交響曲第8番ハ短調
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
54/04/24
Andante RE-A-4070

 フルトヴェングラー専門サイトの作成者S氏によれば、「最近まで真偽の論争があったが、VPOの資料室から使用譜が見つかり本物に決着した」とのことである。私は「真偽の論争」という文字を見て「そりゃそうだろう」と思った。まず使用版であるが、第3楽章のアホカット(byノヴァーク)以外に、終楽章でも2分49秒で変なところに飛んでしまう。つまり、クナと同じく改訂版のズサンカットを施しているのだ。また、6分35秒過ぎもハース版のフレーズが出てこない。再現部の第3主題(16分44秒)の出てくる前、スクロヴァチェフスキが「素晴らしく荘厳」と評した美しいフレーズも同様にバッサリである。さらに、14分29秒のシンバルだけでは飽き足らなかったのか、13分台ではまるでクナを彷彿させる改訂版のティンパニ乱れ打ちである。これはシューリヒトと同じケースで、「脱ハース化」に歯止めが利かず、「ノヴァーク化」を通り越して末期症状(改訂版採用)にまで進んでしまったということである。(この時代の指揮者には、晩年になると何かヘンなことをせずにはいられなくなる習性でもあったのだろうか? )一方、テンポは49年BPO盤のような「いらち」ではなく、トータルで約80分をかけている。(製作者には「何とか1枚に収められなかったんか」と言いたい気分であるが、Andantereレーベルは4枚組の販売専門だから敢えて2枚組にしてベームの7番およびカラヤンの9番とのセットにしたのだろうか? まさか。本当にそうだとしたら許さん。)また、冒頭から加速減速を行ったりしないので基本テンポが明確である。これではまるで別人の演奏だ。チェリのシュトゥットガルト時代とミュンヘン後期以上に違っており、贋物ではないかと疑問を持たれたのも当然だという気がする。
 控え目になったとはいえ、それなりに揺さぶりがあるためやはり気に入らないところもあるが(特に第3楽章のクライマックスに向けての加速)、そこは措こう。感銘を受けたのは音の深さである。49年盤はフォルティッシモになるとあまりの烈しさに思わず修羅場が目に浮かぶが、当盤では全くそのようなことはない。まるで深淵をのぞき込むようである。(S氏のサイトにあるように、ノイズ混入がなくダイナミックレンジも広い。モノラルが難点であるというだけで、音質は非常に優秀である。それも「深さ」に貢献していることは確かである。また、オケの音色の違いも大きいかもしれない。シューリヒト盤のページにも書いたが、ここでもVPOの弦のトレモロはとても美しい。)これが指揮者の器の大きさ、懐の深さというものであろう。(実際にはクリュイタンス指揮だったベト8のケースとは異なり)やはり、こういう演奏ができるのは20世紀最大の巨匠以外にあり得ないと思わせる。
 この指揮者のファンサイト(わが国には少なからず存在するが、どれも非常に優れている)をいろいろと見て回って感じたのだが、戦前・戦時中と戦後の演奏、あるいはスタジオ録音とライヴ録音を比べた場合の好き嫌いは結構ハッキリと分かれているような印象を受ける。当盤とBPO盤はともに戦後のライヴだが、49年BPO盤が戦中の演奏と同じく「フルヴェン様式」を駆使した激烈なものであるのに対し、当盤はいわゆる「フルヴェンらしさ」がかなり後退しているだけに、それを求める人達からはあるいは歓迎されないかもしれない。が、私は何度も述べてきたように8番には堂々とした演奏を望むので、こちらの方がはるかに好きだ。 ただし、もし5番でもこのように全く異なる2種の演奏を聴き比べた場合に、はたして同じ評価を下すかは判らない。51年VPO盤と私の所有する42年BPO盤とは総演奏時間において1分半ほどしか違わないようであるが・・・・最晩年の5番演奏が存在しないのが惜しい。ついでに書くと、フルトヴェングラーの死去した54年の演奏は、ほとんど例外なく私の愛聴盤となっている。(特にパリ・オペラ座ライヴのTAHRA2枚組と「ルツェルンの第九」、今年入手したザルツブルク音楽祭のベト7も、この指揮者による異種演奏の中では私が最も好むものとなった。)

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