交響曲第8番ハ短調
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮プラハ放送交響楽団
67/09
LIVING STAGE LS 4035181

 当盤のジャケットやケース裏には "PRAGUE RADIO ORCHESTRA" とあるが、レーベルがレーベルなので結構怪しい。Berky氏のディスコグラフィでは "Czechoslovak Radio SO" となっている。こうなると疑惑は深まるばかりだが、もしかしたら同一団体の別称なのかもしれないと思って調べてみたら果たしてその通りだった。オケのサイト(www2.rozhlas.cz)に飛んだところ、紹介ページでは "Symfonický Orchestr Českého"(Česky)および "Prague Radio Symphony Orchestra"(English)と表記されていた。よって、本ページでは後者に相当する日本語呼称を、またURLにはそちらに含まれる都市(首都)名を採用することとした。
 さて、某月某日Yahoo!オークションに出品されたこの2枚組(DISC2のトラック2〜5にローマRAI交響楽団との「悲愴」交響曲を併録)の存在を私は全く知らなかったのであるが、ケース裏の画像を見て仰天した。第1&2楽章が共に17分台。後半も30分ちょっとかけており、トータルタイムは85分を少し超えている。マタチッチの8番といえば、NHK交響楽団との共演盤2種(1975年と84年)がリリースされているが、ともに激しく暴れ回って74分台というCD1枚分の時間に収まっている。既に述べてきたように私はテンポいじりを多用するイケイケ演奏をあまり好まない。しかしながら、各種7番では慌てず騒がずのスタイルで見事な演奏を聞かせてくれた指揮者である。ならば、その8番でも堂々たるテンポで押し通すことで桁外れの名演を実現している可能性は十分ある。何せ「不滅の名盤」(7番チェコ・フィル盤)生んだ土地での録音、加えて時期もさほど遠くないのだから。期待に胸を踊らせた私は即参入したものの敢えなく3連敗を喫した。(初戦はさほどでもなかったが以降はかなり高騰した。)ならばほとぼりが冷めるまで気長に待つしかないかと思っていたのだが、判ってみれば現役盤であり、世界各地のアマゾンで新品を扱っていた。うち最安値は英尼の£13.01(ちなみに日尼は¥4,321、仏尼は€23,70)だったが、既にこの時点で3000円強、諸経費込みでは4000円を超えてしまうから、さすがに手を出す気にはなれなかった。だが後日他に欲しい品が見つかったため同時注文に踏み切った。それはアシュケナージ&フィルハーモニア管(弾き語り)によるモーツァルトのピアノ協奏曲全集10枚組(£15.01)、大昔にレンタル屋で借りて何度も聴いた懐かしの演奏である。実は別ページで触れたバレンボイム&BPOによる後期8曲(20〜27番)が聴くに堪えなくなったため買い換えることにしたのである。(二次余談:この品が開始価格1000円で繰り返し出品されているのを目にしたが、最低落札価格が相当高めに設定されていたらしく落ちたのを見たことがない。某掲示板でも名が挙がることの多い有名人の仕業である。)いざ注文手続きに移ってみればEU圏外からの購入ということでVAT(付加価値税)が免除され(15%引き)、送料(£5.07)を加えても7500円ほどで買えたのはラッキーだった。(あと1週間待てば急激な円高でさらに安くなったのだが、まあ仕方ないだろう。)モツのオマケ(つまり送料なし)と考えれば、結局このブル2枚組を2800円ほどで入手できたことになる。国内盤新譜の相場からすれば悪くない買い物だったと言えるだろう。
 これで中身が素晴らしければ言うことなしである。だが嫌な予感もあった。何せ「玉石混合レーベル」の品である。音質劣悪の可能性は決して小さくない。そもそもステレオ録音なのかも判らない。(年代から当然のはずだが、この手の品では当てにならない。)あちこち検索したが、その点について明記しているサイトは見つからなかった。それで見切り発車したという次第だが、危惧は的中してしまった。正真正銘のモノラル、のみならずヒスノイズや欠落も耳に付く。ガッカリである。まだamazon.co.ukには数点在庫があるようだが、注文されるならそれを覚悟の上で。(なおカップリングされた73年録音の「悲愴」の方もステレオながら通販サイトで聴けるmp3並みの音質である。辛うじてrmよりはマシというレベル。さらに歪みも相当激しく、ヘッドのアジマスが狂ったラジカセでの再生を思わせるほどだ。加えて第2楽章の中間部にはアナログディスク再生時のような音飛びがあり、同じ箇所を2度なぞる。また第3楽章には編集ミスと思しき妙なカットがある。)
 気を取り直して試聴に臨んだところ、最初の数分を聴いて感嘆した。何という雄大な演奏であろう。紛れもなくN響盤とは別次元の演奏である。ゆえに「何で日本でもこの解釈で演ってくれへんかったんや」という恨みが残る。第1楽章はトラックタイムから予想していた以上にスケールが大きい。もっと時間を費やしている演奏は他にある。ただし、それらからは「肥大している」という印象を受けてしまうことが少なくない。ところが当盤にはそういうことがない。曲が本来備えている大きさを忠実に表現しているという感じだ。これに近いのがクレンペラー最晩年の70年NPO盤だろうか。ただし、あれは指揮者の内部崩壊によって結果的に(好むと好まざるに関係なく)そうなっただけという見方もできなくはない。(湛水条件下で栽培したイネの不定根の横断面を思い浮かべながらこれを書いている。)マタチッチが偉いのは、こういうのを自然体で成し遂げてしまうところだ。このような芸風ならば同楽章の中間部(9分15秒〜)でイラチ加速を採用していないのも当然だ。ヴァントですら、こういう木鶏の境地にまで到達したのは80台半ばを過ぎてからではなかったか。(それが後の75年&84年盤になるとスタスタ走り出してしまうのは謎だが、サッサと終えて早く帰りたかったのだろうか? ←たぶん前にもどっかで使ったな。)やはり17分台の第2楽章だが、スケルツォは少々遅いかなという程度。つまりトリオで相当スローなテンポを採用している訳だ。それでも弛緩を全く感じさせないのが兎にも角にも素晴らしい
 第3&4楽章が共にあと2分、あるいは3分ほど長ければ前半とのバランスという点でも百点満点だったと思う。(生でこの演奏を聴けた人が心底羨ましい。)が、平板なモノラル録音でスロー演奏を聴くのは少々辛いものがあるから、丁度このくらいで良かったのかもしれない。ともに極上の出来ながら、私としてはフィナーレの方が強く印象に残った。最初から最後まで超弩級である。特に呼吸の深さには比類がない。2番手として今思い付いたコンヴィチュニー盤を大きく引き離している。(この点に限ればクナは後続集団に吸収されかけている。)だから「素朴な豪快さ」みたいな決まり文句で片付けてしまっては絶対にだめだ。この指揮者が20世紀を代表する大巨匠の一人であったという世評に本心から納得できたような気がする。
 ここまで感じ入ったからには「75年盤にせよ84年盤にせよN響とのライヴをいくら聴いてもマタチッチの本当の凄さは絶対に解らない」と断言してしまおう。そうはいっても音質が大きく劣る当盤だけで真価を十分に理解できるとも到底いえない訳だが・・・・万が一にも音質優秀の正規盤が出たら必聴である。放送局の倉庫にでもテープ残ってへんのかな?

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