朝比奈隆指揮      Victor VICC-40128〜38(全集)

交響曲第0番ニ短調  (大阪フィルハーモニー交響楽団)  78/06/05
交響曲第1番ハ短調  (日本フィルハーモニー交響楽団)  83/01/29
交響曲第2番ハ短調  (東京都交響楽団)         86/09/11
交響曲第3番ニ短調  (大阪フィルハーモニー交響楽団)  84/07/26
交響曲第4番変ホ長調 (大阪フィルハーモニー交響楽団)  89/02/17
交響曲第5番変ロ長調 (東京都交響楽団)         80/09/03
交響曲第6番イ長調  (東京交響楽団)          84/01/28
交響曲第7番ホ長調  (大阪フィルハーモニー交響楽団)  83/09/13
交響曲第8番ハ短調  (大阪フィルハーモニー交響楽団)  83/09/14
交響曲第9番ニ短調  (新日本フィルハーモニー交響楽団) 80/06/04

 浅岡弘和は朝比奈を長嶋茂雄、ヴァントを王貞治に準えるのがよくよく好きなようで、自身のサイトで繰り返しこの比喩を使っているが、どうやら彼としては「記憶に残る男」の前者を「記録に残る男」の後者よりも上に置きたかったようである。(ちなみに、長嶋は私が9歳の時に引退したので選手としては最晩年のプレーしか知らないし、指揮官としての腕前は明らかに二流以下、端的に言えば「ヘタクソ」だったから、彼に対しては何のカリスマ性も感じることはない。)さらに、朝比奈とフルトヴェングラーについては「ファンは彼等の全演奏を追体験したい」けれども、ヴァントやムラヴィンスキーは「完璧なベスト演奏にもかかわらず、最新録音(若しくは最も音質の良い物)が一枚だけあれば事足りる」とも述べていたが、その主張は少々乱暴ではないだろうか? かつて私は何となく納得したような気になっていたけれども、今ではちっとも事足りていない。そもそも前者達と後者達をひっくり返しても文としては成立するので単なる主観の問題のようにも思えるし、正規 or 海賊を問わず既に「リアル・ライヴ」が何点もリリースされ、今後もその可能性が高いヴァントは「多数の同曲異演盤が出る」という条件をちゃんと満たしているのだから。そういえばムラヴィンスキーにしたところで、新音源が発掘される度に大きな話題になるという点では何ら変わりがない。とはいえ、彼も「もっともお互いのファン同士がいがみ合うというのでは目○、鼻○を笑うの喩えのようであまり感心しないが」などと、読者に対してはあくまで節度を保つように戒めていた。
 実際のところ、某巨大掲示板でも朝比奈とヴァントが「巨匠」と賞賛され、人気が沸騰していた頃から、(ファン層はある程度重なっており、両指揮者の支持者は醜い争いには当然参加しなかったが)朝比奈派とヴァント派による罵り合いが日常茶飯事のごとく繰り返されていた。それはヴァントが亡くなるまで続いた。(さすがにそれ以降は下火になったが・・・・・)
 まあ、私は両指揮者のブルックナーCDはそれなりに聴いてきたので、両者を比較して論じる資格はあると思うが、下手なことを書いたら顰蹙を買うことは必定である。(ましてや、誰かさんのごとく、ろくに聴かない内から「格が違う」などと断ずるような真似は、自らの恥と無知とを晒すだけであるから絶対に避けなくてはならない。)そういうこともあって、私は朝比奈のページの執筆には慎重にならざるを得なかった。基本的にディスク所有枚数の多い順に作成→公開してきた当サイトにおいて、後回しになったのはそういう事情がある。
 さて、本ページでは全集を扱うので、ここで両指揮者が行った全集録音を順に並べてみよう。(例によってズレてたらゴメン。)

    朝比奈(1908/7/9/〜2001/12/29)  ヴァント(1912/1/7〜2002/2/14)

1回目      ジァンジァン          ケルン放送響
      76.4〜78.1(68〜69歳)       74.7〜81.12(62〜69歳)

2回目      ビクター            北ドイツ放送響(選集)
      78.6〜89.2(69〜80歳)       87.8〜95.5(75〜83歳)

3回目      キャニオン           ベルリン・フィル(未完)
      92.9〜95.4(84〜87歳)       96.1〜01.1(84〜89歳)

こうして眺めてみると、若干のズレは当然ながらあるものの、3回の全集録音が行われた年齢は結構近いことが判る。2回目の全集が最も長期にわたっている点も共通している。(なお、改めて書くまでもないかもしれないが、両者の1回目全集が開始された時期から遠くない1975年において、67歳だった朝比奈は「聖フロリアンの7番」、63歳のヴァントはギュルツェニヒ管との8番録音を残した。)私は朝比奈による最初の大阪フィルとの全集(いわゆる「ジァンジァンの全集」)は未聴なのでコメントできないし、当然ながらヴァントのケルン全集との比較もできない。(名古屋の中古屋で何度も見かけたが、魅力を感じなかったので結局手を出さなかった。というより、たしか2万以上したので金のない私にはそもそも買えるはずもなかった。)では2回目同士、つまり朝比奈が5つのオーケストラを振り分けたビクターの全集とヴァントのNDR選集とではどうかといえば、こちらはまるで比較にならない。ヴァントのNDR選集はケルン盤で聴かれた堅苦しさがなくなり、録音が進むにつれてスケール感も増してくる。「緻密さ+スケール感」というまさに「鬼に金棒」のような全集であるから、演奏の粗さが耳に付いて仕方がない朝比奈盤はあまりにも分が悪すぎるのだ。(3回目同士だと、全て手兵の大フィルで比較的粒の揃った朝比奈盤 vs 出来不出来の激しいヴァントBPO盤ということで、またしても比較が困難となる。なので、ここでは触れない。)
 しかし、単に「○回目」という録音の回数だけを基準として同じ土俵に乗せるのは安易すぎるかもしれないという気がしてきた。何せヴァントはブルックナーの録音に対して非常に慎重な態度をとり続け、最初のケルン全集はまさに満を持して臨んだものだったからである。だから次のNDR選集の完成度がメチャクチャ高いのは当然だ。一方、朝比奈の2回目は最初から全集録音を目指したというよりは、無理矢理に寄せ集めて全集にまとめ上げた「寄せ鍋」「ゴッタ煮」のようなものだから、これを比較対象にするのはあまりにも気の毒かもしれない。そこで以下のように改めることにした。

         朝比奈              ヴァント

壮年期  フロリアン7番&ジァンジァン全集   ケルン・ギュルツェニヒ管(8番)

晩年入口     ビクター全集         ケルン放送響(全集)

晩年中頃     キャニオン全集        北ドイツ放送響(選集)

晩年出口(?)  各種単発ものや選集      ベルリン・フィル(未完)その他

ジァンジァンの全集とギュルツェニヒの8番を「壮年」として同列に置いたが、ネット上で見ることのできる前者の「力み」や「硬さ」という評価は、私が聴いた後者の印象と似ていなくもないし、もしヴァントがやる気になっていたらこのオケとの全集も作れていたかもしれない、と考えることは十分可能なので、あながち無謀な企てともいえないように思う。そして、上のように並べ換えると、2番目は「粗いがスケール感はある朝比奈のビクター全集」と「緻密だが息苦しいところもあるヴァントのケルン全集」、次の3番目は「ともに円熟期の録音」として互角の勝負に持ち込むこともできる。そして最後の4番目だが、名声が高まってからの、いわゆる「巨匠」時代の録音ということで括ることができる。さらに、ヴァントのBPO盤があくまで客演時の録音で手兵オケを振ったものではないという点を考慮すれば、大フィルだけでなく東京のオケとの共演によって朝比奈が残したおびただしいライヴ録音と対比させることにも説得力が感じられる。こうすることで、「玉石混合」「出来映えはまちまち」という理由で優劣は付けられないとして逃げることができた。やれやれ。(蛇足ながら、ヴァントの「出口付近」、つまり最晩年には当然ながら「ラスト・レコーディング」も含まれるし、非合法商品ながらsardanaレーベルなどから発売された「リアル・ライヴ」も加えたい。何せそれらの多くが超名演なのだから。)
 さてさて、そういう訳で、ヴァントの「晩年初期」に当たるケルン全集を単一の「wandkoeln.html」というページで一括して論じていることから、それと対応する朝比奈2度目のビクター全集についても同様に扱うのが妥当であると判断した。(あくまで整合性を重んじたのであって、決して彼の演奏を軽んじた為ではない。)このように尤もらしい理由を述べたが、単に別々のページを作成するのが面倒だからということもある。それでは、この全集の3番以降の演奏についてなるべく簡潔にコメントしていきたい。
 ノヴァーク2稿による3番は、なかなかに野趣に富んだ演奏である。特にティンパニの荒々しい打撃は他パートからちょっと浮いている感なきにしもあらずだが、私が退屈に感じる2稿ではこれぐらいの外連はあった方がありがたい。中でもスケルツォのコーダは、ハイティンク盤のように下手に洗練されているとあのダサい進行に苛ついてくるだけに、当盤のような荒っぽいスタイルがちょうど良い。浅岡弘和は「朝比奈も『ロマンティック』だけはダメ」などと書いていたように、この指揮者が最晩年に開眼するまでは4番を苦手としてきたと考えていた節がある。確かにこの全集収録の演奏もスタスタテンポであまり出来は良いとはいえない。が、同じような快速演奏だったクレンペラー盤などと比べて格段に印象が悪いということもない。(終楽章のラストはまるで宇野盤を思わせる乱れっぷりだが、それぐらいはまあ御愛敬か。)無理矢理(オケが支えられないのに)遅いテンポでやらなかった分、弛緩していないのが救いともいえる。(そういえば、彼は最晩年でもこの曲は特に腰を落としてじっくり演奏するということがなかった。N響との共演をNHK-FMの生放送で何度か聴いたことがあり、他の曲は全く感心できなかったけれども、4番だけはダレることがなく最後まで聴き通すことができた。)8番とともにテンポ揺さぶりに強い曲である5番は、基本テンポにルーズな朝比奈に向いていると思うが、実際にこの全集中でも上出来の部類に入る。ただし最後の最後で着地に大失敗している。終楽章のコーダでテンポを大きく落としてからは中身スカスカだ。(実演では違っていたのかもしれないが、「随伴効果」の入っていないディスクでそう聞こえるのは本当である。)鈴木淳史が「こんな名盤は、いらない!」で述べた「ハーモニーが崩れたまま、音量だけが上がっていく」の典型のような演奏である。(もっとも、鈴木がかなりスタイルの異なる演奏までも全てこれで斬ってしまおうとしたのは、あまりにも乱暴であり怠慢である。)6番は意欲的な演奏で買える。3番と同じく野武士のようなティンパニの活躍が地味な曲に彩りを添えている。アダージョにたっぷり19分をかけながらユルユルになっていないのも立派だ。(と思ったらオケが違っていた。)7番はテンポ設定が(1楽章コーダなどは相変わらず基本無視だが)かなりまともになっており、8年前のフロリアン盤よりも明らかに改善されている。ただし、時にアンサンブルが乱れたり響きが濁るのは(他の曲では許容範囲内であったとしても)美しさが最大のウリであるこの曲ではかなり痛い。(野放図なスタイルはペケ。)8番は非常にエネルギッシュな演奏で精度もそんなに悪くなく、当全集では屈指の出来映え。トータル85分を超える堂々とした演奏で、既にこの頃からスケール感重視というスタイルの基本骨格が出来上がっていたのだから(最晩年まで肥大化を続けたチェリとは異なる)、精度が上がってくればくるほど名演となったのは当然だ。9番についてはあまり書きたくない。スクロヴァチェフスキばりのテンポいじり、しかも演奏は粗いのだから。(1つだけ挙げると、終楽章冒頭の爆発部分はフレージングがあまりにもヘンで、素人の私が聴いても「間違っている」と感じるほどリズムが甘い。後の2種にも感心できなかったのだが、朝比奈の9番は異演奏間で所用時間に相当なバラツキがあるようだし、出来不出来も激しかったに違いない。単に私に「9番運」がないだけか?)

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