交響曲第8番ハ短調
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
49/03/15
Archipel ARPCD 0004

 当盤については既に目次ページでかなり長々と述べてしまったので、改めて書くべきことが思い付かない。弱ったな。とにかく、入手してまず驚いたのがジャケット写真のオトロシさである。フルヴェンの写真は怖いものが大多数なのだが、その中でも群を抜いている。少し縦に引き延ばしているのだろうか? 一目にはちょっと人間(地球人)の顔には見えない。今にも懐から拳銃を取り出そうとする殺人者のような恐ろしい形相なので、当盤を入手してから三日三晩は撃ち殺される夢を見てうなされた(嘘)。
 さて、当盤は正真正銘の「やりたい放題」で、冒頭の数十秒を聞いただけで「嫌い」と思ってしまうのだが、ここまで徹底していたら「もう好きにして」と却って清々しい気持ちになる。一線を越えてしまっているのである。蚊に一度に何百匹と襲われたら痒みを感じなくなるのと似ているかもしれない。(某パ国在住時は無防備だったが、来年出張予定のナミビアではマラリア罹患の危険があるので対策は用意するつもりである。)当盤を聴いた後では、他の似たようなスタイルの演奏(例えばマタチッチ&N響の2種など)を「中途半端」と思ってしまう可能性が高い。モノラル録音でフォルティッシモになるとドロドロ状態になってしまう(ただし音は割れたりせず、目次ページで述べたように音質は良好)この曲では明らかにプラスになっている。比類なき迫力を感じさせるからだ。ティンパニの出てこないアダージョこそテンポ揺さぶりの連発に聞く気が失せるが・・・・
 よくわからないのが使用版である。第3楽章の最重要箇所(209〜218小節)がカットされているので、てっきりノヴァーク版かと思っていたが、終楽章ではハース版にしかないフレーズが私に判るだけでも2箇所あった。(6分24〜51秒および16分13〜40秒で、後者はスクロヴァチェフスキによると 「この作品の中で最も素晴らしく荘厳な音楽」で「音楽の構成面から考えても必要な箇所」とのことである。)一方で、終盤にはシンバルが1発入る(14分12秒)。こういう一貫性のなさを見ると、4番ページで引いた「ハースの古典主義的な造形観の正当性はきちんと評価していた」という金子建志のコメントも怪しくなってくる。(一貫性の欠如という点では、最晩年の54年VPO盤では演奏スタイルだけでなく使用版までもが変わってしまっていることも挙げられる。そちらの終楽章では、上記の「最も素晴らしく荘厳な音楽」が出てこないなど、ノヴァーク版・改訂版のお粗末なカットを採用している。)指揮者としては決して行き当たりバッタリではなく、頭の中ではちゃんと筋が通っていたのかもしれないが・・・・私には解らない。
 何にせよ、元気が出るブル8という点で当盤はピカイチである。終楽章のコーダがハ長調に変わってからは、おそらく空爆があったとしても止まらなかったに違いない、と思わせるような勢いで突っ走る。いや、彼自身が爆撃によって建物を徹底的に破壊し尽くそうと夢中になっているかのようである。(当盤が戦後の演奏であることは承知しているのだが、やはりあの凄まじい響きからは5番42年盤やベートーヴェン等の戦時中のライブ録音と同じく、どうしても「戦争」「爆撃」を連想してしまうのである。)これは明らかにベートーヴェンの「第九」と同じ手法を採ったと思われる。実際、ラストだけを聴いても、全体の雰囲気としても「第九」の42年BPO盤に近い。これに対して、VPO54年盤の終楽章も猛烈な勢いでエンディングになだれ込むが、当盤のような怒り狂ったところはない。何となくであるが「ルツェルンの第九」(1954年フィルハーモニア盤)と似ているという気がする。

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