交響曲第8番ハ短調
ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団
85
Victor (MELODIYA) VICC-40012〜3

 既に8番を「包容力のある曲」と私が考えていることは他ページに記しているが、前につんのめりそうなスタスタテンポでない限り、大抵この曲のディスクからは満足感が得られる。だから例の異様な響きであっても大丈夫だろうと思っていた。果たしてその通りだった。第1楽章1分30秒頃の盛り上がりで確信した。「これは当たりだ」と。第1楽章は16分半で遅いテンポだが、メリハリを付けるためのテンポ揺さぶりはやっていない。それをしなくても間延びしないのは極めて濃密な響きのお陰である。7番とは逆にここでは録音が幸いした。私の所有するロジェヴェンのブルックナー中では最も「まとも」に聞こえる。
 ところで、既に他のディスク評ページでも使わせてもらったが、当盤の解説執筆者は宇野功芳である。この演奏の特徴として彼はまず「手練手管のかぎりをつくしている」と述べている。「各楽器、各動機のすべてを鮮明に活かし、丁寧に神経をつかい」までは全くその通り。ただし、「以前の彼(註:おそらくは70年代に3番や9番をレコーディングした頃)とは別人のようにダイナミックの幅がせまい」には「ハテナ」と思った。そこで私も所有する3番を改めて聴いてみたが、やはりそのような違いは感じなかった。さらに宇野は「カセットテープによる試聴なので、CDになると違ってくるかも知れない」などとメディアに原因を求めつつも「大筋に変化はあるまい」として「ダイナミック・レンジがせまくなっても大味にならないのは、(クライマックスのffは意識して力まず、反対に弱音のテーマは指定にこだわらず豊かに奏するなど)ロジェストヴェンスキーの計算が緻密だからである」と結論していた。しかし、私は「そんなことは録音やマスタリングの違いでどうにでもなることじゃないか」と思った。だからまともに反論する気にもならない(ただし「レンジが狭い=大味」という宇野理論は非常に興味深い)が、少なくともレンジの狭さが密度の高い演奏と感じさせることに貢献しているのは確かなようだ。無駄な道草を食ってしまったようなのでそろそろ戻ることにするが、「本来、このような手練手管はブルックナーの音楽を傷つける結果になりやすいのだが、彼の場合、許せるのはどういうわけだろうか」と問題提起しておいて、その答えが「一つ考えられるのは、彼のテンポの持って行き方がブルックナーの正統からはずれていないからであろう」はないやろ!「正統」というのも要はテンポいじりをしないというだけのことなのだが、それをマタチッチのような自分の好きな指揮者がやっている場合には、それに続いて「本質」という浮き輪まで投げてやるのである。(嫌いな指揮者だったら全く容赦せずに沈めようとするくせに。プンプン。)
 第1楽章は先に述べた立ち上がりだけでなく、8分40秒以降の中間部、そして14分19秒のカタストロフ、いずれも遅いテンポと濃密な音のため途方もないスケール感である。次の第2楽章が14分を切っているのはバランスという点では疑問が残るが、勢いを重視した迫力満点の演奏であるから単独で考えたら高水準といえる。特に印象に残ったのが弦の刻みで、4分過ぎを聴いているとショスタコーヴィチの4番第1楽章中間部のフーガ、あるいは目次ページにも書いた14番第8楽章終わりの弦楽合奏による超絶技巧を思い出してしまった。凄い。楽章冒頭に戻って聴き直してみたところ、0分54秒ではあまりに速すぎてほとんど音がつながってしまっており、耳鳴りと錯覚するほどである。後半楽章もそれぞれ28分半、26分とゆったりしたテンポで、音質との相性も非常に良い。アダージョではハープが非常に効果的だが、特にクライマックスは極めつけだ。(あんなデカい音が本当に出るのか?)終楽章に入ってからようやく気が付いたのだが、この演奏では鋭くはあっても金切り声のような「安物ラッパ」は登場しない。3番を除き、私が持っているのはどれも84年か85年の録音(5番の「74年」はおそらく誤記)で大して時期は離れていないはずなのに、当盤のトランペットの音は4番や5番とはかなり違う。これはどういう訳だろうかと気になった。下手糞な奏者をシベリアに飛ばしたとか(←ムラヴィンスキーじゃあるまいし)、「買ってくれないんだったら出てってやる」と当局を脅して西側製のいい楽器を手に入れたとか(←んなアホな)。いつしかこんなしょーもないことを考えてしまったほどに文句を付けるところのない演奏である。15分台で思いもかけずティンパニが加わってくるが、解説によれば改訂版の部分採用らしい。とはいえ、響きに埋没してしまっており、あまり耳に付かなかった。それにしてもラストは圧巻である。その前の20分48秒からの足取りが既にピチカート気味で独特だと思っていたら、22分10秒で大爆発。続いて23分03秒からはカッコウのようなフルートが全面に出てくる。(タコ4第1楽章ラストを思い出した。)まさにロジェヴェンのブルックナーの集大成といえる。あるいは、それを手っ取り早く知るための格好の「ハイライト」といえるかもしれない。度々引き合いに出して恐縮だが、ハ長調のコーダの壮絶さは「レニングラード」交響曲のそれを彷彿させる。そしてとうとう出てきた安物ラッパ! よって前言は撤回するが、やっぱり普通の音では物足りなくて、ここだけは例の音を吹かせたのだろうか? もしかして奏者をシベリアから急遽呼んでたりして(←な訳ない。)唯一、締め括りの「ミレド」がアッサリなのが残念である。ここまでやったからには、クナ盤のように派手に叩いてくれれば良かったのに・・・・・

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