交響曲第6番イ長調
ヨーゼフ・カイルベルト指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
63/03/13〜14
Teldec WPCS-6052

 名前だけは古くから知っていた指揮者である。クラシックを聴き始めて間もない頃に読んだ岩城宏之の「楽譜の風景」で、著者が憧れていたという動きの少ない指揮者として、クナッパーツブッシュとともに挙げられていたからである。(砂川しげひさの「なんたってクラシック」でもこの話は紹介されている。もしかして先に読んだのはそっちだったっけ?)彼の演奏を聴いたのはこのブルックナー69番が最初(で今のところ最後)であり、CD解説を読むまでN響の定期公演でブルックナーを振っていたということも知らなかった。
 指揮の動作が少ないと岩城宏之が評していたが、演奏を聴くと確かに小回りの利くという印象で、どちらかといえば凝縮型に分類できると思う。それゆえ、BPOの重厚音質との相性は悪くない。しかもカラヤンほどクドくないので古くから広範な人気を得てきたというのも肯ける。(某掲示板では常に「名盤」に挙がる。)ちなみに私は生協ショップに注文したものの生産中止ということで入荷しなかったため、急遽amazon.co.jp に注文して入手した。(もちろん定価販売だがやむを得ない。)その後間もなく新品はどこにも出回らなくなってしまったからラッキーだったといえる。もしかすると将来レア盤に昇格するかもしれない。(とはいえ、今でもマーケットプレイスでは定価と同じ1000円で売られている。たまにヤフオクに出品されると結構値が上がるが・・・・)
 トータル56分弱という平均的タイムだが、第1楽章は立ち上がりから悠々テンポなので意表を突かれる。途中でメリハリもかなり大胆に付けているため思いの外スケールは大きい。第3楽章、第4楽章も同様である。ところが、アイヒホルン盤ページでも触れたように当盤では第1楽章よりも第2楽章が2分半短い。それぞれ17分台と14分台であるが、それが逆になっている演奏は決して珍しくない。(むしろ当盤タイプは極めて少ない。)もし両楽章の関係が「標準的」であればトータルタイムは60分前後になっていたはずである。つまり第2楽章だけが曲全体を貫くゆったりテンポに縛られていないといえるが、悪く言えば逸脱しているということである。既に出だしからアッサリ気味だが、2分丁度で長調になってからは更にスタスタで全然アダージョに聞こえない。これは痛い。(スウィトナーの5番を思い出したが、アバウトでない分救われている。)ところが4分台は葬送行進曲のような歩み。これの繰り返しなので、どうにも釈然としないまま終わってしまった。強いて言えば「やたらと神経質な演奏」という印象だが、それならそれに徹するという手もあったはずだ。(成功しているとは言いがたいがバレンボイム新盤のように。)結局は違和感を拭い去ることなく全曲を聴き終えることにもなる。どこかに書いているはずだが、必ずしも「異物混入=ダメ演奏」ではないと承知はしているけれども。
 今気が付いたが、特定部分を基本テンポより遅くするというコンセプトからアダージョのみ外れている(正反対の手法を採用している)のが敗因(聴き心地の悪さの原因)ということかもしれない。また両端楽章、特に終楽章ラストのブツ切りエンディング、あれは全く私の好みではない。これも大きなマイナスである。

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交響曲第9番ニ短調
ヨーゼフ・カイルベルト指揮ハンブルク国立管弦楽団
56/10/31〜11/03
Teldec WPCS-6053

 4番ホルライザー盤ページには「バンベルク響をハンブルク響と誤解していた」などと書いたが、当盤は本当にハンブルクのオケの演奏である。詳細について全く知らない団体だが技術的には問題なし。6番と同じくBPOの演奏と錯覚していたほどだ。大音量時に割れそうになるのが惜しいが、録音年を考えたら音質は間違いなく上の部類に入る。
 いらんことしの加速などせずにビックバンに突入するのは名指揮者の証である。2分19秒の半音階進行(ソファ#ファ?)を強調するのも、このイベントの重大さを判っているためであろう。4分55秒以降も部分こだわり三流指揮者のように突如歌い出したりしない。中間部、再現部も然り。(蛇足だが14分25分のゆったりした歩みは、その前にアホ加速をしていないからこそ成立するのである。)このように基本テンポを大切にした理想的演奏であるといえる。(あるサイトに「ブルックナー嫌いの人がイメージする退屈なブルックナーはこんな音楽かもしれないなあ」というコメントを見つけたが、そういう人は放っておきましょうや。)23分少々という短めの演奏時間にもかかわらず、第1楽章を聴き終わった時の充実感はチェリ盤のいくつかにも引けを取らない。タイプは全く異なるがムラヴィンスキーの7番の高密度演奏を思い出した。これで最後の「ダダーン」さえ十分に鳴っていたら申し分なかったのに。(先述のページでも言及されているが、コーダのティンパニは改訂版由来なのか少々独特である。)
 第2楽章は野趣に富んだ(洗練されているとは言いがたい)響きが演奏の荒々しさとマッチしているため全曲中で最も印象が良い。第3楽章でも近視眼的な加減速は全く聞かれないし、テンポ設定は概ね妥当である。ただし17分56秒のノロノロは急に脱力した感じなので疑問だ。ここに至ってオケもバテてきたのか、その少し前から合奏の不揃いがチラホラと耳に付く。何せ全てが無へ帰るという音楽ゆえ、それまで以上に端正さと繊細さを要求する私にも責任があるのかもしれないが。とはいえ、コーダでしっかり立て直すあたりは見事である。

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交響曲第8番ハ短調
ヨーゼフ・カイルベルト指揮ケルン放送交響楽団
66/11/04
ORFEO C 724 071 B

 先に買った6&9番からは特に感銘を受けることもなかったため、時にネットオークションで目にすることもあるN響ライヴの4&7番(ともにキングレコードの270E-17および270E-18)にも手を伸ばす気にはならなかった。廃盤にもかかわらず2000円以下という良心的な出品価格である場合が多く、それゆえに「どうせ大したことない演奏なんだろう」と深読みしてしまったことにもよる。しかしながら、この初正規リリースらしきケルン放響との8番は即買いだった。そういえばマタチッチもN響客演時の8番は(75年、84年盤とも)荒っぽいだけで印象サッパリだったけれど、67年のプラハ放送響盤では見違える(聞き違える)ような名演を聞かせてくれたなぁ、と思い当たったからである。
 第1楽章は期待以上の出来だった。まさに巨匠の名に恥じぬ堂々演奏。なお中間部のしゃくり上げ(都合2回)での加速は少々気になったが何とか許容範囲。それよりも2度目の直前(9分過ぎ)のティンパニが耳を引いた。改訂版かと思ったがクナもやってない。何なんだ?(ちなみに当盤は基本的にはハース版採用のようである。)
 ほぼ16分の第1楽章に続くのが14分弱のスケルツォだから、かなりセカセカと聞こえる。演奏自体は悪くないが。それ以上に問題視したいのは後半2つの楽章。トラックタイムはそれぞれ23分38秒と25分26秒である。このような逆転現象が生じている演奏は(数十秒程度ならそこそこあるが)非常に希である。結果としてどうなったか?
 残念ではあるが、これではアダージョに散りばめられた折角の美しい旋律を堪能することはできない。それどころかハープが鳴らされる2分頃などはあまりにスタスタ過ぎ、リズムがだらしないとすら聞こえてしまった。指揮者としては流れの良さを心懸けたのであろうが・・・・クライマックス前にアホ加速をかけたりしないことからもカイルベルトがブルックナー特有のブロック構造をないがしろにしていないことは明らかなのだが、この基本テンポの設定はどうにも不可解である。フィナーレは出だしから締め括りまでほぼ完璧(註)と言いたくなるほどの充実を示しているだけに余計に惜しまれる。(ラストのアッサリミレドのみ受け入れ難い。これほど極大スケールの演奏には全く不似合いだから。それでもこの楽章、および第1楽章は紛れもなくトップクラスである。既所有のディスクから抱いていた「こぢんまり」という指揮者のイメージについても改めねばなるまい。)
 結局のところ両端楽章が巨匠型、中間楽章が暴走型というように分裂してしまっている訳で、もしかすると指揮者は「起承転結」を思い描きつつ演奏に臨んだのかもしれないが、私にはそのストーリーが全く見えてこないため不満が残った。これでは第2&3楽章を誰かのと差し替えたろかという気にもなろうというものだ。

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