交響曲第8番ハ短調
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
44/10/17
Deutsche Grammophon POCG-30078

 「当面は必要としないけれども、とりあえず揃えておく」(欠けているものをなくす)というのがマニアあるいはコレクターの条件とするならば、私もそれを備えるようになったと言わざるを得ない。クナッパーツブッシュのブルックナーは結局(1音源1ディスクながら)残された演奏を一通り所有することになってしまったし、フルトヴェングラーについてもそういう状況に一歩一歩近づいているようだ。先月の「首なし」6番入手で火がついた訳でもないが、楽天フリマで安く売られていた当盤を7番49年盤と同時に買ってしまった。既所有の49年3月15日BPO盤(Archipel)と54年VPO盤(Andante)に特に不満があったということもないのだが。とはいえ、この演奏がフルヴェンのブル8では最も出来が良いという記述が複数サイトに出ていたから、ある程度の期待は持っていた。
 44年の演奏ながら録音はこの時代としては良好。混濁した響きのため壮絶さが前面に出ていたArchipel盤の方がむしろ戦前・戦中録音のようである。やはり音質の違いが決定的だと思われるが、もしかすると47年5月25日の復帰演奏会から吐き出し続けてきた怨念(謹慎処分に対する憤懣やる方なさ)が49年盤にも反映しているのかもしれない。(だとしたら恐るべき執念深さであるが・・・・あの陰気な顔を見ていると、さもありなんと思えてしまう。)
 ブックレット掲載の解説に「ハース版を基本にしながら独自の見解を盛り込んだ独特の版」とあるが、英語版ディスコグラフィサイトにも「ハースおよびそれ以前の稿を基にしたフルトヴェングラーによるエディション」として49年3月(14&15日)と同じ楽譜による演奏として分類されている。(ただし終楽章後半のシンバルは採用されていない。)聴き比べた限り解釈にも大きな違いはなく、当盤でもArchipel盤と同じ箇所で猛烈な加減速を行っている。こうなってくると、やはり大きくものを言うのが音質である。実のところ、速く激しい部分では両盤から受ける印象はさほど違わない。(強いていえば、おどろおどろしい感じの49年盤の方が若干インパクトは大きいか。)ところが後半2楽章では相当に異なっている。当盤の方が圧倒的に音の深さを感じるが、それがアダージョのクライマックス以降や終楽章のコーダといった、この曲の聞かせ所で威力を発揮するのだ。よって、軍配を上げるなら当盤ということになる。物言いは付かない。モノラルの8番としてはクナ&VPO盤と同等に置きたいほど気に入った。ただし、49年盤における曲の入り方の重苦しさやラストの狂乱ぶりは他には代え難く、あくまでフルトヴェングラーに異常性を求めたい人にはあちらがお奨めである。(当盤も相当なものだが、さすがにあれと比較すれば「まとも」である。というより、他指揮者のディスクでも、あそこまで突き抜けてしまったものはない。)

おまけ
 当盤ブックレットの解説によれば、フルトヴェングラーはオーケストラに対して「ブルックナーにおいて最も難しいのは、なめらかで、落ち着いたイン・タクト演奏(拍節を保持する演奏)である。何らルバートはない」「ブルックナーは強調する記号をふんだんに使用した。だからそれ以上強調することをしてはならない」と指示したということだ。私はそれを読んで「よう言うわ」「お前がそれを口にすんなよ」という思いだったし、それらの発言が極め付きのハチャメチャ演奏を成し遂げた5番の練習中になされたというのだから、もう苦笑するしかない。さらに、クレッシェンドについては「金管は自分の演奏する音の意味を考えずに吹きまくってはならない、いつも演奏する部分の意味をはっきりさせ、いつも気品をもって──」と語っていたらしい。「気品」っておいおい。そして、解説執筆者の渡辺護は「これらの言葉は、このCDの演奏でもあますところなく体現されている」と述べている。ウソこけ!

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