ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー

交響曲第00番ヘ短調

交響曲第0番ニ短調

交響曲第2番ハ短調

交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
 第2稿
 改訂版

交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
 第1稿
 マーラー版

交響曲第5番変ロ長調
 84年ライヴ
 74あるいは84年スタジオ

交響曲第6番イ長調

交響曲第7番ホ長調

交響曲第8番ハ短調
 84年ライヴ
 85年スタジオ

交響曲第9番ニ短調
(3番改訂版のみ(ソヴィエト)ラジオ・テレビ大交響楽団、それ以外は全てソヴィエト国立文化省交響楽団)

 ロジェストヴェンスキーといえばショスタコーヴィチである。というより、ブルックナー以外ではそれしか持っていない。マーラーとブルックナーに続いてこの作曲家の交響曲のディスク蒐集に移ったことは「私のクラシック遍歴」に記したが、別に「次にショスタコーヴィチのブームが来る」という謳い文句に踊らされたからではない。(むしろ「こんな暗い音楽がブームになる訳ないやろ」と醒めた目で眺めていた。)ちゃんと理由がある。以下それについて延々と脱線する。
 「遍歴」ページで触れた「音のカタログ」というテープには、バーンスタイン&NYP(新旧どちらかは判らない)による5番の終楽章冒頭が収録されていた。それを聴いてすぐさま「ああ、これか」と思った。小冊子に載っていた「ショスタコーヴィチ」という作曲家名は初めて目にするものであったが、テーマには聞き覚えがあった。というより、関西人のある一定以上の年齢層の間では、「チャーチャーチャーチャチャチャッチャッチャーッチャチャッチャッチャー」というテーマはベートーヴェンの「ジャジャジャジャーン」に匹敵するほどよく知られている。「終楽章冒頭」というカテゴリなら「第五」はもちろん「第九」より間違いなく知名度は上である。決して大袈裟ではない。というのも、あの劇的な音楽は大阪の朝日放送が毎週土曜日の19時30分から放映していた「部長刑事」という連続ドラマ(30分枠)のオープニングテーマに使われていたからである。配役を関西在住の役者で固め(若手にとっては登竜門的な存在だった)長きにわたって根強い人気を保っていたが、調べてみたら何と1958年〜2002年までの44年間にわたって2159回も放送されたということである。ローカルながら、まさに「お化け番組」であった。(ただし、途中から「新部長刑事アーバンポリス24」というけったいなタイトルに変わっただけでなく、既に名の知れた俳優を東京からも連れてくるなどして内容自体も妙に洗練されたものになったが、途端に魅力を失ってしまった。当然ながら私も見る気がなくなったが、いつしか放送時間帯がゴールデンタイムの外に追い出され、その後間もなく終了してしまった。)先に「ああ、これか」と書いたが、ほとんど同時に「部長刑事」を思い出したのは当然であり、かつてある施設で西語を習っていた頃、私がラジカセでこの部分を再生していたのを兵庫出身の同室者(クラシックは全くといっていいほど聴かない)が耳にして「部長刑事やないですか!」と叫んだのもごくごく自然な反応である。さて、その番組冒頭ではヘリコプター上空から撮影されたと思しき大きな建物(たぶん大阪府警)の映像が流されたが、バックに流れていた音楽は極めて効果的で、それに代わるものなど絶対に思いつくことができないと断言できる。それほどまでにピッタリはまっていた。(「なんたってクラシック」の著者、砂川しげひさが「地獄の黙示録」という映画で使われていた「ワルキューレの騎行」の抜群の効果について触れていたが、それにも決して負けていないと思う。)あれを採用した人間はホンマにエライやっちゃとつくづく思う。先述したネット検索によって閲覧したページには「幼少の頃の私にはこのオープニングテーマがとても怖かったです」とあったが、あれを聴いた子供にちょっとやそっとでは忘れられないだけの強烈なインパクトを与えることは間違いない。
 何はともあれ、私には非常に馴染みの深いこのテーマを持った交響曲ゆえ、ぜひ全曲を聴いてみたいと考えた。ただし、バーンスタインの演奏はテンポが速すぎて「ちょっと違うな」と思った。「部長刑事」では遅いテンポによる演奏が使われていたからである。(味覚が典型的だが、幼少時に染み付いた記憶は決定的だ。)その後FMでエアチェックした演奏も同じ理由で気に入らなかった。(指揮者は定かではないが、終楽章に入る直前で指揮者が立てたらしき足音と客席のザワザワが入っていたと記憶しているので、たぶんライヴ録音だったはずである。あるいはムラヴィンスキー盤かもしれないと思うが確証はない。)ちなみに、後に同級生が「ベストクラシック100」シリーズによるバーンスタインの新盤(東京ライヴ)を買ったので借りて聴いてみたが、冒頭に加えてエンディングまでもスタスタテンポなのに驚いてしまった。(先述のエアチェック演奏は終楽章冒頭こそ違和感ありだったが、エンディングは堂々と締めくくっていたのは好ましかった。)その後しばらくして観た「N響アワー」にて、司会の芥川也寸志がこの経緯について解説していた。たしか楽譜が西側に渡る際に、写譜のミスによってコーダのテンポが倍になってしまい、それを手に入れたバーンスタインがソヴィエト公演を行ったところ、「運動会のような大騒ぎ」(←本当にそう言っていた)に聴衆は腹を立てたが、作曲者自身は「まあまあ、新たな解釈が1つ生まれたと考えたらいいじゃないか」と寛容な態度を示したということだった。しかしながら私はそれほど寛容ではないため、やはり楽章の初めも終わりも堂々とした足取りで進めてもらわないと困る。金銭的余裕のなかった私は、ハズレCDを買ってしまったら悲惨だと考え、栄(名古屋の中心街の1つ)のレコード屋まで偵察に行った。(試聴はできなかったので手に取って眺めるだけだったが。)当時はマゼールのCDをよく買っていたが、クリーヴランド盤(テラーク)の終楽章のトッラクタイムは相当短く(確か10分を切っていた)、その時点で恐れをなしてしまった。(のちにFM愛知で聴いたが、やはりメチャメチャ速かった。)店に置いていた中ではハイティンク盤とロストロポーヴィチ盤が候補に挙がった。常套手段は「安い方を選ぶ」だったが、ともに発売元はポリドールで価格は同じ。ブルックナー演奏が気に入っていただけに前者にしようかと最初は考えた。が、11分台の前者に対して後者が12分台と若干遅そうなので迷った。そこで翌日大学生協を訪れ、カウンターに置いてあったCDカタログを開いたところ、「終楽章は劇的な表現」というコメント付きで後者が特選扱いだったため、即座に注文票に記入した。(定価3500円のポリドール盤を買ったのはこれが最初だったはず。)それが大正解だった。肝心の終楽章のテンポは冒頭もエンディングも全く申し分なし。他の楽章もみな素晴らしく、今もって愛聴盤(マイ・ベスト)である。(ちなみにテルデックから発売された新盤は未聴である。)
 ところで先述したN響アワーでは、なかにし礼が「交響曲第14番『死者の歌』を初めて聴いた時、『こんな凄い音楽を書く人だったとは知らなかった!』とビックリした」などと語っていたので、私も是非とも聴きたくなった。そこで、同じくカタログで「特選盤」だったロジェストヴェンスキー&ソヴィエト国立文化省響盤を翌月に注文して入手。さらに、生協の店頭で見かけたハイティンク&コンセルトヘボウ管による13番「バビ・ヤール」も帯の「ユダヤ人虐殺を描いた傑作」「レコード・アカデミー賞受賞」(←当時の私には効力絶大だった)に乗せられて買ってしまった。そしてどちらも大満足。こうなったら全曲買ったろかと思った。その後1年もかからずに揃ってしまったはずだが、最初の5番および後に中古屋で見つけた10番カラヤン&BPO盤(これも気に入った)を除き、全てハイティンクとロジェストヴェンスキーの演奏ばかりになった。当時は人気曲の5番は別として、両指揮者の演奏が辛うじて出回っている(初発あるいは初CD化となる再発盤が少しずつ発売されていた)のみで他の選択肢はほとんどないに等しいという状況だったので当然といえば当然だったが。最初にハイティンクから書くと、13番の次は8番(輸入盤中古)→15番(カップリングの歌曲集「ユダヤの民族詩より」が交響曲以上に気に入った)、そして2&3番を買った。最後のは音楽之友社刊「ON BOOKS SPECIAL 名曲ガイドシリーズ 交響曲(上)」に「作曲家自身も評価していたようにも思えない」「際立った成功作とはいえない」などと書かれていたので、全曲揃えるためだけで買ったようなディスクなのだが、実際に聴いてみても大したことない曲だった。一方、ロジェヴェンは14番→11番→12番と既発盤を全て新譜で買い、新発売の4番および第6&7番は予約して発売当日に入手した。14番は、なかにしの言葉に偽りなく、あまりの鋭さに圧倒された私も心底から凄い曲だと思った。第8楽章「コンスタンチンノープルのサルタンへのザポロージェ・コザックの返事」(←それにしても長ったらしいタイトル)で歌が終わった直後の弦楽合奏が極めつけだが、オケの超絶技巧ぶりも強烈な印象を植え付けることに貢献していたのは疑えない。(後に後輩からハイティンク盤を借りて聴いたが著しく生ぬるく感じた。中でもロシア語以外で歌われた楽章がまるで気に入らなかった。)11番は砂川が「なんたってクラシック」の巻末に各作曲家のベストスリーとして入れていた曲だけに、やはりそれなりの聴き応えはあった。一方、12番は上の「名曲ガイド」中の「傑作の部類に位置づけられているようには思えない」という評価に見合った曲だと思った。6番はまあまあ、7番は購入直後こそ第1楽章を面白く聴いたが、そのうち飽きてしまった。とはいえ、後者にも強く印象に残ったことがある。第1楽章の「ボレロ」(ラヴェル)の二番煎じ部分のクライマックス、および終楽章コーダでは別働隊の金管を巻き込んで大音響となると何か(たぶん「音楽の友」のロシア音楽特集)で読んでいたので楽しみにしていたのだが、前者は呆気なく過ぎてしまった。一方、後者であるが予想していたのとは全く違った形で驚かされた。トランペットの音がヘンなのである。(それがロシアの金管楽器に特有の音色だと知ったのはもう少し後のことである。)たぶん「安っぽいラッパみたいで、ここまで真面目にやってきたのが全てぶち壊しじゃないか」と憤慨したはずである。(このケッタイな音は既に他のディスクで耳にしていたはずなのに、なぜか7番のエンディングで初めて耳に付いたというのも今考えるとよく解らない話である。ちなみに、数年前の東京出張の際にバーンスタイン&CSOの中古盤を入手し、ようやく理想の演奏に巡り会えた。終楽章ラストの響きはロジェヴェン盤とはまるで違い、先述したトランペットはあまり全面に出ず、その代わりに別働ブラスが凄まじい。)
 ここでさらに脱線必至なのが1&9番である。実は中古を買ったのだが、それがロジェヴェン&文化省響コンビの演奏を聴いた最初である。 卒業作品にもかかわらず1番は傑作の名に恥じないと思ったし、スターリンをおちょくったという9番も剽軽な音楽を愉しむことができた。何より驚嘆したのは演奏の鋭さと完成度の高さである。(ただし1番のシンバルと9番のブラスの音割れが耳障りで、後にやはり中古で見つけたハイティンクの9&1番LPO盤を買ったと同時に手放してしまったのだが、これは大失敗だった。そちらは生ぬるくてとても聴けたものではなかった。世紀が変わって1番はケーゲルとバーンスタイン、9番はチェリビダッケの演奏を入手したので、ようやくこれらを聴くようにもなった。とはいえ、ハイティンクが全てダメということはもちろんなく、先述した13番の他、8番や15番も名演である。当然ながら両指揮者とも曲との相性の良し悪しというものがある。)特に曲の良さを余すところなく表現した指揮者はよほどの凄腕に違いないと私は思った。ところがである。後にこの名盤に対するトンデモ評を目にすることになった。以下はその経緯について触れたKさんへのメール(1998/12/04)である。

>> しかし、泉さんのお話の内容だと、「推薦」「特選」といった看板を鵜呑み
>> にするのはかなり危険なようですね。
>> そうなるとやはり複数の批評家による「多数決」よりも、信用に足る一握り
>> の評論家の批評に注目すべきなのでしょうか。
              (ここまでKさん)
> やはりそう思います。また、自分と好みが一致する評論家を見出すことも大
> 切でしょうね。ところで、何年か前に図書館が取っていた「音友」のバック
> ナンバーを処分するということになり、80年代後半のをもらって新譜紹介
> の項を読んだのですが、その時に特選になっていたものの多くが今では見向
> きもされていないことにあらためて驚かされました。とくに酷いのが交響曲
> と管弦楽曲です。当時の担当者は実名を出してしまいますと村田武雄氏で、
> 演奏の内容ではなくネームバリューだけで特選を乱発しているといった感が
> ありました。その逆にロジェストヴェンスキーがソヴィエト国立文化省管弦
> 楽団とのコンビで開始したショスタコーヴィチの交響曲全集録音の第1弾、
> 第1&9番の演奏を酷評し、「彼が何故このオーケストラを選んだのか理解
> できない。この程度のオーケストラなら日本にもいくらでもある。」とまで
> 書いていました。ところがこのソヴィエト国立文化省管弦楽団という名前、
> 村田氏には馴染みがなかったため二流と判断したのでしょうが、実は国内の
> いくつかの名門オーケストラのベテランと若手の俊英を選抜して、ロジェス
> トヴェンスキーのためにわざわざ組織されたスーパーオーケストラなのでし
> た。僕はこのCDを持っており(録音の悪さのため手放しましたが)非常に
> 優れた演奏をしていると思っていたので、村田氏の荒唐無稽な批評に呆れ返
> りました。彼は後になって自分の軽率さに気がつき、「このオーケストラの
> 優れた技術があってこそ可能な演奏」など褒めるようになりましたが、もう
> 手遅れで僕は彼の批評は一切信用しなくなりました。(もっとも彼は体調不
> 良と言うことで現担当者である諸石幸生氏と代わることも多く、すでに老人
> ボケ状態だったのかもしれませんが・・・・)他にも声楽曲の特選曲もいい
> 加減なものが多かったことが記憶に残っています。例えば、カラヤンが晩年
> に録音した宗教音楽の新録音が出る度に「既に名盤の多い曲にさらに金字塔
> が加わった」などと褒められていましたが、今では彼の宗教音楽の録音は70
> 年代のものが最も良く、80年代のは枯れすぎているというのが定評となっ
> ています。(僕も「ミサ・ソレムニス」やモツ・レクを聴く限り同感です。)
>  どうもこの項、少し執拗すぎた感があるのでこれで止めますが、とにかく
> 新聞・雑誌の新譜評ではビッグネームの新録音の多くは特選(解説書の執筆
> を担当した人は必ず絶賛するし)、悪くとも推薦盤になるので、最初から疑っ
> てかかった方がいいと思います。「演奏史に新たな1ページを加える」よう
> なものがそう度々出るはずはないのですから。私見ですが、発売後5年を経
> 過しても名演奏、名盤と呼ばれているようなものだったらまず大丈夫と考え
> ていいのではないでしょうか。

 途中から暴走してしまっているので切っても良かったのだが、結局はダラダラと載せてしまった。日頃から抱いていた評論家への不信感&不満が堰を切って溢れ出してしまったかのようである。(それにしても村田って今どこで何やっとるんやろ?)補足しておくと、ロンドン響など西側でも活躍していたロジェヴェンに逃げられてはカナワンとして、ソヴィエト当局が結成したのが国立文化省響であるということを後に知った。要はご機嫌取りである。(「文化省」といえば、こんなアネクドートが角川文庫の「ポケット・ジョーク集」に載っていた。内陸国スイスを訪問したソヴィエトの高官「へえ、スイスにも海軍があるんですか?」、 これに答えて曰く「おたくに文化省があるのと一緒ですよ。」チャンチャン。)
 閑話休題。実力者とは認識しながらも特に聴いてみたい曲がなかったので、ロジェヴェンのディスクはちっとも増えなかった。ブルックナーを集めだした当初も、そこまで蒐集範囲を広げるつもりはなかった。(初期交響曲のページに書いているように、0番では見事な演奏を聴かせてくれてはいたのだが・・・・)かなり経って「異色演奏」にも手を出してみようかと考え始めた頃には、既にBMGジャパンの国内盤は廃盤となっていた。ようやくにして昨年、3番(改訂版)、4番(マーラー版)、6&7番、8番(第2稿ハース版)を楽天フリマにて購入した。(同じ人から買ったのだが、どれもオークションの相場と比べたらかなりお値打ち価格だった。特に8番は気味が悪くなるほどの安値だったが、今もって理由はサッパリ分からない。)並行して59番もヤフオクで入手し、これで3番以降が何とか揃った。(追記:2005年5月に別音源の8番を入手した。)とはいえ、この指揮者はよく知られているように異稿もことごとく録音しているので、私が所有しているのはその一部でしかない。簡単ではないだろうが、少なくとも3番の12稿、4番2稿はチャンスがあれば入手したいと思っている。(48番初稿は、とりあえずはいい。)ところで、浅岡弘和は自身のサイトにロジェヴェンの全集録音について「至れり尽くせりのブルックナーオタクとブルックナー学者専用」としか書いておらず、この完成度の極めて高い演奏そのものについて全くコメントしていないのは大いに不満だ。
 最後になるが、この人の容貌は結構面白い。「クラシックB級グルメ読本」にはワダベン(和田勉)と来日中のロジェベンが道でバッタリ顔を合わせるという漫画が載っていたが、特にデフォルメしなくとも顔が面白いのはシュタインと同じだ。(ちなみに、この本には伊藤真司による指揮者の似顔絵が多数掲載されているが、ほとんどが似てない。)ビクター発売のCDブックレット表紙の汗まみれになって必死に指揮しているような写真も何となく滑稽であるが、それ以上に11、12、14番の裏表紙に共通して使用されている後方からの撮影では、彼の見事に禿げ上がった頭頂部が麦畑に出現したミステリーサークルのようで、失礼だが笑いを堪えるのは難しい。

おまけ
 吉田秀和が「世界の指揮者」でこの指揮者について語った際、終わりの方で「十九世紀だったらきっと、誰かがこの人をモデルにカリカチュアを描いたのに相違ないという気がする」と書いていた。ただし、「誤解されたら困る。カリカチュアとはいって、私は何も悪い意味での戯画を考えているのではない。私のいうのは、リストについて、パガニーニについて残っているような、そういう性格的戯画のことであり、そういうものこそ、なまじの写真などより、この指揮者の何ものであるかを正しく後世に伝えるだろうと思う」と断りを入れていた。残念ながらロジェストヴェンスキーは生まれるのが100年遅かったため、上の伊藤などによって「悪い意味での戯画」として描かれる羽目になってしまった訳である。

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