交響曲第6番イ長調
ゲルト・アルブレヒト指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
04/02/19〜21
EXTON OVCL-00188

 当盤を入手することになった経緯は「ちょっかい入札」の中でも最たるものといえる。スタート価格1800円で出品された時点では気にも留めなかったのだが、他人が入札したのを見てついつい高値更新してしまった。後で冷静に考えてみれば、諸経費を加えると2200円を上回ってしまうではないか。よほど気になる演奏以外は新品であっても手を出さないことにしている価格帯である。それゆえ土俵際のうっちゃりを期待したのだが、結局そのままで終了。まあ落ちてしまったものは仕方がない。手薄な6番のコレクション(3番以降ではダントツのビリ)が増えたのだから、とポジティブに考えることにした。
 アルブレヒトといえば日本での演奏機会も多く(註)、キャニオンから時々出ていた新譜の評価も結構高かったため、10年以上も前から名前だけは耳に馴染んでいたけれども、実際にディスクを聴くのは初めてである。(註:ただし指揮をするのは専ら読売日本交響楽団であると今更ながら知った。しょっちゅうN響定期に客演しているというイメージを抱いていたのだが、赤の他人、たぶんワルベルクあたりとゴッチャになっていたと思われる。実際82年には同オケを振ったこともあるようだが・・・・全く面目ない。)
 当盤ブックレット(岩下眞好執筆)のタイトルは「深い感動と喜びに満ちた再会の記録 〜 この録音について」である。最初の段落から、収録されたコンサートがなぜ「大事件」だったのかについて延々と述べられている。要は任期が満了する前の1996年に首を切られて以来8年ぶりの共演ということである。アルブレヒトがチェコ・フィルに就任(93年)してから着実に成果を上げていたにもかかわらず、一部の心ない連中のドイツ人排斥運動によって辞任に追い込まれてしまったというニュースは当時私も音楽雑誌か何かで読んだ記憶がある。それから8年を経て再び定期演奏会への復帰を果たしたというエピソードは確かに感動的かもしれないが、岩下は和解するに至るまでの経緯を綴ることにご執心で肝心の演奏については各種メディアの評を載せているだけである。自身の感想を一言も述べていないことから、もしかするとサンプル盤すら聴いていなかったのだろうか? 一方、HMV通販の紹介文にも「歴史に残るチェコ・フィル復活コンサートのライヴ盤登場!」という見出しに続けて国内外のメディアから絶賛されたことについて触れているが、演奏そのものへのコメントは「この意義深い瞬間にオーケストラ全員の高い集中力は決して途切れず、指揮者との驚異的な一体感を持って極上のブルックナーを構築していきます」、つまり「特別なコンサートだから名演になった」と言ってるだけである。もはや頼れるのは自分の耳のみ。
 約14分のトラックタイムから予想された通り、第1楽章は冒頭から快速、というよりイラチに近いテンポで突き進む。どうやらテンションが高いのは事実であると思わせる。既に他盤評ページでも引いたが、許光俊は「クラシックCD名盤バトル」にて「クラシック音楽史上、ダサいという点では間違いなくワースト・ワンを争う曲」にブラームスの交響曲第1番を挙げるに留まらず、その演奏スタイルを「1.ダサさに気づかず熱中演奏」「2.ダサさに気づいても、見ぬふりして自分流にスマートに演奏してしまう」「3.ダサさに気づいても、偉い人が書いた曲だからと受け入れる」「4.ダサい曲だから、ダサく演奏する」という分類を試みている。もちろん曲は違うけれども、それを強引に当てはめてみると当盤におけるアルブレヒトの姿勢は「つまらなさに気づかず熱中演奏」ということになるだろうか?
 ここまではありがちなパターンである。ところが第2主題提示(1分32秒〜と1分51秒〜)のスタスタに驚いてしまった。再現部も同じ音型になると決まって尻軽。こうなると指揮者が内心では「けったくそ悪い連中に頼まれた仕事なんぞさっさと済ませて早よ家に帰りたいわ」などと考えていたのではないか、との邪念を抑えるのも難しくなってきた。要は当方の集中力が切れてしまったという訳だ。
 第2楽章では持ち直す。開始早々にメランコリックな雰囲気が支配し、至るところで聞かれる繊細な表現も非常に味わい深い。ようやくにして本領を発揮しているというのが私の見解である。後半2楽章も力が入っており熱演であること認めるに吝かではない。けれども一度失われたものは簡単には戻ってこない。加えてフィナーレ冒頭のセカセカなど再度萎えさせてくれるところもあった。残念ではあるが私としては「凡演」と評価せざるを得ない。大部分で立派な演奏を繰り広げていながら数箇所の印象が悪ければ台無しとなってしまう。もしかすると6番はものすごく壊れやすい(演奏する側にとっては怖い)曲なのかもしれない。ところが、そんな曲が破壊力抜群のスタイルによって名演になってしまうのだから音楽とは奥が深いものだ。(←お約束のなんじゃそりゃ)

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交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
ゲルト・アルブレヒト指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
95/11/22〜24
Pony Canyon PCCL-00329

 上記6番の入手が確定した直後のこと、その世評はどんなもんかと思い「アルブレヒト」と「ブルックナー」をキーワードにネット検索をかけてみた。その結果として飛んだ先の1つが「塔」通販のページだったが、値引き額が結構大きいことが目を引いた。どうやら「キャニオン・クラシックス・セール」期間中らしい。さらに調べてみると、同レーベルから出た4789番は発売から既に10年以上(その間再発なし)が経過しているから当然といえるが、もはや「犬」では扱っていないし(ついでながら生協サイトも同様)、「尼損」でも残り点数が少なくなっていた。やはり特価(2枚組の8番は税込¥2,676、他は同¥2,294)とはいっても冷静に考えたら決して安いとはいえないが、稀少品化してから欲しくなっても手遅れだし、悔いを残すのが嫌なので注文することにした。ただし9番(全集録音計画の第1弾)は「ただしオケ自体の向上がぜひとも必要」というCDジャーナル・データベースのコメントに意欲喪失。結局4番と8番にしたのは、これでマタチッチ(579番所有)とのチャンポンながらチェコ・フィルによる4番以降が一通り揃うとの判断に基づいている。(それゆえ被りになる7番も除外した。)なお録音されながら現時点では未発売となっている3番もリリースされたら買うと思う。
 当盤の解説も岩下が担当しているけれども、ここでは演奏評もちゃんと記しているからイチャモンは付けない。また執筆時点で指揮者の辞任が決まっていたようで、録音済の6曲(3〜5番および7〜8番)を除く3曲について「いずれオーケストラを変えて録音されることになるという」と述べているが、それが外れることになったのは上記復縁の結果であり、もちろん彼に責任はない。また残る2曲が本当に録音されるのかについては「どーでもいいですよ」だが、3番がこのままお蔵入りにならないことは願っている。
 第1楽章の演奏時間は約18分。20分ジャストを中点とする私の基準では、速めの演奏となる。キビキビと進行し3分半からは加速までしている。だが、ちっとも慌ただしさを感じないのはどういうことだろう? 「あそこまで速くないから」と言ってしまえばそれまでだが、何かに駆られているかのように疾走するレーグナー(ふと彼の振ったモツの大ト短調を聴いてみたくなった)、ましてや味も素っ気もないクレンペラーとは全く趣を異にする演奏である。要はしなやかさが感じられるということになろう。それを狙うなら古楽器を使用あるいはその奏法を採り入れることで対処できるのかもしれないが、前者によるヘレヴェッヘ盤はやや潤いに欠けるきらいがあったし、後者ではわざわざ汚い音を立てて自己満足に浸ろうとする「ハッタリ野郎」のような怪しからん輩もいた。やはり柔らかな音色を特徴とするチェコ・フィルの弦楽セクションでなければこの豊潤な響きは出せないように思う。弦だけではない。管も同様である。それが木管限定なら珍しい話ではないが、金管までがそうなのだから驚きだ。最強奏でも全く威圧的にならない。その持ち味が最もよく出ているのが第2楽章である。低弦の美しさに耳を惹き付けられたまま7分過ぎに小ピークを迎えるが、ブラスが飛び込んできても何ら違和感がない。楽章終盤のクライマックスでも力強さと繊細さを兼ね備えた実に優雅な全奏に溜息が漏れそうになった。仕上がりが丁寧であるという点ではトップクラスである。以降の楽章については省く。
 既に間伐の話はラトル盤のページで使ってしまったが、彼のような強度の伐採をせずとも極めて見通しの良い演奏に仕上がっているのが素晴らしい。一見すると密度(面積当たり個体数)や内部の照度は同じようでも、早い段階から枝打ちなどの管理作業をちゃんと行ってきた植林地としばらく放ったらかしにしておいたそれとの間には樹木の成長(主幹が真っ直ぐ伸びる or 曲がってしまう等々)に少なからぬ違いが生じる。それと似ているような気もしてきた。実際のところ人件費もドイツよりはだいぶ安いだろうし・・・・(←ここでも一応なんじゃそりゃ)

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交響曲第8番ハ短調
ゲルト・アルブレヒト指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
94/04/06〜11
Pony Canyon PCCL-00227

 直上の4番評でオケの美点として挙げた品の良さであるが、この8番では度を超えるとナヨナヨした感じを与えてしまうので果たしてどうだろうと思いつつ試聴に臨んだが、この点は大丈夫だった。第1楽章には16分39秒を要し、感興を削ぐようなテンポいじりの愚行も例の中間部ぐらいだから、まずは堂々たる演奏といって差し支えないだろう。そうなると問題なのがスケルツォの忙しなさである。前楽章の後を任せるものとしてトラックタイム13分41秒というのはいかにも短い。後半楽章は共にゆったりテンポだから、この楽章のみ異物として紛れ込んでいるという感じがどうにも否めない。そういえば少し前に採り上げたジークハルトも同様だった。世界地図を眺めるとリンツとプラハはほぼ同じ経度に位置する。もしかするとドイツから東方に出稼ぎに来ると時間の感覚が狂ってしまうのだろうか? 現地では関西人みたいに街中を超早足で歩いているとか。(まさか。)何にせよ、これで最上位ランクインの線は消えたから以後もテキトーに端折る。
 アダージョは申し分ない。途中までは。旧共産圏だからハース版ではないかとの期待は裏切られたが、これはまあ仕方がない。それよりもクライマックスの最初のシンバル以降しばらくはアッサリ気味なのに2度目の「ジャーン」以降がクドいのは、既にブロムシュテット盤ページで難じたように私としては全く買えない。フィナーレはこれ以上を望めないほどに充実している。ティンパニに乱暴狼藉を許すなど冒頭からしばらくは気合い十分という演奏なら別に珍しくもない。だが当盤では騒ぎが収まってから(1分37秒〜)が真に凄い。弦にここまで大胆なメリハリを付けて弾かせているのは初めて聴いた。他に6分42秒からの「死の行進」で驚かせてもらうなど、聞き所はあちこちに散りばめられている。だから最高ランクの演奏、いや「史上最高値更新」でも良かった。ラストを呆気ない「ミレド」で締め括ってさえいなければ。それまでの入魂の演奏がチャラやで。

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