交響曲第8番ハ短調
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
57/05/23〜25
EMI CMS 7 63469 2

 チェリ&ミュンヘン・フィルによる4番映像のページに書いているが、NHKによって収録されたカラヤン&BPOコンビによる来日公演におけるベートーヴェン第5交響曲の演奏を私は「隠れ1位」「裏の1位」としている。(フルトヴェングラー、ヴァント、クレンペラー、ブリュッヘンなどは、それぞれに優れた点があるため、「表の1位」は決めかねているが、2004年5月に購入したケーゲル&ドレスデン・フィルの来日公演ライヴが現時点では最もそれに近いかもしれない。)NHK教育の「思い出のシンフォニー」では、第1楽章提示部の反復部のみ、どういう訳かフィルムのモノラル音声を使用していたが、ラジオ放送用にステレオ録音された完全長(←DNAか?)の音源は残っていなかったのだろうか? (あるなら是非ともCD化して欲しいところだ。絶対に「表の1位にする、とこちらも予告。→2006年6月追記:残念ながらステレオ録音の一部は失われていたようだ。NHKエンタープライズにより映像素材と音声を継ぎ接ぎしたDVDが今月発売される見通しだが、値段も値段なので見送る。)
 さて、私が所有するカラヤンのブルックナーのディスク中で、その演奏会 (1957年11月3日)に最も近い時期に録音されたのが当盤である。そのためか、あの番組で聴けるベルリン・フィルの音とも最も近い。例の「カラヤン・サウンド」とは似ても似つかない。ブラインドで聴いたらカラヤン&BPOの演奏だとは絶対に判らないだろう。「ブルックナーの交響曲」には金子&朝比奈対談が載っているが、その中でベルリン・フィルに対するこんなやり取りがあった。

 金子「変にカラヤンがインターナショナル化してしまいましたからね。」
 朝比奈「もう立ち直らないでしょう。」(以下略)

「立ち直らない」とは何とも不遜な意見であるようにも思うが、それは措くとしても、「カラヤンがインターナショナル化した」は不当な見解ではないだろうか。私にとっては、50年代後半のBPOの音こそがフルトヴェングラーから引き継がれてきた「インターナショナルな音」に聞こえるのだ。(9番66年盤、あるいはヨッフムの789番にも同じことが言える。)それが指揮者の嗜好に合わせて、次第にマニアックとでも言うべき個性的な音質に変わっていったと私は考えている。(もっとも、個性的ではあっても決してローカルではない。)職場の同僚が部屋で流していた8番マゼール盤(89年6月録音)を聴いたらBPOだとすぐ判ったが、90年代のバレンボイム、ヴァント、アーノンクール等のディスクからは、あの「カラヤン・サウンド」から聞こえた強烈な個性は影を潜め、再び「インターナショナル化」してしまったように感じる。(良し悪しとは関係ないが・・・・)
 当盤の特徴としては、何といっても終楽章の堂々とした歩みが挙げられる。終楽章の演奏時間が26分以上というのは、(チェリは別格だが)他にヴァントなど数例が認められるだけであり、かなり遅いテンポであるといえる。しかも、ヴァントは最晩年になってようやく26分台に乗せたのに対し、カラヤンの場合は40歳代初めに録音した当盤のみが遅く、以後は約24分なのだから全く訳が解らない。3楽章(27分31秒)と4楽章(26分17秒)のトラックタイム差がわずか1分14秒というのもかなり異例であるが、それゆえ後者が実際よりも遅く感じられる。またスケルツォ主部のテンポも遅い。(カラヤンはトリオをさほど遅くいないため、唯一15分台の75年盤でも主部自体は遅く感じられる。最晩年の88年盤はギーレン盤と並んでノロい。スローテンポといえば真っ先にチェリを挙げなければならないが、なぜかこの楽章だけは「まとも」である。)なお、「ブルックナーの交響曲」によれば、エンディングの「ミレド」をティンパニ2台で叩いているらしく、それはクナッパーツブッシュ同様に改訂版採用ということだが、クナのように「ミーレードー」と引っ張らないので、ジックリ聴かないと分からない。(私はクナ盤の悪趣味な終わり方が結構好きである。)
 以上、重箱の隅ばっかり突っついたが、とにかくこの演奏は堂々としている。75年盤では猪突猛進型とでも言うべきか、勢いに任せて走り出したりするところも少なくないのだが、当盤ではテンポを著しく変化させたりすることはあまりなく、あってもティンパニの最強打やブラスのけばけばしい咆哮がない分、抑制気味(指揮者は欲求不満?)という印象を受ける。フルトヴェングラー常任時代からの古株奏者に気兼ねして、自分のやりたいことを我慢していたのだろうか? ということで、カラヤンらしさはあまり感じられないけれども、正統的で非常に完成度の高い名演であるため、私は3種の8番録音中で最も高く評価している。
 70〜71年に録音された4&7番のEMI盤と同じくイエス・キリスト教会での録音だが、「O崎サウンド」のようにマスタリングによって台無しにされていないのはありがたい。なお、ミシェル・グロッツ(←後にDGに移籍しカラヤン最後の録音となったVPOとの7番のディレクターを担当)が既にスタッフに名を連ねていることが目を引く。あの「カラヤン・サウンド」は直接的にはグロッツとギュンター・ヘルマンス(エンジニア)の共同作業によって作り上げられたにせよ、それがカラヤンの望んだものであることは間違いない。

おまけ
 またしてもこんなことをKさんに書いていたのを思い出した(98/12/18)。

> アンチ・カラヤン派は初期の彼のみを評価し(それも必要以上に褒め
> ちぎる、後で貶しやすいように)、それ以降は「堕落した」として
> 斥けてしまい、「変化」を決して認めようとはしませんでした。

 これを書いている時にはCDジャーナル誌に「音楽は嫌い、歌は好き」という連載記事を執筆していた某評論家のことが頭にあった。彼はその50年代のカラヤンによるウィンナ・ワルツを非常に高く評価しておいてから、「その後のカラヤンに何が起こって、あのようにダメになってしまったのか」というようにエッセイを締め括っていたのである。T木M之がこの演奏をどう評価しているのか気になるところである。

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