交響曲第8番ハ短調
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団
93/10/08〜09
BMG (Arte Nova) BVCY-38033〜44 (全集)

 5番のページで少し触れたが、ヨッフムとスクロヴァチェフスキは演奏に劇性を加えるためにケレンを好んで用いるという点が共通しているように思う。ただし、前者は「力づく」(←変換ソフトとして用いているATOKによると本則は「力ずく」のようだ)、後者は「計算ずく」であり全く異なる。そして、その違いがこの曲との相性の良し悪しという結果となって現れているような気がする。(「良し悪し」とは言っても、私が勝手に決めた相性に関してのことであるから、要は「好き嫌い」に過ぎないのだが・・・・・)当盤ではテンポの細かい変化はあるものの、不快感を覚えるほどではない。もちろん1楽章の終盤で金管が泣き出すようなこともない。
 文句を付けておくと、堂々としたテンポで進む1〜3楽章に続くもとのしては、22分19秒の終楽章はちょっと速すぎであると感じてしまう。(願わくば26分台、せめて24分台ならば・・・・惜しい。)また、ノヴァークの見解に従って第3楽章209小節からの10小節をカットしているのも不満である(8番目次ページ参照)。スクロヴァチェフスキは基本的にはノヴァーク第2稿で演奏しているが、金子建志の解説によると、再現部の第3主題に入る前(16分53秒〜17分37秒)は例外的にハース版に戻し、同版の584〜616小節を採用している。以下はブックレット中の「スクロヴァチェフスキ、ブルックナーを語る」で、彼がその部分について語ったものである。

 ・・・・この何小節かはこの作品の中で最も素晴らしく荘厳な音楽なのです。
 これは絶対に必要です。音楽の構成面から考えても必要な箇所であり、
 ブルックナーはそれを書いているわけです。だから、ここに関しては、
 私はハース版をノーヴァク版に取り入れています。

彼は第3楽章209〜218小節は「素晴らしく荘厳」とは感じなかったようである。とはいえ、作曲もする彼が「音楽の構成面」から不要と判断したのはおそらく正しいのだろう。私の「こだわり」は「つまらん美意識」に過ぎないのかもしれない。(ついでに書いておくと、彼が指摘した部分は改めて聴くと確かに「素晴らしく荘厳」であり、「絶対に必要」とまでは言わないものの「あったほうが望ましい」と感じた。一方、ハース版にはあるが当盤では6分47秒以降カットされている部分については、以前から「あってもなくてもどーでもいい」ぐらいに思っている。)もう1つクレームを付けたいのが2枚組の分け方(この全集ではDISC10と11)で、私にとって最悪パターンになっているけれども、これは指揮者の責任ではない。
 ということで、直接関係のないことばっかし延々と書いてしまったが、当盤の演奏自体は決して悪くない。とはいえ、是が非でも入手すべきというほどの価値も認めてはいない。(Arte Novaの廉価盤なら単発でも全集でも買って損はないと思うが、残念ながら値上がりしてしまった。)実はこの全集の締めくくりとして本ページを作成しているので、ここからは総括めいたものを書いてみることにする。全曲を通して言えることだが、スクロヴァチェフスキはあれこれ考えた上で非常に緻密な演奏を行っており、それが曲との相性(先述のごとく「好き嫌い」に同じ)によって、苛ついたりそれなりに感動できたりするというように私にとっては違った結果を生んでいるが、共通していたのは「スケール感の不足」という印象である。ここでふと「ケルン時代のヴァントとちょっと似ているんじゃないか」と思った。「押しも押されもせぬ巨匠」と称せられる前のヴァントについて、宮岡博英は「確信が単に確信で終わっており、結構窮屈なところが多い」(クラシックB級グルメ読本)、許光俊は「感心はするけどな、という窮屈な後味が残った」(世界最高のクラシック)などと評していた。ということは、スクロヴァチェフスキが90歳近くになってからブルックナーを再録することになれば、もしかしたら神々しさが加わって超名演となるのかもしれない。あるいは、スケールの小ささも放送オーケストラの実力不足に起因しているだけのかもしれないので、(ここからはお決まりの妄想であるが、)もし彼が誰かの代演でメジャー・オーケストラの指揮台に立ち、首尾よく大成功を収めたとすれば、たちまちにして「大巨匠」に祭り上げられること必至であろう。(本人にその気があるのかは知らないが・・・・・)間もなくBPOとの新全集録音が開始され、リリースされる新譜はことごとく「レコ芸」等で特選盤となる。渡辺和彦を除く評論家がこぞって絶賛することになろう。

追記
 今月(2004年)9月11日深夜、NHKBSにてこのコンビによる昨年11月の来日公演時の8番が放映された。全集の方もライヴ録音のようだが、こちらの方がさらにテンポの揺らし方が激しく劇的な表現であった。しかし、私には「非常に神経質な演奏」としか聞こえず、当然私の神経にも障る箇所が頻発した。9番ページでも書いているが、ここでも再生を止めたくなった。即刻中古屋送りになったシノーポリの「復活」の嫌な記憶を思い起こさせる演奏であった。そういえば6番ページでもシノーポリに準えているが、いくら彼のマーラーが変梃で途中で気分が悪くなったとしても、ここまで酷くはない。これじゃ「へたなシノーポリ」だよ、まったく。

8番のページ   スクロヴァチェフスキのページ