交響曲第8番ハ短調
カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
63/12/09〜12
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 私は8番については80分以上の演奏時間をかけなければ曲の大きさを表現できないと考えている。(ハイティンク→ヴァント→カラヤン→チェリビダッケの順に入手したので、堂々としたテンポが身体に染み付いてしまっているのが大きい。)特に旧規格(74分強)でも1枚に収まってしまうような快速演奏では、よほど特別な魅力でもない限り、高く評価することは難しい。当盤の演奏は71分ちょっと。「一体何を考えているんだ?」と問い詰めたくなるようなテンポを設定している。で、実際に聴いてどうだったか?
 前半2楽章のトラックタイムは標準的であるが、その中でいろいろとやってくれている。特に第1楽章。例えば3分35秒でガクッとテンポを落とすが、そういうことをやられると聴いているこちらもガクッとくる。その後すぐに速くなってしまうのだから、思いつきでやってるだけにしか聞こえない。8分少し前からの突如の暴走も勘弁してくれと言いたくなってしまう。そんなのの繰り返しなのでいちいち挙げるのは止めておく。けれども、この演奏では時にハッとするほど美しい部分が時に出てくるのである。特に弦のトレモロと木管のソロである。他ページでも述べているが、こういうところは「部分こだわり派」(by 許光俊)の面目躍如である。ただし、全体としての響きはあまり美しくない。特に金管の音が汚い。録音のせいなのかオケのせいなのかは判らないが。
 9番VPO盤の終楽章と同じく、後半2楽章は曲全体でのバランスを全く考慮せずにテンポを設定したとしか思えない。アダージョを21分という快速で流すのなら、それ以前をもっと速くしなければいけないはずだ。(そして、トータルは68分ぐらいになるはずである。)ここでも部分的には美しいが(特にハープの音色)、基本テンポをあまりにも軽んじたテンポ揺さぶりの多用など、私は全く感心できないし、こんな慌ただしいテンポでは感動している暇もない。(私の考える感動とはほど遠いということである。)終楽章はトラックタイムから十分予想できるような爆演である。最初から最後まで荒っぽい。ところが粗くはない。最後まで指揮者の無茶な解釈にオーケストラが付いていっている。同じような激しいスタイルでも、ベームが70年代に行った演奏のような危なっかしさは全くない。(こちらはライヴという事情もあるだろうが・・・・)さすがである。今のVPOがこんな爆発型指揮者の下で演奏したらどうなるだろうか? 国内オケを振って数々の名演(一部に迷演?)を成し遂げている宇野功芳に試してもらいたいが(彼も望むところだろうが)、残念ながらそんな日は永久に来ないだろう。
 ところで、EMI国内盤のブックレットには宇野による「シューリヒト/ウィーン・フィルによる理想的なブルックナーの美演 ・・・交響曲第8番と第9番をめぐって」と題する解説が繰り返し使われているようであるが、それによるとシューリヒトの8番は基本的にハース版ということらしい。ところが、私がこだわりにこだわる第3楽章の9小節の処理はノヴァーク版(209〜218小節をカット)に従っているし、第4楽章も211〜214小節を独断でカットしている。後者を宇野は「これは面白いと思う」と書いているが、本当にそうか? (シューリヒトでなく、彼の嫌いな指揮者が同じことをしていても、やはりそう言っただろうか。大いに疑問だ。)浅岡弘和がここを「ズサンなカットのつなぎ方」と書いているが、私もそちらに同意する。要は、この指揮者は楽譜に対する配慮が欠けているのではないか。それが言い過ぎなら構成美に対する意識が希薄だと言い換えてもいい。
 と、かなり悪く書いたと自分でも思っているが、それが全てのブルックナー演奏に当てはまらないのがシューリヒトの面白いところであり、決して侮れないところである。その辺は他のディスク評ページで。

追記(音質について)
 上にあるように私が現在所有しているのは輸入盤である。目次ページに書いたが、これはDISC1に序曲「フィンガルの洞窟」と交響曲3曲、DISC2にブル8を収録した2枚組である。実は最初に購入した「歪みが2088倍凄まじい」(by 鈴木淳史「クラシック悪魔の辞典【完全版】」)マスタリングによる国内盤(TOCE-3069)の音質には全く満足できなかった。この2枚組が通販サイトで比較的安く(たしか1590円)売っていたから、DISC1に金を払うつもりで注文したのである。いくら音が酷いからといっても、それだけの理由で誰がわざわざ買い直したりするものか。特にこの「名盤破壊レーベル」(←某掲示板より)の製品だけは。
 ちなみに、上記の宇野解説によると、8番のレコーディングが終わった時、感極まった指揮者がウィーン・フィルの楽員一人ひとりと抱き合ったということだが、9番VPO盤ページにも書いたダイナミックレンジ不足と「2088倍歪みが凄まじいマスタリング」による「ガヤガヤ感」が災いし、とてもそんな演奏には聞こえなかった。一方、当盤では明瞭さが上回っているだけでなく中音域が豊かになっており、音質も自然ではるかに聴きやすい。(当盤の雰囲気は「ガヤガヤ」でなく「ザワザワ」した感じであり、決して耳障りではない。)そのため、先述したように私は演奏自体はちっとも気に入っていないが、少なくとも指揮者が暴れ回ったお陰で大熱演になった(そして指揮者もメンバーも大満足してお開きとなった)ことだけは解った。なお、当盤のブックレットによるとテープ・マスタリングを担当したのはポール・ベイリーというエンジニアらしい。彼は件のレーベルが音質向上を謳うARTマスタリングも担当しているようだが、当盤でもそれを行ったのかまでは判らない。ちなみに、某巨大掲示板では、ART盤に対するこんなコメントがあった。

 一般的に国内盤と輸入盤は音が少し違うとされているけど、
 ARTの場合はそうした一般的な差異は別として、
 国内盤でしか出ていないART(東芝EMIからの要請でART化
 されたもの)が存在し、その中にはひどいものもある。

 一例としてはシューリヒトのブルックナー8番。
 左右のバランスや位相がぐちゃぐちゃ(オケ全体が右寄り!)、
 高域と低域の強調も過剰な、ひどい音に変えられてしまった。
 日本側から過剰な枚数のリマスター要請があったことに嫌気がさし、
 やっつけ仕事をしたのでは、と昔のシューリヒトスレで言われてた。

やれやれ、全く酷い代物を作って売っているもんだとホトホト呆れた。何にせよ、当盤は「東芝EMIからの要請でART化されたもの」ではないことは確かだから、別マスタリングかもしれない。(8番ART盤は未聴なので、これ以上は何とも言えない。とはいえ、買って聴き比べる気など絶対に起こらない。)実際のところ、9番ART盤と比べたら高音と低音の強調は抑制気味で、音もさほどキンキンしていない。

おまけ
 あるクラシック総合サイトには「東芝EMIのHS-2088と,英EMIのART」というコラムが載っている。執筆者は相当に憤慨したのか大変な力作となっているが、その原因を作りだした非はいうまでもなく名盤破壊で悪名高き国内レーベルとクラシック出版業界の癒着体質にある。
 長文を転載するのはマナーに反するので、かいつまんで説明すると、その悪徳レーベルは、英EMIによる高音質マスタリングであるARTを使ったCDが製作され、輸入盤として国内でも発売されていたにもかかわらず、自社独自の音質の劣るHS-2088マスタリングのCDを延々と販売し続け、それによるグランドマスター・シリーズが完結してから、改めて国内盤ARTマスタリングによる国内盤を発売したのである。この業者お得意の水増し商法、いや、この場合は「グリコ商法」(一粒で二度おいしい)だろうか。執筆者は「あまりに姑息な商売」と切り捨てていた。(「姑息な商売」は私がチェリのディスク評でも何度か使ったはずである。)
 ところで、レーベルもレーベルだが評論家も評論家だ。私もその執筆者とは違う号の「レコード芸術」で、ART盤の紹介記事を何度か読んだことがあるが、2002年11月号では歌崎和彦と松沢憲による対談という形で進められていた。それが情けないのは、「ARTとHS-2088とではリマスタリングのコンセプトが違う」ため「コンセプトの比較になってしまう」などとしょーもない理由を付け、両者の直接対決を回避していたことである。そして、HS-2088以前のマスタリングによる国内盤(可能なものは初CD化されたもの)と比較して「ARTはすばらしい」と絶賛していた。「おまえらアホちゃうか」と本気で思った。現役盤として巷に出回っている2種類のどちらを買おうかと迷っている読者に対して判断材料を提供するのが評論家の務めではないか。(廃盤となった旧規格品との比較など屁の役にも立たん!)「片方を持ち上げて、もう一方の売り上げが落ちるような事態を招いてもらっては困る」という業者の意向を受けた編集部から釘を差されていたのかもしれないが(あるいは無言の圧力を感じ取ったのかもしれないが)、それにヘイコラ従うような腰抜けなら評論家などサッサと辞めてしまえと言いたくなった。(そう考えると、ムラヴィンスキーの輸入盤の酷さにクレームを付けたという平林直哉には気概があった。あくまで過去形だが。)なお、上のコラムによると、同誌はART国内盤が発売されてようやくHS-2088との聴き比べ特集を組んだということである。執筆者は「はっきりいって今さらの感がありますし」と疑問を呈していたが、HS-2088国内盤とART輸入盤が並行して発売されていた時期に聴き比べを行わなかったのは、国内盤の売り上げに影響しないよう配慮したとしか思えない。が、私は件の特集を読んでいないのでこれ以上は書かない。そのコラムの最後の段落だけ載せておく。

  最初に例示した,グラモフォン・オリジナルも,デッカ・レジェンドも,
 リヴィング・ステレオも,輸入盤の発売とほぼ前後して国内盤も発売して
 いました。それが東芝EMIだけがこんな商法でCDを発売しているとは,
 クラシック音楽最大の老舗のすることとしてはあまりに情けないと思いま
 すし,この事実を積極的に読者に知らせようとしないレコード芸術誌も少
 なくとも音質面のレポートに関しては全く頼りにならないといわざるを得
 ないのではないでしょうか。どうしてこんなことになっちゃったんでしょ
 うか。

上の「おまけ」に対する補注
 上記対談でのゴマカシみたいな「コンセプトの違い」だが、2003年3月号掲載の「今月のリマスタ盤」にて、松沢は「ARTはノイズ除去とともに刺激的な音が柔らかく変えられているので聴きやすくなっているのに対し、HS-2088はライヴの物々しい雰囲気を生々しく伝えている」などと尤もらしい理由を付け、「両者にはそれぞれの良さがある」という玉虫色発言をしている。ただし、ここでも用いられたARTは輸入盤であり、国内盤の同士討ちはあくまでも避けていた。やっぱりセコい。何にせよ、HS-2088盤から私が耳障りだと思う「ガヤガヤ感」は、シューリヒトでもクレンペラーでもカラヤンでもみんな一緒である。つまり、スタジオ録音であるかライヴであるかは関係ないということだ。そして、それが「ライヴの物々しさ」だという彼の言い分にも大いに疑問を感じざるを得ないのである。

2004年12月追記
 クナッパーツブッシュのページ作成のため、あるクラシック総合サイトを閲覧していたところ、ウェブマスターのS氏は例のアイヒンガー&クラウスによるマスタリングを「ライヴの迫力や演奏者の息使いが消えてしまい、楽曲はちゃんと聞けるが、音そのものとしては干物のような潤いのない、臨場感の乏しい音になってしまっている」と批判したついでに、「○kazaki音質破壊マスタリング」(某匿名掲示板より)にも言及していた。氏によれば、極悪コンビのやり方とは逆に「素材がスタジオ録音なのに、第1ヴァイオリンなどの高域や、その高域に付随する倍音成分を削りすぎ、そのかわり、中低域をかなり膨らませて失敗してしまっている」ということである。スタジオ録音にもかかわらず、不自然なほど「ガヤガヤ感」タップリの音質には常々「おっかしいなあ」と思っていたのだが、これでようやく謎が解けた。

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