交響曲第8番ハ短調
フランツ・コンヴィチュニー指揮ベルリン放送交響楽団(東)
59/12/18〜21
WEITBLICK SSS0012-2

 2005年12月現在、hmv.co.jpにおける「インターネット税込価格」は9番とともに2519円であり、実際にはそこから1割程度値下げして売られているようだ。が、私は2003年夏のセール時にで両方買った。9番はもちろん、2枚組の8番までもが1000円ちょっとだったのだから結構いい買い物だった。ところで、「犬」をはじめ通販サイトの宣伝文には「1959年12月のスタジオ収録で、表記に反して実際にはモノラルですが」(8番)、「1962年5月22日におけるステレオ・ライヴ」(9番)とあるものの、実際には両方とも(ケース裏には "STEREO RECORDING" とあるものの)モノである。私はネットからその情報を得ていたけれども、何せ安かったので気にしなかった。けれども、私が参考にさせてもらったサイトの作成者が購入した時点では両方とも「ステレオ」と騙って売られていたらしく、そうとは夢にも思っていなかった彼は怒りが収まらなかったようで、「これが『と演』盤だ」というページにて「『擬似ステレオ』なら最初からそう明言しておけ」と大いに毒づいていた。当サイトにて私とは「あまり趣味が合わない」「好みが135度は違う」などと書いていた人であるが、失礼ながら延々と続くレーベル攻撃には思わず笑ってしまった。「詐欺にも等しい」なんて誰かさんが好んで使うフレーズじゃないか。(私も負けてはいられない。)
 ところが、である。詐欺被害ページに「私はもうモノラルの録音を聴く意義を、完全に失なってしまっている」と書いていた彼は、「冷血系大指揮者」ページにてケーゲルのブラームス交響曲第1番(ODCL 1008-2)のモノラル録音を素晴らしいと褒めている。コメントも一転して「私は基本的に、もはやモノラルは聴かない趣味であるが、これだけの音が再現できれば見直してもよいと思えてきた」となっている。こういうところがよく解らない。(だから趣味も合わないのかも。)実は私はそのブラ1も持っている。ネットオークションでWEITBLICKのステレオ盤(ハイドン81番とカップリング)と間違えて落札してしまったもので、聴いてすぐ後悔し叩き割ろうと思ったほどだ。ただし、「再生装置」ページに書いた新装置で聴いたら印象がこれまでとは格段に良くなったので、今後も手元に置くことにした。ところで、渦中のコンヴィチュニーのブル89番も決してそれに引けを取らないクオリティを有していると私は考えている。「音が非常に鮮明で、一瞬ステレオかと聴き間違えるくらいである。奥行感も見事に再現される」も見事に当てはまっている。要は、私は中身さえよければ入手した経緯は大目に見ようという気になってしまうような「お気楽人間」であるのに対し、彼はきっと曲がったことが大嫌いで正義感も非常に強いのであろう。間違っても「宣伝文句にまんまと引っ掛かったのだ。これも勉強代だと思ってあきらめよう。」「こういう優秀なモノラルレコードを聴くと、先に擬似ステレオ問題で話題にした、某ブルックナーシリーズのメーカーが改めて浅はかに見えてくる。」「私は『坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い』タイプなので、(逆に「毒を食らわば、皿まで」というところもある。)もうこれだけでこの『演奏』も正当に評価する気になれない。」といった台詞から偏執狂に違いないと表面だけで判断してはいけない。
 さてディスク評であるが、まさに「豪放磊落」という形容がピッタリ似合いそうな演奏で、マタチッチやヨッフム(84年盤除く)のようなイラチテンポではないから、その点では両指揮者を断然引き離していると思う。といってインテンポに固執しているかといえばそうではなく、第1楽章1分28秒以降のように要所ではいったん力を溜め、思いっ切り発散させる。それが決してやり過ぎではなく節度があるのが偉い。そのケレンを(比較的アッサリ気味の第2楽章を別として)随所で行っているため演奏時間(トータル81分台)以上にスケールが大きいと聞こえる。特に印象的だったのは終楽章再現部。既に楽章出だしの「ズンズンズン・・・・」という歩みに尋常ではない凄味があるが、14分12秒からガラッとテンポが変わって冒頭の主題が再現するところは、あたかも巨大な山が突如眼前に出現したかのようであり、さらにジリジリと迫りくる山に押し潰されるのではないかという恐怖感すら覚えてしまった。(←ちょっと大袈裟か?)ここはコンヴィチュニーの持ち味である重厚さが最も上手く発揮された箇所の1つとして挙げられるだろう。当盤を聴いた後ではクナの各種録音ですら子供のように感じられてしまうかもしれない。もしステレオだったら上位のランキングに波紋を投じていたところだ。

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