交響曲第8番ハ短調
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮NHK交響楽団
84/03/07
DENON COCO-78551

 5番チェコ・フィル盤のページで触れた同級生が、同じ店に置いてあったこの8番84年盤を借りようと持ちかけてきたのだが、店に行って現物を見た私は断った。8番はそれなりに愛聴していたハイティンク81年盤を持っていたこともあるが、それ以上に気が進まなかった訳がある。それは「ライヴ・N響・マタチッチ」である。(←三題噺か?)まず、「ライヴ」というのは、当時のライヴ盤が(現在のような継ぎ接ぎ盤ではなく)文字通りライヴの一発録りだったため、会場ノイズをかなり含んでいたことを指す。CDを買い始めた当初は、そういう事情をよく知らなかった。ある日、たまたま買ってしまったのがライヴ盤で、運の悪いことに観客の咳やくしゃみをあまりにも多く拾っていたため、演奏に全く集中できなかったのである。(当時は食費を削るなどしてCD代に充てていただけにダメージは非常に大きかった。)それに懲りて、以後はCDカタログやFM誌でLマークの付いたディスクは絶対に買わないことにしたし、エアチェックも止めた。だから、彼の申し出を拒否したのは当然といえる。(が、気の毒なことをしたと今はちょっとだが反省している。)
 次のキーワード「N響」は先入観である。やはりベルリン・フィルやウィーン・フィルなど海外のオーケストラと比べたら、いくら日本のトップといえども実力は二流以下ではないかと思い込んでいたのである。(「わが国のプロ野球のレベルでは絶対にMLBに敵わない」と言うのと全く同じである。)現に一流の指揮者&オーケストラ、あるいはソリストのCDを出しているポリドール(主にグラモフォンとロンドン)はN響など相手にしないではないか(だからデンオンのようなマイナーレーベルから出るのだ)というレーベル信仰も当時は持っていた。
 最後の「マタチッチ」だが、これは最悪の偏見で、目次ページに書いたように「N響に呼ばれるような指揮者は小物」と勝手に思い込んでいたのである。(これは別ページ、たぶん「私のクラシック遍歴」にも書くかもしれないが、)スウィトナー、サヴァリッシュ、ブロムシュテットといった当時のN響名誉指揮者達は、ヨーロッパにはもはや活動の場がないから日本に出稼ぎに来ているのであり(いわば都落ち)、徳間やデンオンのような弱小レーベルから辛うじてCDを出させてもらっているような情けない連中なのだ。きっとマタチッチもその一味に違いないと思い込んでしまっていたのである。「マタチッチ」という名前自体、そのふざけたような感じはまさに「小物」「端役」にピッタリではないか?(書いていてあまりにも恥ずかしいが、「モンチッチ」を連想したのは言うまでもない。)
 まあそういう訳で、そんなCDなど借りて聴いたとしてもどうせ凡演で(←たしか帯には「奇跡の名演」のような文字が踊っていたはずだが)、結局はレンタル代をドブに捨てるだけだろうと思ったのである。それから10年以上が過ぎ、ようやくにして当盤を聴くことになった。ただ今思うに、もしあの時に借りていたとしても期待外れに終わった可能性は高いという気がする。それは演奏が悪いためではなく録音のせいである。あちこち(宇野の本やネット上)に書かれているように、当盤ではライヴの迫力がどこかに消し飛んでしまっており、チェリの一部EMI正規盤をも下回る「死んだ録音」になっている。 (「名演奏のクラシック」によると「残念なことに録音が真価を伝えていない。記録としての価値は高いが、実演はとてもとてもこんなものではなかった。」ということである。)何度か再発されているが、リマスターによって音質が改善されたという話は聞かないので、マスターテープになった時点で逝ってしまっているのだろう。
 ただし、実際にその演奏を聴いた人によるブルックナー総合サイトへの投稿によれば、同じ演奏会を収録したLDでは追体験が可能ということである。 (金子建志は「あの実演の凄さは、残念ながらCDでは半分も伝わってこない。ヴィデオで体験すべきだ」と書いている。)何とかして、そのLDの音声部分をCDとして再発してはもらえないだろうか? ライヴの生々しさ(随伴現象)の入っていない当盤を聴いても、指揮者が1人で暴れ回っているという印象しか持てないのである。「歴史的名演としていまだに語り種になっている」(金子)ほどの演奏にもかかわらず、その価値が後世に伝えられないとしたらあまりにも勿体ないではないか。

おまけ(ヴァント&BPO5番ページも参照)
 当サイトにたびたび登場するM氏は、ブルックナー総合サイト、および自身のサイトに、ヴァント&BPO2001年盤の感想を載せているが、その終わりはこうである。

 ヴァントのブルックナーは興奮しますが、マタチッチのは感動します。

私はヴァントの緻密な演奏には「見事だ」「上手い(巧い)なあ」といつも感心させられ、時に感動もするが、それは「興奮」とは明らかに違う類のものである。興奮させられるとしたら、それはこのマタチッチとかVPOを振った時の暴れ回っているようなシューリヒト(SDRとの演奏では必ずしもそうではない)、もしくはその日の思いつきを採り入れたりする某指揮者(そのページには必ず書く)などではないかと思えて仕方がない。(なお、「興奮」は許光俊が「クラシックを聴け!」に書いた<間違った感動>の一種であろうが、 許自身も述べているように必ずしも否定されるべきものではないと思う。)やはりM氏の言語感覚はヘンだ。あるいは聴覚が破壊されているのかもしれない。他にも私が首を傾げる記述が頻出、というより言ってしまうと全てが的外れに思われたのだが、それは「感じ方は人それぞれ」なのでまあよい。ただし、これだけは言っておく。

 しかしながら、私がブルックナーに望んでいるのは「崇高さ」であり、
 この演奏とは対極にあるものですので,どうしても点が辛くなってしまいます。

彼の得意技である「崇高さ」であるが、ここでも説明(定義)が全くなされていないので、どういう点でヴァント盤が「対極にある」のかが全く解らない。つまり単なるアホ投稿であるため、点が辛くなってしまうのはやむを得ない。

8番のページ   マタチッチのページ