交響曲第8番ハ短調
ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団
93/12/05〜07
BMG (RCA) BVCC-1921〜22

 8番目次ページの「ブルックナー・ザ・ベスト」への投稿にあるように、ベルリン・フィルとの9番と同時にこのディスクを買ったおかげでヴァントとの縁が切れずに済んだ。(良かったのか悪かったのか? 切れていたらこんなにもブルックナーのディスクを集めることはなかっただろう。)
 NHK-FM日曜夜の「クラシック・リクエスト」で、司会の鈴木大介がたしか「弦と管(もしかしたら金管)のバランスが非常に良く一番好きな演奏」などと言ってかけたのがこのコンビによる(リューベック盤でなく)このディスクだと思う。放送を聴いて強く印象に残った箇所は第1楽章終わりの悲劇的なクライマックスでトランペットが襲いかかるように繰り返し鳴るところであるが、このディスクの14分50秒以降でも同じように聞こえるのでたぶん間違いないと思う。この演奏も鋭さが際立っているが、前年の7番や同年の9番のような「懐石料理」(精進料理)という感じはしない。曲のスケールが大きいせいもあるだろうが、ヴァント自身も一回り大きくなった感じだ。9番の録音からわずか9ヶ月しか経っていないはずだが・・・・・(ブルックナー総合サイトのオーナーも同じことを書いていた。)買い換えで手放してしまったが、モーツァルト40番&チャイコフスキー5番(94年3月6〜8日)のディスク(BVCC-702)の解説にて「まさに神のような進歩の跡」と宇野が書いていたと記憶している。私もこの頃からヴァントの演奏は神懸かってきたように思う。
 徹底的に締め付けられたオーケストラはそれこそ正確無比な演奏をするが、同時に「窮屈」とか「もう一つ面白味に欠ける」といった印象を受けてしまうのも事実であった、みたいなことは既に言い尽くされているので、違う喩えを考えてみた。弦はキンキンに張るよりもほんのわずか緩めるといい音で鳴るという。手綱を少し緩めてもらった競走馬がノビノビと走るような、でもいいかもしれない。要は丁度いい塩梅にヴァントが緩んだ、と言ったら怒られるので「アソビが出た」としておこう。それが良い結果をもたらしたのである。若い頃から細かいところも疎かにせずキッチリやっていたヴァントだからこそ、こういう「神懸かり方」が可能になったのだと思う。

追記:最近(2004年4月上旬)例の掲示板のヴァントのスレッドで非常に興味深い議論を目にした。

> ヨッフムのようにもともとある種の「味わい深さ」を売りにしてた
> 指揮者なら、晩年になればなるほど神々しくなっていくのも分かる。
> ヴァントのようにスパルタンにオケを締め上げることで自分の主張を打ち出
> すタイプは、老化によって自分の体が思うようにならなくなったら、オケも
> 思うようにならなくなる(と当人の感覚では感じる)のではないだろうか。

> 私は彼のことを「スパルタンにオケを締め上げることで自分の
> 主張を打ち出すタイプ」だけの指揮者だとは考えていないので、
> 壮年期よりも晩年の演奏を取りたいと思うのです。

既に書いたように私の考え方は後者のそれに近い。むしろ若い頃に大雑把にやっていた指揮者が「円熟」「老成」するという方が納得しがたい。また後者も「最晩年はそうだったかもしれないが」と前者に同調する気配であった。確かに最晩年は弦もノビノビ(ユルユル)になってしまった感がなくもないが、そういう演奏にはまた違った良さがある。それについては「ラスト・レコーディング」のページに書く、かもしれない。

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