ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
PHILIPS 442 040-2

交響曲第0番ニ短調    66/06
交響曲第1番ハ短調    72/05
交響曲第2番ハ短調    69/05
交響曲第3番ニ短調    63/10
交響曲第4番変ホ長調   65/05
交響曲第5番変ロ長調   71/12
交響曲第6番イ長調    70/12
交響曲第7番ホ長調    66/11
交響曲第8番ハ短調    69/09
交響曲第9番ニ短調    65/12

 宇野功芳から「この二日間はまったくの時間の浪費であり、それを考えると腹が立ってたまらない」という最大級の賛辞を贈られた全集である。そこまでの言葉を彼に吐かせたからには相当な名演揃いである可能性が高い。・・・・・と本音では書きたかったところだが、実は私としてもさほど大きな期待をかけることはできなかった。8番81年盤の解説に載っていた旧録のトータルタイム(73分台)および各楽章のトラックタイムからは、いかにもスケールの小さい演奏と予想せざるを得なかったし、HMV通販のユーザーレビュー欄でも「彼がまだオケの統率すら十分できていない60年代の録音は今更いらないのではないか」(いまいち)、「なんで今更旧録音が???その後すばらしい録音を成し遂げているのに……」(だめ!)といったコメントを目にしていたからである。ゆえに贔屓の指揮者&お手頃価格だったにもかかわらず発売後何年もスルーしていた。だが、今年(2008年)に入ってからYahoo!オークションで3000円前後の出品を見つける度にちょっかいを出すようになり、そしてとうとう3550円で落としてしまった。(ここで余談。「0番を含む全集なのに何で9枚組なんだ?」と訝しく思っていた私だが、箱を開けて謎が解けた。0〜2番を2枚に詰め込んでいたのである。そのせいで1番が分断の憂き目に遭っているが、滅多に聴かない曲だからそういう仕打ちも許そうという気になる。)
 で、ありがたいことに結果は全くのスカということはなかった。それどころか、ウィーン・フィルとの新録音のうち数曲は緩んだところが耳に付いて必ずしも満足できなかっただけに、まずまずの名演が手に入ったのは望外の喜びであった。で、以下に3〜9番までの聴後の感想をしたためることにする。手抜きには違いないが、ヴァントのケルン全集や朝比奈のビクター寄せ集め全集と同じく初期の全曲録音なのだからまあいいだろう。というより、今となっては7曲分のレビューを執筆するのは正直億劫である。どうせ大したことは書けないだろうから。

第3番
 基本テンポの設定は妥当、アホな加減速もほとんど皆無(アダージョ中間部のスタスタが私的にはペケ)なので「ブルックナー指揮者の試金石」としては合格点を出せる。当時はまだ珍しかったエーザー版を用いているようだが、それはどうでもいい。全集チクルス第1弾(指揮者34歳時の録音)のためでもあろうが、非常にエネルギッシュな好演である。

第4番
 先の3番同様に勢いを感じさせるのはチクルス第2弾ゆえ? それはともかく、トータル64分足らずの快速演奏は曲が曲だけに私としては物足りない。両端楽章の最初の爆発などブラスやティンパニがおとなしすぎで明らかにパワー不足。特にこれといった欠点は聞き出せないけれど、やはりこういうのを聴くと「没個性的」というレッテルを貼られてしまったのもやむなしという気がする。とはいえ、第1楽章中間部のコラールなどパートバランスが絶妙で美しいことこの上なし。同じ箇所で大見得を切ったヨッフム(この録音の直前まで首席指揮者としてハイティンクを補佐していた)とはまさに対照的だが、音楽の構造を尊重していたのが2人のどちらであるかは言うまでもないし、これは決して好き嫌いの問題では済ませられないと思う。

第5番
 これもトータル72分台で5番としては快速型に分類できる。本チクルスではラス前の録音だが、まだ十分に若々しく(指揮者42歳時だから当然か)聴後の爽快感は文句なし。ここでは控え目のティンパニがプラスに作用しており、明るい音色のブラスと艶のある弦楽合奏が全奏時の聞き物となっている。指揮者が響きとテンポの関係をしっかり理解している証拠だ。

第6番
 もちろん私の聴覚がショルティ盤によって破壊されたためである(責任転嫁)が、「こんなつまらない曲はサッサと終わって次行こう」という指揮者の本心が透けて見えるような演奏と聞こえてしまう。喩えれば敗戦処理として二線級のピッチャーを登板させるようなものか? いくら何でも「捨てゲーム」呼ばわりは怒られるだろうが・・・・生真面目なスタイルで6番に臨むとこうなってしまうという見本。おっと、「サッサと終わって」云々は他ならぬ自分の本音だったか!

第7番
 9番と共に宇野から「最低」の烙印を押されてはいたものの、60分半というトータルタイムからはシャキッと身が引き締まるような演奏を繰り広げていると想像されたため、「なんという軟弱さであろう」「厳しさのまるで無い、生ぬるい音楽」などと扱き下ろし放題の著者に対し「なに言うとんじゃボケ!」と抗議の意志を表明しようと考えていた私だが、ここでは彼の酷評にも理があることを認めない訳にはいかない。9分過ぎの乱れが最たる例だが、アダージョにおける縦線の揃いの甘さはヴァント&BPO盤にも肩を並べるほどの体たらくである。第1楽章のラストも加速につれて金管と弦との間にズレが生じ、随分と雑に聞こえる。また終楽章のコーダ手前(10分30秒頃)から大きくテンポを落とすのは後の録音でも聴かれた解釈だが、当盤ではそれまでが速かっただけに均衡が大きく損なわれている。これは朝比奈75年盤の第1楽章コーダに劣るとも勝らない愚行だ。好き嫌いで片付けてしまってはいけない。自然体で臨みさえすれば成功はある程度約束されたも同然の7番はハイティンクの芸風と合致しているように思われるのだが、この初録音は残念ながら凡演に終わっている。そして78年の再録音、さらには07年のCSO盤でも目覚ましい進歩を聴かせてくれることは結局なかった。

第8番
 箱の裏側およびブックレット3ページには1960年9月の録音と記載されているが、どうやら誤りのようである。(60年はまだACOの常任に就いていない。)私の好みではないものの、これも元気溌剌という形容がピッタリくる演奏ゆえ、どっかの健康ドリンク剤のCM曲に推薦したいくらいだ。(絶対採用されんだろうが・・・・・)決して悪い演奏ではないが、大名演の81年盤を知っている私の耳には聴き劣りするし、「やっぱり8番を1枚に収めようとするのは無理があるなぁ」と思ってしまう。それでも第3楽章に25分を使ってシミジミ演奏を展開しているのは立派、単なるイケイケ型指揮者とは一線を画している、と無理矢理持ち上げておこう。(でも終楽章の荒っぽい締め括りを聴くと落としたくなる。)

第9番
 宇野は「リズムにも流れにも緊張感が欠け、だらしがなく」などと聴いたようだが、ここは彼の聴覚もしくは再生方法(ティントナー盤と同じく音量不足?)に問題があったと断定してしまおう。だらしなさで思い出したが、その点で完全無欠だったテイト盤の解説にて「デリカシー」とか何とか言ってお茶を濁そうとした評論家である。真に受けてはいけない。第1楽章の出だしからビッグバンまで(約3分間)を聴いて、難癖を付けるようなところなどないと私は思った。こぢんまりとはしているものの、楽譜と真摯に向き合い、ヘタな外連に頼っていないのは偉い。再録音が超名演となったのも肯ける。構造を破壊しまくって曲の美しさを台無しにするような野蛮演奏(その典型がシューリヒト&VPOの61年盤)ですら平然と聴けてしまうほど鈍感な人間には良さが理解できなかったのかもしれないが。とはいえ、さすがに81年盤と比べたら不利は否めない。何といっても第1楽章のコーダ。既にこの65年録音でエキストラのティンパニを採用しているとは意外だったが、せっかくの「ダダーン」も弾力性に欠けるためイマイチ明瞭ではなく、効果は限定的となっている。(81年盤ページで触れた平林直哉のコメントも当盤については当たっている。)同じ理由で壮絶感がまるで出ていないスケルツォは圧倒的に負けている。やはり9番にはある程度の暴力性も必要だ。指揮者の誠実さが伝わってくるようなアダージョが最も出来が良い。

特記事項
 最後に録音の素晴らしさに触れない訳にはいかない。残響過多で混濁気味だった7〜9番の再録音よりも断然上である。これは全曲について当てはまることだが、音質の鮮明さは最新デジタル録音にも全く引けを取っていない。そうしてみると、この数十年間に録音技術はどれだけ進歩したのだろうかと首を傾げたくもなる。

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