交響曲第8番ハ短調
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
70/10〜11
EMI CMS 7 63835 2

 クレンペラーの目次ページ等にイライラをぶちまけていたが、ようやく2006年3月入手に成功。長いことamazon.comのマーケットプレイスに20ドル(USD)の買い注文を入れておいたのだが結局入荷しないまま期限切れ(Feb 07)。それに挫けず再度プレオーダーするため訪問したところ、何と$12.25で売りに出されているではないか。即座にカートに放り込んで注文確定した(March 13)。送料&梱包料($5.49)を加えても $17.74 だからヤフオクで競争することを考えたらかなり良い買い物だった訳だが、注文してから僅か9日後に届いたので驚いた。(1ヶ月待っても着かないというケースはザラにある。)エアメールの送料は $7.50 かかったと思われるから差額を飲んでくれたということだ。エライ! もちろん「非常に良い出品者です。」の評価を付けさせていただこう。(たしか5点満点だったような。)
 ところで、このスタジオ録音が行われた年について国内の通販サイト等が「1970年」としていることに対し、私は64年「稀少蛾」盤ページにて誤記ではないかと疑念を呈した。Berky氏のディスコグラフィには "10+11/72" と記載されているからである。とにかくEMIというレーベルは国内外を問わず杜撰な仕事ぶりに定評があるが、どちらかといえば国内業者の方がその程度が著しいと私は認識している。ゆえに、CupiD(CDデータベース)では国内盤(「ジークフリート牧歌」併録のTOCE 3451/2)の詳細ページに「70.10,11」と明記されているものの、それも元はといえば発売側の不注意によるもので、さらに数々の国内サイトまでがそれを鵜呑みにしているに違いない。一時はそう考えていた。(これまでの経緯から私がそのような判断を下したのも無理もないだろう。)さて、届いた当盤のブックレット裏表紙を見ると、メイン曲(余白にワーグナーとヒンデミットを収録)であるブル8の録音年月は思った通り "X. & XI. 1972" となっている。よって「これにて一件落着、メデタシメデタシ」として幕を下ろしたかったところだが、話はそう簡単ではなかった。ブックレットの中を見ると、ROBIN GOLDINGによる英文解説に「1970年秋にロンドンで録音、1973年12月(=指揮者が没した半年後)にリリース」とあったから(独語および仏語翻訳も同様)。ここで "SERAPHIM SERIES" による国内盤(49番)を棚から取り出しブックレットを開いてみた。クレンペラー最晩年の様子が述べられていたのを思い出したためである。(私は常々「糞レーベル」呼ばわりしているけれども、このシリーズは例外的に悪くない。解説はなかなかに充実しており、○kazakiによる音質破壊からも免れているから。)双方に解説を寄稿していた菅野浩和は、英国で聴いた1971年9月のコンサート時の印象として「ひどい状態」「重病人のような姿」「不自由な指揮」「痛々しい舞台姿」などと書いていた。(ベートーヴェンの「シュテファン王」序曲、同ピアノ協奏曲第4番、そしてブラームスの交響曲第3番というプログラムだったそうだが、どこかに音源が残っていてリリースされないだろうか?)さらに翌72年シーズンの上半期にも4回の公開演奏会が予定されていたが、健康悪化のため全てキャンセルされたということだ。(それゆえ菅野の聴いたのが結果的に引退演奏会となった。)公衆の前に姿を現さなくなって以降も若干のレコーディングを行ったらしいが、そうだとしてもブル8という大曲を録音する気力と体力が残っていたとは考えにくい。(72年10〜11月といえば死去の8〜9ヶ月前である。)したがって、このページでは70年の録音として話を進めることとした。(そして、珍しくも国内EMIがまともな仕事をした例として記憶に留めよう。)
 約18分の第1楽章は遅いことは遅いが、もっと時間をかけている何種類ものチェリ&MPO盤を聴いても特にダレたりしなかったから問題なし。アンサンブルが割合(ときに乱れることはあっても)しっかりしており同年2月録音の9番のようなヨレヨレ感がないのは何といっても嬉しい。この8ヶ月間に体力と気力をかなり回復することができたと思われる。ということで、やはり死の前年の録音とは考えにくい。(単にテープの保存状態が9番より良かったからかもしれないが。)
 最も異様に聞こえたのが第2楽章。トラックタイム19分53秒というのはギーレン盤や朝比奈&N響盤、あるいはマゼール&MPO盤(DVD)の17分強をも上回り、文句なしに最長時間を誇ることとなったが、検索範囲を未所有音源に広げても果たしてこれを凌ぐディスクは存在するだろうか。スケルツォ主部を上回るトリオのノロノロには閉口したくなったが、ここまでやって初めて生じる荘重さというものが存在することは認めざるを得ない。約27分のアダージョは拍子抜けするほどフツーである。というより、それまでの超低速に慣れてしまった耳にはアッサリ気味とすら聞こえてしまう。しかしながら、当盤に匹敵するほど気高さに溢れた演奏を他に見い出すことは容易ではないだろう。ここまではとにかく安定感抜群で、宇宙の全ての生物が死に絶えても、いや宇宙自体が滅んでしまってもこの音楽は存在し鳴り響き続けるに違いない。自分でもよく解らないが、ふとそんなことを考えてしまったほどである。問題は次だ。
 終楽章は2度にわたる大幅カット(211〜387まで176小節、および582〜647まで65小節)により標準的なノヴァーク2稿の709小節が468小節に縮んでしまった。ここで(初稿使用によるディスク評ページ同様)甚だ乱暴な試みながら、ノーカットだった場合の時間を推定してみた。

 19:26 × 709/468 = 29:26

こうなった。スローテンポから想像できるようにチェリのリスボン・ライヴ並である。ここも第1楽章同様足取りに大きな乱れはなく、スケール感を極限まで追求したものとして当盤の右に出る演奏は全く思い浮かばない。(チェリ盤は全く違う方向を向いている。)速度差や音量差に頼らずともここまで巨大な演奏が実現できてしまうのである。脱帽である。が、そうなると余計にカットが惜しまれてくる。(第3楽章終了時点でガス欠になってしまった訳でもあるまいに。)一度目(トラックタイム9分17秒)はまるでアナログ盤再生時にターンテーブルに大きな振動を与えた時のようなランダム(デタラメ)な飛び方に呆気にとられてしまった。テレビ番組の人気企画「日本全国ダーツの旅」を彷彿させるほどだが、私が常々非難しているアダージョのノヴァークによるアホカットと比べても断然酷い。二度目の飛躍(同16分35秒)後の着地点もいかにも唐突という感じであるが、何せコーダまであと少しという所まで来ていたのだから、もうちょっと辛抱できなかったのかと言いたくなる。また気に入らない部分を除去するなら、せめて代わりの繋ぎを補ってもらいたかった。「スコットランド」交響曲のコーダを自分で創ってしまったほどの人だから。(仕方がないのでチェリ&MPO盤から抽出した断片を欠落部分に挿入しようかと一時期考えたほどだが未だ試みていない。)コーダでは17分58秒〜と18分03秒のホルン(?)の1オクターヴ上げが印象に残った。こちらは私的にもOKであるが、やはり指揮者独自の考えに基づく改変だろうか?
 録音は相当に優秀である。聴き比べていないため断言できないものの「歪みが2088倍凄まじい」国内盤の入手に過去何度も失敗してきたのはラッキーだったかもしれない。よくよく考えたら、私が所有するクレのPOあるいはNPOとのブルックナー選集中で、この8番は唯一の海外製作盤である。国内盤は本国(UK)保管のマスターテープから作成したコピーを元にCDをプレスしているという話だから、これだけの音質差(鮮明さに雲泥の差)があるのは当然かもしれない。

8番のページ   クレンペラーのページ