交響曲第8番ハ短調
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団
94/07/24
Pony Canyon PCCL-00253

 有名批評家がいくら褒めちぎったからといって過大な期待をするのはやめよう、
 という教訓を与えてくれたCD。はっきり言って買ってはいけない。

 あ、これは私の評価じゃありません。ある8番比較試聴サイトに出ていた当盤評ですわ。こんなこと書かれていたら流石に腰が引けてしまうが、中古屋で800円(2枚組なのに!)で売られているのを見たらさすがに「据膳食わぬは男の恥」というものだろう。(←喩えが違うやろ。)ということで「ダメモト」で購入に踏み切った。
 ケース裏やブックレットに記載されているトータルタイムは何と「101:01」、だからといって「えらいこっちゃ! チェリビダッケに匹敵する超弩級スローテンポ演奏やないか」と早トチリしてはいけない。DISC2のトラック2として収録されている「拍手と歓呼」(13:03)のせいである。とはいえ、それを差し引いても85分に迫ろうかという長時間演奏である。シューリヒトのディスク評ページに「8番という大曲の内容をあますところなく表現するには80分以上の演奏時間が必要」などと書いたはずだが、スケール感を出すために基本テンポをある程度遅めに設定し、堂々とした演奏を繰り広げていれば、それだけで「名演」はある程度約束されると私は考えている。ただし、遅いテンポだとどうしても緊張感を保ち続けるのが至難の業のようで、テンポいじりなど何らの方法でメリハリを付けることによって弛緩を避けようとしているものが大部分である。それだと聴く側は興醒めで、その分減点せざるを得ない。指揮者の余計な「解釈」がなければ「超名演」になるのだが、それを成し遂げているのはヴァントやチェリビダッケといったごく少数の指揮者による演奏(それも全てではない)のみである。当然だが指揮者だけでは実現できるはずはなく、オーケストラの力量がなければどうにもならない。
 では当盤はどうかといえば、第1楽章9分11〜24秒でせわしなく走り出してしまう。9分38〜41秒、10分00〜03秒もセカセカ、一体なんでこんなことをやるんだろう。この処理が効果的と思ったことは一度もない。というより尻軽と聞こえるだけで逆効果である。(朝比奈に限らず誰の演奏でも同じである。)14分過ぎからのカタストロフ直前でも「いらんことし」の加速を行っている。3年後のN響盤もこんな風だったので、(2001年大フィル盤が未聴なので断定はできないが、)結局この人は最後まで変わらなかったということだろうか? 少なくとも、私が所有する3種録音では微動だにせぬテンポでこの曲を押し切るということはなかった。(インテンポに固執しないのを解説者は「ゆとり」で「大家の風格十分」と評していたが、本当にそうか? 他の指揮者がやっても彼が同じことを書くか、私には大いに疑問だ。)
 などと書いたが、最初に気に入らなかったところを挙げてしまったので、あとは誉めるだけである。実は当盤を聴き終わった後には「元を取れた」という以上の充実感があった。既に述べたように、なにせ当盤の基本テンポは私が「適正」と考える範囲内に収まっているし、演奏に目立った傷はない。(あるのかもしれないが、鈍な私の耳には許容範囲である。あるいは差し替えが行われているのかもしれないが、不自然なところはない。編集だとすれば見事な技である。)版の選択(ハース版使用)は言うに及ばず。そして録音。やや残響過多の83年盤やデッド気味だったN響盤よりも自然な音質で耳に優しい。ということで「名演」「名盤」の資格十分である。スケルツォの金管がパワー不足に感じられ、トリオもナヨナヨしているという印象を最初に持ったのだが、「野武士のように逞しい演奏をするに違いない」という先入観を持って聴いていた私がバカなのであって、この指揮者にしては異色ともいえるソフトタッチ(行書体?)に仕上がっていたのである。それを受けてのアダージョがまた美しい。弦のザワザワが出しゃばらず主題をしっかり支えているところが特に素晴らしいと思った。そしてフィナーレ。ここでは金管が手加減せずに吹き荒れている。(力を温存しておくことに対しては批判的な見解も某掲示板で見たが。)冒頭のティンパニ立ち回りもN響盤のようにバランスを損なっていない。この楽章もN響盤と比較すれば随分とソフトに聞こえる。(というより、あっちの響きは硬くて汚いと感じる。どうも録音の違いだけではないような気がする。)それがスケール感の拡大としてプラスに作用していると私は思った。これだけの演奏を日本のオーケストラで聴けたらそりゃ満足だろう。終演後に拍手が延々15分間続いたというのも納得できる。そして、これで800円というのは安い。いや、2100円(定価)でも十分安い。
 ブルックナー総合サイトにて、以前ある常連投稿者が「音楽界の七不思議」として「どうしてウィーン・フィルは朝比奈を招いてブルックナーをやらないのだろうか」などと書いていたと記憶している。私はそれを読んで「何をアホなことを」と思ったはずだが、当盤を聴くとミュンヘン・フィルに客演してチェリを超えるノロノロテンポ(トータル110分ぐらい)で録音してもらいたかったと思う。(VPOだと救いようのない弛緩演奏になっていたはずと私は確信するのだが、MPOなら最後まで何とか持ちこたえられたかもしれない。)もしかしたら(両者の波長さえ合えば)「リスボン・ライヴ」級の名演が生まれた可能性も全くゼロという訳ではない、などど親チェリ派が聞いたら激怒するようなことを書いてこのページは終わる。

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