交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」(1890年改訂版)
ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮(ソヴィエト)ラジオ・テレビ大交響楽団
72/02/13
REVELATION RV10007

 ロジェストヴェンスキーのブルックナーとしては(あくまで3番以降に限ってであるが)この曲だけ80年代に行われたソヴィエト国立文化省響との全集録音による演奏を持っていない。また、せっかくこの人が可能な限り異稿も録音してくれたのだから、3番も1種類だけでなく第1稿から第3稿まで揃えていたいと思っている。まあ「ノヴァーク3稿≒改訂版」なので1&2稿だけでも何とかしたいのだが、再発でもない限り入手は容易ではないだろう。(2008年7月追記:第2番と第3番 (ともに1877年の第2稿) をカップリングした国内盤2枚組(BVCX-38003〜4)をYahoo!オークションでゲットした。)
 さて、当盤のオケ名は悪夢の「ラジオ・テレビ大交響楽団」である。嫌な記憶(フェドセーエフのページ参照)が頭を過ぎったが、「買ってはいけなかった盤」と同じく残響の極めて多い「風呂場録音」ながら、左右の分離はある程度確保されたステレオ録音だったのでホッとした。大音量になると響きがしばしば混濁するけれども、それくらいはガマンしよう。
 この演奏、とにかく最初から最後まで気合いの入り方が普通ではない。第1楽章0分55秒に「ドーーーーシラソ#、ラーソーファミレ」で最初に盛り上がるまで、次に同じテーマが出てくる1分13秒等々挙げていけばキリがないが、フォルティッシモは全く手加減なしにやっている。もしかしてロジェストヴェンスキーにとって初のブルックナー録音だったのか、と私に思わせたほどの入れ込みようである。(実際には違うようで、2年前に同オケとの9番録音が行われていたらしい。)先述した豊富な残響が否が応にも迫力を増強している。切り裂き魔を思わせる金管、爆撃あるいは地響きのごときティンパニはソヴィエトのオケの「基本定跡」そのまんまである。(将棋ファンの私が囲碁の「定石」でなく専らこっちを使うのはいうまでもない。)さほど音量があるはずもない木管ソロを浮かび上がらせるのも、彼の国の録音技師にとっては同様だったに違いない。が、主題はともかくとして合いの手でもはっきり聞こえるのは少なからず違和感を覚えてしまう。
 この人のブルックナーはムラヴィンスキーと違って神経質なところが全くなく、健康そのものである。テンポ設定も一貫して自然かつ適切だと思う。ただし、一本調子と聞こえることなきにしもあらず。それが一番マイナスに作用しているのはアダージョである。思わず「うるさいわい!」(←「じゃりん子チエ」のテツの口調で)と言いたくなった。もうちょっと「シミジミ感」があってもいいんじゃないの? 逆に最もプラスに出たのがスケルツォで、遅めにテンポを設定したトリオは絶品である。
 「健康的」といえば、終楽章11分15秒からのニ長調の輝かしいコーダは、同じ調のショスタコーヴィチ5番(あるいは12番)のそれを思い起こさずにはいられない。「ソヴィエト共産党バンザーイ!」と叫びながら行進する民衆の姿が目に浮かんできた。まさに確信に満ちた(共産主義の世界制覇を信じて疑わない)足取り。もしかしたら指揮者も私と同じくイメージが重なっていたのかもしれない、と考えたくなるほど堂々とした締め括りである。何せ72年の演奏だから、指揮者の頭の中には「強制された歓喜」(←ま、真偽両説あるようだけど)のことなど、これっぽっちもなかったはずだから。

おまけ
 8番解説書の中で宇野功芳が当盤収録の演奏についてもコメントしているが、「光彩陸離たる楽器の展覧会のようであった」は上手い言い方をするなあと正直思った。その後からちょっと転載させてもらう。

 いかにも才人ロジェストヴェンスキーならではのブルックナー
 ではあるが、いささかオーケストラを鳴らすことへの快感に酔
 いすぎ、時には無機的な響きがこれでもかこれでもかと誇示さ
 れ、辟易したのもまた事実なのだ。

5番のページでは吉田秀和を引いているが、彼は実演を聴いて「(指揮者自身もすでに自覚している世界の一流中の一流に並べてよいほどの)腕前を、あまりにも露骨に、どんな音痴にもはっきりわかるように、示したがりはしないか?」という疑問を抱いたということだ。何にせよ、我が国の音楽評論界をリードしてきた2人をともに「辟易」「閉口」させたのであるから大したものである。

3番のページ   ロジェストヴェンスキーのページ