交響曲第8番ハ短調
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団
83/09/18
IMG Artists BBCL 4159-2

 DG正規盤の7ヶ月前の演奏だからスタイルはそんなに違わない。トータルタイムが約1分半短いことや録音条件の違いにより音密度は当盤の方がやや高いと思うが、あっちのページに書いたようにVPOの演奏でも8番では例外的に薄く響いていなかった。むしろ、残響のため当盤を濃すぎると感じてしまう。ライヴだから当たり前とはいいながら迫力満点で、中でもティンパニが際立っている。既に第1楽章1分06〜08秒の即興的な叩き方が耳を引いたが、1分35〜40秒の2度の連打はいずれも最後まで疎かにしない。既に土俵を割ってしまっている対戦相手の胸をドンと突く朝青龍のような「ダメ押し」ぶりである。いや、それが狙いであったかのごとく最後の1音が強調されている。9分過ぎや15分30秒頃の最強打にも驚いてしまった。終楽章冒頭でもやりたい放題。良好な関係を長年続けていたオケだけに、指揮者もあまり締め付けず好きなようにさせたのだろう。管楽器のソロやハープも生々しくて美しいが、浮いていると聞こえる箇所もあるのが惜しい。また、アンサンブルの精度は決して劣っている訳でなく、全体としてのまとまりは当盤の方が上回っている感じであるが、トコトンまで突き詰めたような凄味はVPO盤に一歩を譲るという印象である。例えば第3楽章のクライマックス(シンバルが2度目に鳴るところ)の響きは美しいが、もうちょっと引っ張ってもらわないとそれまで溜めに溜めてきたエネルギーが十分に解放されない、などと不満を覚えてしまった。ただし、終楽章のラストスパートは圧倒的に当盤の方が素晴らしい。
 ということで、臨場感と勢いを採るなら当盤だが、ジュリーニの本領と私が考えている「しかつめらしさ」ならスタジオ盤ということになろうか。ただし、当盤には(日本語解説こそ読めないが)カップリング曲としてドヴォルザーク8番および「セミラーミデ」序曲が付いている。さて、そのジュリーニのドヴォ8だが「クラシックの聴き方が変わる本」にて、「同曲同人演奏を肴にする」という項を担当した宮岡博英は、62年フィルハーモニア管盤について、ティンパニの打ち込みによりオケが歌わないため終楽章に出てくる例の「黄金虫は金持ちだあ」の旋律が強調されてズンドコ節になると書いていた。さらに晩年の89年コンセルトヘボウ盤は、(テンポが遅くなるとともに、かつて強調した部分をもっと強調することにより)「ズンドコも大変なもので、猟奇的な趣もある」とのことである。それで私も大いに期待しつつ聴いたのだが、この63年ライヴでもその片鱗は窺えた。確かにザ・ドリフターズの登場音楽にでも使いたくなるような節回しである。宮岡の評は「現在のジュリーニは自己の完成にひた走っているようでもある」と結ばれていたので、私もその「完成」ぶりを確かめてみたくなった。

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