オットー・クレンペラー

交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
 フィルハーモニア管弦楽団
 バイエルン放送交響楽団

交響曲第5番変ロ長調
 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

交響曲第6番イ長調
 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

交響曲第7番ホ長調
 バイエルン放送交響楽団
 フィルハーモニア管弦楽団

交響曲第8番ハ短調
 ケルン放送交響楽団
 フィルハーモニア管弦楽団
 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

交響曲第9番ニ短調
 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

 ブルックナー以外のクレンペラー指揮のディスクとしては「大地の歌」「ドイツ・レクイエム」「ワーグナー管弦楽曲集(第1&2集)」などが私のCDラックに並んでいる。それらは番号が「CC33-XXXX」、つまり初期盤である。(さすがに「CC38-XXXX」はない。Sonyの「38DC-XXX」もそうだが。)クラシックCDの蒐集を始めた初期(「音質破壊レーベル」に酷い目に遭わされる前)から、そこそこ買っていたのである。他に中古を入手したバッハの「マタイ受難曲」「ミサ曲ロ短調」もある。(前者はリヒター盤3枚組のDISC2を不注意で傷付け、再生不能にしてしまったので泣く泣く購入したのである。)「クラシック遍歴」に書くかもしれないが、私は最初期はとにかく声楽付きの音楽が好きで、宗教曲はもちろんのこと、交響曲でも合唱やソリストの加わっているものを選んで聴いていた。(そのため、交響曲はマーラーやショスタコーヴィチをブルックナーよりも好きだったし、「ファウスト交響曲」「クレルヴォ交響曲」などさほどポピュラーでないものまで買っていた。マーラーやシューベルトの歌曲も気に入っていたが、なぜかオペラは良さが全く解らず、全曲盤は論外、アリア集も敬遠していた。オペラ歌手の声を素晴らしいと感じられるようになったのは、「三代テノール世紀の共演」、つまりサッカーWC90年イタリア大会の決勝前夜にカラカラ大浴場で行われたドミンゴ、カレーラス、パヴァロッティによるコンサートのライヴCDを聴いてからのことである。)当時は選択肢(CDの発売点数)が今よりも圧倒的に少なく、初発盤をほとんど自動的に買っているような状態だった。「音楽の友」の「かつての名盤がようやくCD化」といったディスク評に踊らされていたということもある。つまり、特にクレンペラーが好きで買っていたという訳ではない。レンタル屋で借りた「スコットランド」「イタリア」も決して悪い演奏ではないと思ったが、私は今に至るまでメンデルスゾーン、シューマン、シューベルトなど前期ロマン派の交響曲を積極的に聴こうという気にならない。良さが解らないのである。交響曲以外の分野でも一緒で、ショパンやリスト、パガニーニにしてもほとんど聴かない。後に「スコットランド」は決定盤らしいということも知ったが、そういう事情もあって、私は長いことクレンペラーを巨匠級の指揮者であるとは認識してこなかった。(追記:今年の「廃盤CD大ディスカウントフェア」にて、フルトヴェングラー&BPOによるシューマンの4番を入手した。これは、すばらしかった。やはり名盤とされるシューベルトの「グレイト」にも手を伸ばすかもしれない。なお、そのPOCG-9821にカップリングされた1947年5月27日の「運命」は、OIBPマスタリングによるOriginalsシリーズのPOCG-3788よりもはるかに迫力がある。平林直哉が「クラシック、マジでやばい話」に書いていたことは本当であった。)
 遅ればせながらこの人の実力に注目するようになったのは、輸入盤を通販で買うようになってからのことである。ベートーヴェンの交響曲の聴き比べに熱中していた頃、交響曲&ピアノ協奏曲の全集9枚組が五千円台だったので迷わず購入したが、堂々たるテンポで最後まで押し切っており、しかも全く退屈させない密度の濃い演奏であったため、この指揮者のただならぬ力量をようやくにして悟るに至った。(ピアニストが若いこともあるが、協奏曲ではピアノを完全に添え物にしてしまっている。後にBOOKOFFで買ったヴァイオリン協奏曲でも、メニューインの独奏がせいぜいコンサートマスターによるソロパート扱いにまで貶められている。というのは私のオリジナルではなく、評論家の「子供扱い」「釈迦の掌で暴れる孫悟空」というコメントの受け売りなのだが、全く同じ印象を受けた。)バイエルン放送響との45番ライヴも素晴らしかった。
 ところがブルックナーとなると評価が難しい。私が持っているのは全て中古(中古屋かネットオークション経由で入手)であり、それはどうでもよいが、4番と8番(ただしケルン盤)のようにセカセカしたものから、567盤のように堂々としたものを経て、最後にヨレヨレの9番に至るからである。4番にはバイエルン放送響との、5番はウィーン・フィルとのライヴ盤も持っているが、ともに演奏年代にはスタジオ盤と大きな違いはない。やはり時を措いた同曲異演奏の聴き比べによってスタイルの変遷を追う必要があるのかもしれない。それにしてもEMI正規盤の8番が入手できていないのは痛い。以前は「噴飯もの」のカットのある演奏なんて真っ平御免と思っていたが、やはりクレンペラーのブルックナー演奏を語る上では欠かすことができないのではないかと今では考えている。ネットオークションではかなり高騰するので再発を待っているが、いつになるやら。(かつて4〜9番までがセットで出品されたものの、重複が出るのを嫌って見送ってしまったことが大いに悔やまれる。落札金額は六千円台で、決して高くはなかったのだ。)→追記:2006年3月にamazon.com経由で中古輸入盤をゲットした。

おまけ(クレンペラーとは全く無関係)
 上の「サッカーWC90年イタリア大会」は、私の頭の中には "Italia 90 (noventa)"として保存されている。当時は日本の反対側に住んでいたためである。村には電気が来ていなかったので、別ページにも書いた短波ラジオで中継を(明るい時間帯なので農作業をしながら)聴いていた。パラグアイは予選で敗退し、出場していなかったが、アスンシオンのRadio Nacionalは主に南米チームの試合を中継していた。(今思うに、在留外国人に配慮してのことだったかもしれない。)ただし、アナウンサー(確か "Luis Enrique" という名)の声がなさけないので聴く気になれず、Radio Nacionalでもお隣のブエノスアイレスからの放送を聴いていた。(彼の情けないというか泣きそうな声は、トヨタカップの南米代表としてオリンピアが出場した試合でも聴かれた。ACミランに0─3でコテンパンにやられたのだが、それについてもどこかに書くかもしれない。)短波放送なので世界中の放送局が受信できたが、英語を忘れかけていたのでBBCのワールドサービスはチンプンカンプン、ドイチェ・ヴェレはもちろんダメ。ブラジルからの放送は(ブラジル・)ポルトガル語の(あるいは怒られるかもしれないが)暴力的な響きのため迫力満点だったけれども、やはり理解するにはほど遠かった。西語も早口だとよく聞き取れず、理解度は幾分マシという程度であった。
 さて、前回優勝国ながらアルゼンチンの前評判はもう一つで、グループリーグ初戦のカメルーン戦に負けたこともあり、いつ敗退してもおかしくないと思われていた。ところが、決勝トーナメントに入ると劣勢ながらも何とかPK戦にまで持ち込み、まさかの快進撃で決勝に残ってしまったのである。私はJosé-María(アルゼンチン国営放送のアナウンサー、名だけで姓は知らない)の実況が忘れられない。ピンチの連続に思わず発した"¡ Vamos Argentina !"の悲痛な叫びからして凄かったが、PK戦で勝利が決まった時の "¡ Argentina clasificado !" の連呼は尋常ではなかった。大絶叫を繰り返すうちに感極まったのか、次第に号泣へと変わっていった。そういう実況を立て続けに聴かされたのだから、彼の声が耳にこびり付いてしまったのは当然である。ところが、ドイツとの決勝が行われたのは私が首都に向かう前日で、夜行バスに乗るためにドイツ系移民の居住地に出ていた私はホテルのテレビで(金を払って)試合を観ることになった。後半も終盤に入ったところでPKで得た1点をドイツが守って優勝(マラドーナはレッドカードを出され、泣きながら途中退場)するという結果に終わったのだが、一緒に観ていたアルゼンチンからの出稼ぎ労働者は、吐き捨てるように "¡ Viva Alemania !"(ドイツ万歳)と叫んで出ていった。本当に悔しそうだった。それが正常な反応である。彼は酒場に直行してヤケ酒を煽ったに違いない。ここでもう一つ忘れられないことを書く。中継を観ていた大部分は先述した居住地の住民達、つまりドイツ系なのだが、彼らが興味を示したのは試合そのものではない。後からのタックル(ファウル)で試合が中断し、選手が悶絶している時だけだったのである。リプレイになると、スライディングが肢に入ったところで皆がゲラゲラと笑う。「コイツらいったい何なんだ?」と、非常に不気味に思った。彼らはドイツが点を取っても、そして優勝が決まっても喜びの表情を全く見せなかったので、さらに気味の悪さが募った。後で考えたことだが、住民の祖先はプロテスタントの異端派(メノー派)で、兵役拒否のために祖国を追われ、世界中を転々とした挙げ句に辺境の地に辿り着いた。そういう事情があるので、ドイツに対して良い感情を持つことなどできなかったのかもしれない。(ドイツの選手が削られているのを見て「いい気味だ」と思っていたのであろうか?)そして、これは首都に着いてしばらくしてからであったが、決勝の実況を聴くことのなかったJosé-María氏について、「彼は悲しみのあまり首を吊ったりしなかっただろうか」と心配に思ったこともよく憶えている。
 やはり別ページに書いているように、私はクラシック以外でもBBC World Serviceの音楽番組をよく聴いていたが、毎週月曜夜の"Multitrack" というヒットチャート番組はお気に入りの1つだった。(シングルチャート発表が月曜、アルバムチャートは土曜だった。)この大会期間中のある月曜日、その番組にて「初登場第4位」としてパヴァロッティの歌う "Nessun Dorma !"( プッチーニ作曲「トゥーランドット」第3幕にて王子カラフの歌うアリア「誰も寝てはならぬ!」)がいきなり流れてきたのだから私はひっくり返った。 ロックやポップスで占められているチャートにクラシック曲が殴り込みをかける(トップ10に乱入する)など、日本ではまず考えられないことだからである。(先に触れた「三代テノール世紀の共演」はパラグアイ国内でも中継されたらしいが、私はもちろん観ていない。ところで、そのコンサートの開催と関係があったのかなかったのかは知らないが、)BBCは Italia 90 の中継のテーマ曲としてそれを使っていた。(そこはちゃんと聴き取れた。)それゆえの「初登場第4位」であったのだ。(ヴェルディ「アイーダ」の大行進曲のように、サッカーのテーマとして勇壮なクラシック音楽は相応しいと思う。)その後も何度かこのアリアを耳にする機会があり、次第に「ええ歌声やなあ」と思うようになった。 (メロディ自体はルイス・クラーク指揮ロイヤル・フィルによる名盤「フックト・オン・クラシックス2」で既に知っていた。余談ついでだが、LP時代に大ヒットしたらしき第1弾から第3弾までをまとめたセットを8400円で私は買った。レンタル屋で借りたパート2が大いに気に入ったからであるが、これが3枚中では最も完成度が高いと思う。)帰国後に名古屋の栄という所にあった(果物の名前の)中古屋の本店(当時は古びたビルの地下1階にあったが後に移転)で見つけた「三代テノール世紀の共演」に手を伸ばしたのは、そういう背景があったからである。後に「ロンドン・ベスト100」シリーズの「オペラ・アリア集(男声篇)」も購入したが、その末尾にトラック18として収録されているパヴァロッティの"Nessun Dorma !"(メータ&ロンドン・フィル他による72年録音の「トゥーランドット」全曲盤から抜粋)こそが、おそらくはItalia 90 用にシングルカットされ、私を驚かせることになった音源ではないかと思う。

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