交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(マーラー改訂稿)
ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団
84/11/19
ICONE ICN-9429-2 → BMG (MELODIYA) BVCX-38007〜8

 ロジェヴェンのブルックナーを楽天フリマでまとめて入手したことは目次ページに書いたが、同じ人が売りに出していた品でこのマーラー版による4番だけは買い物かごに入れなかった。金子建志の「ブルックナーの交響曲」にて、マーラーによって施されたシャルクも顔負けというべき大幅カットのことを知っていたからである。(ちなみに金子は「私のブルックナー体験 ─ あとがきにかえて」で「カットの凄さに唖然とした」と書いている。)が、「こういう変態演奏も持っていたら話の種になる」(←誰に話すというのだ?)と思い直し、追加で注文を入れてしまった。
 ノーカットの第1楽章はさほど抵抗なく聴けた。1分30秒からの弦の1オクターヴ上げは既にカラヤン盤で耳に馴染んでいたし、他のシャルク改訂版に由来するオーケストレーションの改変にもクナ盤などによって免疫が出来上がっていたからである。とはいえ、中間のコラール部分のクライマックスには思わず笑ってしまった。例によってティンパニが付加されているが、近くを救急車が走っているのかと錯覚してしまった。実はフルートが裏でピロピロ吹いていたのだ!
 この版の最大の聞き物、いや汚点はやはり第2楽章以降の仰天カットである。とくにアンダンテは酷い。(上記「ブルックナーの交響曲」によると、原典版2稿では247小節だったものが162小節へと、ほぼ1/3が葬り去られている。ちなみに第3稿、つまりシャルク版は楽器の改変は酷いがノーカットで小節数は2稿と同じ。)1分46秒。私は何が起こったのかと思わず耳を疑った。トラックタイム(9分18秒)から相当に切られているのは予想していたが、こんなに早い段階で手を入れてしまったとは。チェロの重々しい主題が始まってこれから展開、というこの楽章でも最も聴き応えのある場面(と私は考えているのだが)にも編曲者は大して興味がなかったのだろうか。この後もカットが頻出するが、最初のがあまりにも衝撃的だったので論じる気力を無くしてしまった。なお、深い森を思わせるこの楽章には安っぽいトランペットの音色は明らかに場違いであると感じた。
 スケルツォも再現部がバッサリやられている。やはり「ブルックナーの交響曲」によれば、スケルツォ─トリオ─スケルツォの小節数はハース版、ノヴァーク版2稿とも259─54─259と見事なシンメトリー構造をとっているが、それがシャルク改訂版では254─54─191と崩れてしまっている。(ただし対称性を重んじたフルトヴェングラーはスケルツォ再現部のカットを採用しなかったため、254─54─257となっている。)ところがである。マーラー版では何と254─54─97(!)、言語道断である。「これが第3交響曲の初演時に最後まで残っていたという人間のすることか」と職員室に呼び出して怒鳴りつけたくなるほどの非道い仕打ちではないか! ズタズタにされた再現部はブルックナーがあまりに不憫で涙なしには聴けない。というのは嘘で、音楽の流れが途絶えないのでそれなりに聴けてしまった。少なくとも前楽章よりはマシである。
 小節数の変遷で明らかなように、616(初稿)→541(第2稿)→507(第3稿)と虐待を受け続けてきた終楽章にもマーラーは一切手加減を加えることなく、やはりシャルク版の約2/3に相当する349小節まで縮めている。もはや「アレンジャー」というよりも「切り裂き魔」の方が相応しいが、彼は普及のために一種の「ハイライト」「早わかり」のようなものを作ろうとしたのだろうか?(それなら誰がやってもこんな風になるのかもしれない。)第1楽章をノーカットでやったのなら、ここもそうしなければ両端楽章のバランスが失われてしまうように思えてならないのだが・・・・こうなると全く別の音楽である。そう思って聴けば大して腹は立たない。なので、カットや楽器の改変についていちいち論うのは止めておく。(またしても金子だが、彼はこの楽章について「トゥッティによる2つの山場がそっくり削除されたことにより、構成が完全に変わってしまった」と書いていた。さらに、こういうのが「非シンメトリー・後半短縮型」という「後期ロマン派の美学」で、マーラーはそれを徹底させたというのだが・・・・ちっとも美しいとは思えない私にとって、その「美学」は無縁であるとしか言いようがない。「終楽章などいいところが全部なくなった感じがするけれど……」というネット評を載せている人がいたけれども、全く同感である。)
 ということで、予備知識があってさえも当盤で聴かれるカットには驚かされること必定である。一方、オーケストレーションについてはマーラー独自の改変部分(中でも原典版やシャルク改訂版とは違う箇所で木管楽器が主題を吹く場合)に多少の違和感こそ覚えたものの、それも「ロジェヴェン・サウンド」の滑稽さに比べればかわいいものだ。特にコンサートホールよりも野球場の外野席の方が似合いそうな「安物ラッパ」の貢献により、この版の奇妙奇天烈さはかなり希釈されてしまっているように思う。マーラーの編曲の是非を論じるには、あるいは当盤は適当ではないのかもしれない。ところで、ヴァントは5番のシャルク改訂版について「メンデルスゾーンとワーグナーをごちゃまぜにしたような響き」と酷評していたが、はたして当盤の存在は知っていたのであろうか? もしそうならば、これを聴いてどんな音楽だと思ったのか、そしてどれくらい立腹したのか訊いてみたかったところだ。

2008年7月追記
 今月ヤフオクでゲットした国内盤2枚組(BVCX-38007〜8)のDISC2に収められている演奏は音質が非常に良好である。鮮明録音ゆえ爆裂ティンパニも潰れていないし、金切ラッパは耳に突き刺さってくるようだ。これと比べたら先に入手していたICONE盤はもはや劣化コピーにしか聞こえない。

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