交響曲第5番変ロ長調
オットー・クレンペラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
68/06/02
KING Record (SEVEN SEAS) KICC-2078

 どこかのページに書いたはずだが、当盤は不覚にもダブり買いをしてしまった。「クラシック名盤&裏名盤ガイド」のこの曲のページを担当した吉田真が推していた演奏で、「そもそもウィーン・フィルとの共演は少なかったこの大指揮者だが、この68年に集中的に客演した一連の演奏会は、グラモフォンから発売された<<運命>><<未完成>>なども含めて、奇跡的な名演ぞろいであった」というコメントにそそられたので何とか入手したいと思っていたのであった。結局はタイミングの悪さによって上記キング国内盤とM&Aの輸入盤を入手することになってしまった。同じ箇所にテープ損傷による音の欠落や歪みがあるので、どうやら使用音源は同一らしい。 当然ながら両盤を聴き比べても音質に優劣はない。どちらも(会場ノイズは拾っているが)ライヴの臨場感が希薄な録音である。ということで、日本語解説書付きの当盤を残し、もう一方は人に譲った。
 さて、ほぼ倍額を出してまで手に入れた演奏であるが、もし吉田の「奇跡的な名演」が事実であったならば「それでもまあ良し」とすることができたはずだ。(ちなみに、輸入盤の再プレス前はヤフオクでもかなり高騰していた。)ところが結果は「残念!」であった。(普通に買っていれば問題はない。コストパフォーマンスは十分ある。)ヴァントの5番BPO番ページでも述べているが、この曲は「ブルックナーが世に背を向けて書いた」(by Wand)だけに、彼の高踏的スタイルとは実に相性がよい。一聴すると「動かざること山の如し」で「解らん奴は解らんでもええ」と言っているような67年フィルハーモニア盤もその点でまさに理想的である。ところが、当盤にはそのような「ぶっきらぼうさ」があまり感じられないのだ。ライヴのため、客への受けを狙ったという訳でもないだろうが、所々即興的に聞こえてしまう。といって、熱血演奏にもなっていない。かなり前から健康を害していたこの晩年の指揮者にそれを求めるのはいくら何でも酷だろうが。結局のところ、「枯れている訳でもなし、暴れている訳でもなし。ちゅーーとはんぱやなぁ」(←ちゃらんぽらんの口調で)と言いたくなってしまうような演奏で、67年盤の巨大さとは比べるべくもないという印象である。
 ただし、先述したような音の悪さ(ライヴなのに「死んだ録音」)が災いしている可能性はある。やはり本当は枯れつつある巨匠による蝋燭の最後の残り火のような、それこそ「奇跡的名演」だったのかもしれない。第4楽章の終わりからはその片鱗が窺えなくもない。実際、晩年の巨匠には「枯れ」×「熱血」という一見ありえないようなハイブリッド的超名演が生まれることが多々ある。この演奏は(音質には定評のある)TESTAMENTから発売される予定のクレンペラーのVPOライヴ8枚組に収録されているということだが、そこで真価が初めて明らかにされる、のだろうか?(私は購入するべきか迷っているので、「中途半端」というイメージが払拭されるかも微妙である。)

おまけ
 クレンペラーのディスク評は正直書きにくい。並行執筆しているシューリヒトはさほど好きでもない指揮者なので解らなくもないのだが、それと比べてもなぜか書きにくい。だから長々書いていても中身がない。あるクラシック総合サイトもウェブマスターが「クレンペラーのページ」に質量ともに大変優れた批評(ブルックナーだけでなく、ベートーヴェンでもモーツァルトでも、あらゆる作曲家のコーナーが内容充実で素晴らしい)を掲載されているのには本当に頭が下がる(ちったあ見習えよ>自分)。

5番のページ   クレンペラーのページ