交響曲第8番ハ短調
ヘスス・ロペス=コボス指揮シンシナティ交響楽団
93/03/14〜15
TELARC CD-80343

 「名曲名盤300」の98年版に挙がっていたので存在は知っていたが、そこで1票(7点)を投じた安田和信が「フレーズの区切りにアゴーギクの揺れを極力廃した(註:原文ママだが「排した」の方が良くないか?)、他では得がたい演奏である」などと褒めていたからではなく、L=コボスのブル録音で欠けているのが8番だけになったから買った。(こういうケースは結構多い。)ヤフオクで見つけたので高値更新したものの、1000円以上は入札単位が100円に跳ね上がることをウッカリしていたため、私が払っても良いと思っていた額をオーバーしてしまった。これでは諸経費込みで1400円台になってしまう。それならamazon.comのused CDを買った方が安上がりではないか! 思わず天を仰ぎ、願わくば落札しませんようにと天に祈った。(←アホだ。)月曜に来てみたら高値更新のメールが入っていたため胸をなで下ろした。が、リンクをクリックして件のページに入ってみたらビックリ。何と最終的に2600円で落ちていた。そんな稀少品だったとは! ならば速やかに身柄確保せねばならぬと思い、カートに入れておいた当盤をとっとと注文確定させた。ちなみに購入価格はUS$9.70(Item(s) Subtotal:$4.21プラスShipping & Handling:$5.49)で、これくらいの安値になると海外に発送してくれる売り手は(「開満」のような大手を別にすれば)さほど多くない。が、届いてみたらレーベル面に "PROMOTIONAL" の赤い刻印があった。それで異常に安かったのだろうか? そういえば、ネットオークションで同時に入手した4679番はどれも「カット盤」(裏紙もろともケースに切り込みが入っていたが、レーベルの倒産やショップの閉店などによって廃棄されるべき在庫が正規の流通ルートに乗らないようにするためらしい)だったから、JLCのブルックナーは真っ当な品では聴けない運命だったのかもしれない。(もちろん中身には全く問題ないが・・・・ちなみに当盤以前に録音された4枚は全てブックレット裏表紙と裏紙が共に白地に黒だったのに対し、なぜか第5弾となる当盤は不気味な赤黒い背景色に黄と白の文字である。)
 知らずに聴いたショルティ&シカゴ響の演奏と思ってしまう人が少なくないような気がする。既に第1楽章0分56秒以降の炸裂からして明らかであるが、ブラスの威勢のいい鳴りっぷりはUSAのオケの特徴そのものである。これまで何度も「無機的なブルックナーで何が悪い!」などと主張してきた私である。この指揮者にしても6番や9番ではそれが魅力となっていたように思う。だが、当盤には物足りなさを覚えずにはいられなかった。この8番あるいは7番は、やはり腕力だけではどうにもならないということだろう。スケルツォの主部や終楽章冒頭を聴いていたら「見事なまでに騒音だけのCDに仕上がっている」(阿佐田達造の9番評)や「オケがブカブカドンドンよく鳴っているにすぎない」(浅岡弘和によるショルティ/シカゴ響の全集に対するコメント)を思い出してしまった。またメリハリがなくて砂を噛むようなアダージョは退屈で仕方がなかった。
 なお上述の安田は当盤について「おそらくはハース版とノヴァーク版第2稿の折衷版使用」と書いていたが、www.abruckner.comの8番ディスコグラフィにも "2 passages in Finale taken either from Haas or Nowak 1887" という記載がある。何にしても第3楽章では私がこだわりにこだわってきた例の209〜218小節を落としているのが非常に気に食わんし、その償いなのかは知らないが終楽章にてノヴァーク1稿あるいはハース版から採用したという2箇所にしても本当に必然性を感じてのことだったのかは疑わしい。(スクロヴァチェフスキがノヴァーク2稿を基本としながらも、終楽章の第3主題再現の少し前だけは「この作品の中で最も素晴らしく荘厳な音楽」「音楽の構成面から考えても必要」という理由でハース版から584〜616小節を引っ張ってきた意図は理解できる。確かにあそこはとても印象的だから。)ということで、当初はオケにのみ問題があると考えていたが、もしかすると指揮者の曲に対する思い入れの欠如も当盤が凡演に終わってしまった大きな原因かもしれない。これではクラシック業界が不況に陥らなくともレコーディングは打ち切りの憂き目に遭っていたことだろう。

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