粘らない。シンバルが2度鳴って以降、気怠さを感じさせる演奏が多い部分もサラッと流す。やはり激しい終楽章に備えて力を溜めるための繋ぎと考えていたのだろうか?(ずいぶん長ーい「間奏曲」であるが・・・・)休息としての位置づけなら当盤のテンポの方が旧盤よりも妥当であるのは明らかだ。(15分台の前半楽章に続くアダージョとしては少々速めだと最初は思ったが、非常に遅いテンポを設定する指揮者は、部分部分を強調してメリハリを付けるとともに楽章内にも相当大きなクライマックスを設定している場合が多い。)
 今更のように気が付いたのだが、この指揮者は見得を切る、あるいは奏者に切らせるというということをしない。終楽章冒頭のティンパニも協奏曲状態にはならず、あくまで節度ある叩き方である。6分頃から走り出す。ここはテンポを上げずに巨人の歩みのような情景を描いてくれる方が好きなのだが。(ティンパニの最強打が加わるとなお良い。)とはいえ、ヴァントも81歳時の93年盤ではセカセカ気味だったのだから、60代前半のクーベリックがそうなっても仕方あるまい。この楽章は再現部以降(13分〜)が圧倒的に素晴らしい。繰り返し訪れる盛り上がり部分で溜めておいたエネルギーを発散させる。それも力づくではない。見事だ。ブラスの明るい音色が最もプラスに作用した例だと思う。ティンパニもここでは手加減しない。(ただし個人プレーには走らない。)そうそう、忘れてはならないのはシミジミ部分の繊細な表現。コーダ直前の美しさは特筆ものだ。
 ということで、壮年指揮者によるブル8としては勢いと風格の双方を備えた理想的演奏といえるのではないだろうか。

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