交響曲第8番ハ短調
カール・ベーム指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
78/04/07
PALEXA CD-0522

 最近ちっとも新譜が出ない(まさか倒産?)PALEXAのディスクとして2枚目に購入。このレーベルで気に入っている点が1つある。それはブックレット表紙の指揮者の素描である。上手い。チューリッヒ・トーンハレ管によるブルックナーとしても、当盤はケンペの8番に次ぐ2点目となる。ケンペ盤はLPよりも大幅に改善されたとはいいながらも音質はもう一つだったため、ちょっとメタリックな音質だが録音は決して悪くない当盤が同オケの実力を推し量る上で格好の材料となる。あと、VPO盤からは全くといっていいほど感じ取れなかった、8番演奏におけるベームの真価も忘れてはいけない。
 ところで、宇野功芳は「名演奏のクラシック」のベームの項で、以下のように書いていた。

 ベームが指揮したワーグナーやブルックナーは、
たとえライヴであってもよいものが少ない。
というのも、凝縮しすぎてひびきが拡がらず、
ベートーヴェンのような演奏になっているからである。
まるでワーグナーやブルックナーの干物のようだ。

「ベートーヴェンのような演奏」と「干物」とはどういう関係にあるのだろうか? 「凝縮しすぎてひびきが拡がらず」がベートーヴェン的というのもいささか乱暴なように思う。(ベートーヴェンに対して失礼である。)宇野が他の項で書いていたようなフルトヴェングラーの「汗びっしょりになり、夢中になって突き進む」やり方が「ベートーヴェン的ブルックナー」である(そして、それゆえに失敗している)というのはよく解る。が、ベームのスタイルはそれとは全くの別物ではないか? (ついでに書くと、フルトヴェングラーのブルックナーが干物だとしても、それは発酵を利用した「くさや」のようなものだと私は思う。だから、フルトヴェングラー臭の好きな人にはたまらないだろう。かくいう私は「くさや」なる食べ物を未だに食べたことがなく、噂に聞く臭いがどのくらい強烈なのか知らないのだが、滋賀の郷土料理である鮒鮨は大好物でもあることだし、そっちに喩えても構わない。)とはいえ、ベームのスタジオ録音盤が「ブルックナーの干物」になっているという点には激しく同意する。
 宇野はさらに「1970年代も半ばを過ぎると、彼は舞台上においてさえ燃えなくなってしまった。そうなると、ベームの音楽は最後の決め手を欠くことになる」とも書いている。ただし、この本が発売された時点(89年)では、当サイトで取り上げたブルックナーのライヴ盤(7番1種、8番2種)は1枚も発売されていなかった。これらを聴いて彼はどう感じただろうか? 私は当盤を聴いて、最晩年の演奏ながら79年の「グレイト」同様に若々しく「実演でこそ燃えるタイプ」である指揮者の片鱗は十分に窺えると思った。74年ライヴのケルン盤よりトータルタイムは短く、激しさも上回っているように聞こえる。4楽章冒頭はものすごい勢いで突っ走る。そのため(どちらかが付いてこれないため)弦とブラスがずれているが、指揮者はお構いなしである。「ライヴだからこういうのもアリなんかなあ」と許せてしまう。(VPO盤のアバウトさとは別物である。)他にアンサンブルの甘さが気になるところはなかった。ホールが良いのか録音が良いのか、その両方なのか、とにかく流麗な演奏なので聴いていて心地よい。オケの腕が確かであることもよく判った。2004年3月の出張時に私はトーンハレの真ん前まで行ったのだが、あいにくその晩にはコンサートの開催がなかったため、(コンセルトヘボウと同じく)中で聴くことができなかったのが返す返すも惜しまれる。

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