交響曲第8番ハ短調
ライオネル・ロッグ(オルガン)
97/12
BIS BIS-CD-946

 もう何年前かは憶えていないが朝日放送(大阪)制作の朝比奈を扱った番組をみていた時のこと、「ブルックナーの交響曲の響きはオルガンの響きがする」というナレーション(桂米朝だったはず)の直後、7番のアダージョ冒頭を教会のパイプオルガンで弾くシーンが流れた。それがオルガン版演奏を聴いてみようという気になった切っ掛けである。その奏者はたぶん7番編曲版のCDも出しているシュテンダーだと思うが、HMV通販で検索して最も安価だった当8番にした。どこかで「レッグ」という表記を見たような気もするが、“o”の上にウムラウトがないのだから、やはり「ロッグ」とすべきだろう。 当盤を聴いて何より驚いたのは音楽の流れの悪さである。音楽之友社の「交響曲(下)」(ON BOOK SPECIAL 名曲ガイド・シリーズ)にてブルックナーの項を担当した金子建志は、「音楽的特徴では、オルガン的な語法が目立つ」として、その1番目に挙げた「ブルックナー休止」を「オルガンのストップを変える時のような総休止が頻出する」と解説していた。それを読んでも正直ピンとこなかったが、当盤を聴いて納得がいった。そういえば某掲示板のブルックナースレに一時期出入りしていた某コテハン氏が「よくブルックナーのオルガン的響きなどと言う。僕、ブルックナーからオルガンなんか連想したことない。」と書いていたが、かつての私が実はそうだった。今も似たり寄ったり。しかしながら、ブルックナーがオルガンを使って作曲していたということは十分理解している。
 通常のオーケストラ演奏におけるブルックナー休止はもちろんのこと、至る所で音楽が断ち切られる。ストップの変更にこれほどの時間を要するとは思ってもみなかったのだ。特にスケルツォはそれが頻繁で、本来はテンポ良く進むはずがギクシャクしまくりで、もはやこうなると野人というよりは酔っぱらいの踊りである。しかしながら、ロッグ自らがライナーに「『オーボエ』と呼ばれるオルガンストップをオーボエソロの度に使うのは不可能であろう」などと記していたことからも窺えるように、彼は原曲の響きをなるべく忠実に再現しようと試みたらしい。そのために流れはある程度犠牲になっても構わないと割り切っていたのだろう。そういう意図を分かった上で聴けば、これはなかなかに興味深いものである。
 納得できない点が2つ。まずは編曲の元となった楽譜である。"1890 version " とあるだけだから第2稿に基づいているということしか判らない。アダージョの例の10小節がないから少なくともハース版でないことは確かだ。また終楽章8分48秒で訳の分からないところに飛んでしまう。ビックリして手持ちのハース版、ノヴァーク版および改訂版によるディスクを聴いてみたのだが、いずれにおいても演奏されている40〜50秒ほどがバッサリ切られていた。こうなると、もはや「ロッグ版」としか呼びようがないかもしれない。そういうカットのせいばかりでなく、当盤の後半2楽章の基本テンポは異様なまでに速く、トラックタイムはともに20分を切っている。特にアダージョの19分11秒には勘弁してくれよといいたい気分だが、いくら音色に工夫を凝らしても彼の手足だけで遅いテンポを支えることは不可能だったのであろう。奏者を責めるのは気の毒というものだ。その代わりという訳でもないだろうが、時にロッグはまるでこの曲が最初から鍵盤楽器の独奏曲、それもピアノ・ソナタであるかのようにリズムを小刻みに揺らしながら思い入れタップリに弾いたりしている。それでも響きの整理整頓を究極まで推し進めた姿を想像しながら当盤を鑑賞することは十分可能である。「インスピレーションが(おそらく未だ造られていなかった)理想のオルガンの深遠な声によって大きく影響されていた」(解説)作曲家にも思いを巡らしつつ。

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