交響曲第8番ハ短調
ミヒャエル・ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団
90/12/13〜19
haenssler CD 93.061

 5番をほぼ70分で振り切った指揮者がこの曲に84分かけているのがどうしても理解できない。独特の体内時計を持っているのか、それとも6番ページで述べたように偶数番号と奇数番号では曲へのアプローチをガラッと変えているのか?
 何にせよ、この指揮者のことだから長時間演奏でも最後までダレることはないと予想されるが、それは決して裏切られることはない。確かな楽譜の読みに支えられた絶妙なテンポ設定のお陰だ。またパート間の音量バランスが非常に優れていることも大いに貢献している。ギーレンが偉いのは、そういうことに細心の注意を払っていても、それがいざ音になった時には神経質と感じさせない点だ。納得ゆくまで徹底して響きや構造にこだわるという指揮者は少なくないが、聴き手をそっちのけにしたような演奏は結局のところ耳障りなだけである。私の嫌いなスクロヴァチェフスキやアーノンクールには多分にそういうところがある。その点、当盤はちゃんと「ええ塩梅」をわきまえた演奏であるから安心して聴ける。
 細かい指摘はそこそこにするが、第1楽章中間部の盛り上がりでは予想通りアッチェレランドなしで押し切る。この演奏を最初に聴くと、あそこで尻軽加速する指揮者がアホとしか思えなくなるかもしれない。チェリが16分そこそこなので、もしかしたら17分を超える第2楽章というのは最長かもしれないと思ったが、調べてみたら朝比奈&N響盤続の次だった。また、スケルツォ主部のテンポとしてはカラヤン&VPOの88年DG盤のノロノロも相当なものである。しかし、当盤は緻密なアンサンブルのためここまで遅いテンポを設定しても全く弛緩することがない。これは驚異的である。長老指揮者のユルユル演奏とは次元が違う。アダージョにも第1楽章で述べたことがそのまま当てはまる。テンポいじりは必要なし。終楽章は冒頭でティンパニが暴れる。何とはなしにギーレンはこれをやらないだろうと思っていたからちょっとビックリした。やはり偶数番号では突如として血が騒ぐのだろうか。(狼男にとっての満月と同じ?)6分台での再度のティンパニ立ち回りも凄まじい。とはいえ、テンポは変えないので歩みは堂々としたままで乱れない。このように最後まで均整の取れた演奏を貫いている。見事だ。
 ということで、浅岡弘和が自身のサイトで評したような「職人的な名演」としては最高ランクに位置するのではないだろうか。(もっとも、浅岡は「同じ事の単なる繰り返しを好むのは職人に過ぎない」などと、時に否定的ニュアンスで「職人」を使っていたりもするのだが。それゆえ、「芸術家」の朝比奈の方が「職人」のヴァントより上と考えていたのであろう。それはそれで結構だが、他にもアイヒホルンの7番を「農民のように朴訥なだけ」と評しているところを見ると、あるいは階級意識あるいは職種間の貴賤感覚を潜在的に持っているのだろうか? だとしたら由々しき問題である。)最後に、ここでもカップリング曲に触れて終わりにする。ただし、「コプトの光」(フェルドマン)にクレームを付けるつもりはない。全く聴いたことのなかった曲だが、現代音楽を得意にしていたという指揮者ゆえ、その片鱗を聴いてもらおうという彼自身あるいは販売者の配慮によるものかもしれない。それはともかく、終楽章を入れた残りのオープンスペースはある程度規模の大きい曲、それも完結したもので埋めてもらった方がありがたいけれども、何を収録するかは売り手の自由だと私は考えているし、これといったものがなければ別に8番のみでも構わない。(その場合は必ず前後半2楽章ずつ割り振ってほしい。)もちろんブルックナーの他交響曲なら大変ありがたいが、それでは商売にならないだろうし。(私が許し難いのは、1枚に収まる演奏をわざわざ2枚組にして申し訳みたいなおまけを付けるという例の悪徳レーベルお得意の水増し商法である。ああいう卑しい根性には本当に反吐が出る。)

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