交響曲第9番ニ短調
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
70/02
SERAPHIM TOCE-1572

 7番と同時に買った9番(および4番)は94年発売の「SERAPHIM」シリーズであるが、これも音質はイマイチ。「歪みが2088倍凄まじい」マスタリングによってボロボロにされていないだけマシと納得しなければいけないのかもしれないが、目次で触れたベートーヴェン全集や輸入ARTの「荘厳ミサ」はなかなかの音だったので、ブルックナーも音質向上は十分可能ではないかと思う。とはいえ、激安ボックスでも出ない限り買い直す気はないが・・・・
 4番BRSO盤ページと同様、ここでもCupiD掲載のコメントから。

 死の3年前の録音。頻繁に現れるオケの乱れがこの巨匠
 の健康状態を感じさせて痛々しい。だがこの演奏の凄絶
 さはどうだろう。テンポがどうの,楽器の音色がどうの
 という次元を完全に忘れさせてくれる。3楽章を聴き終
 わった時の感動。偉大な遺産に感謝。

やはり私も当盤を聴いて「壮絶さ」を感じたが、上のコメントの執筆者とはニュアンスが微妙に違っているようである。私はテンポも楽器の音色も気になって仕方がなかったし、それ以上にアンサンブルの乱れはいかんともしがたく、この演奏を「偉大」とは思えなかった。(そういえば「クラシック名盤&裏名盤ガイド」でこの曲を担当した阿佐田達造も「偉大なクレンペラー盤」と書いていたっけ。)私のイメージした「壮絶さ」は、巨大建築物が音を立てて崩れ落ちる様に近い。あるいは上の執筆者には、崩壊寸前、いや、まさに崩壊しつつある指揮者のボロボロの肉体が目に浮かび、にもかかわらず演奏を続けようとする執念(指揮者の本能)に対して「偉大さ」を感じ取ったのかもしれない。が、そういうのは腹を裂かれても内蔵を引きずりつつ逃げようとするワニ、あるいは取り出してもしばらくはピクピク動いているサメの心臓といった「動物的本能」や「生命力」の類ではないかと私は思う。それに某かの「畏れ」を抱くことはあるかもしれないが、人間の行為から受ける印象とはあくまで別物として考えたい。(「人間は動物であって動物ではないのです」はトルストイ作「クロイツェル・ソナタ」の語り手、ポズドヌイショフの台詞だったか?)やはり、「偉大」と感じさせるには一定水準以上の完成度が欲しいところだ。
 とにかく第1楽章の痛ましさは、私が所有する他のどのブルックナーのディスクからも聴かれない。ヴァントの2000年来日公演の9番のページにて、当盤も「インフレーション」(当盤では2分24〜31秒)のヴァイオリンの刻みが他の楽器のリズムと全然合っていないと書いたが、「ビッグバン」でも立て直すことができず2分43秒からも乱れてしまう。こんなのは当盤だけである。2分52秒からが「ミッラー」とタメのないのも気に食わなかった(シューリヒトVPO盤参照)。速い部分はさほどでもないが、遅い部分の乱れっぷりは凄まじい。間延びして聴こえる箇所が頻出する。UKのオケだけにピッチはやや低いが、それがさらに下がっているように聴こえる。最初私はテープの保存状態が悪かったのでワカメ状態になってしまっているんじゃないかと思ったほどだ。こんな惨状なので、最後まで聴き通すのはあまりにも辛い。(そのくせ、コーダだけはスローテンポから脱却してサッサと進めるのだが、それは基本テンポを無視する行為であり余計腹立たしい。)よって、当盤も遠島の刑に処せられたのである。
 第2楽章は立ち直りを見せている。そして終楽章だが、これは悪くない。この楽章は基本的にスローテンポで進めていけば大間違いはないので、衰えた指揮者でも何とかなってしまったのだろう。(それだけに、何とかなっていないシューリヒト&VPO盤は異常だと思う。)ブックレットに記載されている録音年月日は、70年2月の7日、そして18〜21日と飛んでいる。あるいはボロボロの1楽章だけ7日に録音されたのかもしれない。とにかく、この楽章の途中までは第1楽章のようにピッチを不安定と感じたりすることはない。ところが、20分を過ぎた辺りからまたしても、である。演奏よりも先に指揮者の心臓が止まってしまうんじゃないかと心配に思うほど遅くなり、乱れに乱れる。ヨレヨレになっていたのはやはりテープではなく指揮者だったのだ。
 実は改めて聴いたところ、中途での乱暴な加減速を行っていないこともあって、(第1楽章のコーダなど許し難いところはあるが、)クレンペラーの解釈自体については不快に感じるところがさほど多くなかったのが私には意外であった。むしろ、テンポやパートバランスの設定に彼独特のものがあって、なかなか面白いと思った箇所が少なくなかった。それだけに第1楽章と第3楽章終盤のヨレヨレが惜しまれる。当盤のひなびた雰囲気は、何となくであるが同じく最晩年に録音されたワルター盤に近いと私は考えている。(音量差や残響の少なさなども共通している。)あれくらいの完成度の演奏を聴くことができたならば、印象は全く違ったものになっていたかもしれない。

おまけ
 この9番や5番のEMI盤は国内盤、輸入盤を問わず現在では廃盤らしく、かつてはクレンペラーのブルックナーとして唯一稀少盤だった8番とともにネットオークションでの高騰が著しい。特に9番はこのところ5000円以上の高値が付いており、非常に入手困難となっている。それほどの対価を払うだけの演奏とは到底思えないのだが・・・・。

9番のページ   クレンペラーのページ