セルジュ・チェリビダッケ

交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
 シュトゥットガルト放送交響楽団
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(87)
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(91)

交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
 スウェーデン放送交響楽団
 シュトゥットガルト放送交響楽団
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1983年?の映像)
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

交響曲第5番変ロ長調
 シュトゥットガルト放送交響楽団
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(85)
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(86)
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(93)

交響曲第6番イ長調
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

交響曲第7番ホ長調
 シュトゥットガルト放送交響楽団
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(85)
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(89)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(94)

交響曲第8番ハ短調
 シュトゥットガルト放送交響楽団
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(85)
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(93)
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(94)

交響曲第9番ニ短調
 シュトゥットガルト放送交響楽団
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(81)
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(86)
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(91)
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(95)

 最初に訂正であるが、8番の目次ページに書いた(「ブルックナー・ザ・ベスト」に投稿した)チェリビダッケのディスクの入手順について大きな記憶違いをしていた。(オークションの私への評価を見直してみてそれが判った。)正しくは8番正規盤→5番AUDIOR盤→3番SDR盤→4番METEOR盤&7番AUDIOR盤&「リスボン・ライヴ」(3種同時)である。
 それにしても、さすがは海賊盤の帝王というべきか。私が購入した上記ディスク25種のうち、正規盤はわずか7種類で残りが非合法の海賊盤である。(正規盤のうち1種類は同一音源の海賊盤を購入後に人に譲った。)この高比率は他の指揮者では考えられない。
 ところで、当サイトのあちこちで取り上げている掲示板では、誰かが海賊盤の演奏を褒めると必ずといっていいほど「海賊盤をありがたがっている痛い香具師(奴)」とか「海賊盤は音が悪い」などと噛み付く人間がいる。それに対して「正規盤業者の社員も大変ですねえ」といった「煽り」があると泥沼化する。
 海賊盤を褒めている人間は、何も「全ての海賊盤は正規盤に勝る」などと言っているわけではない。「海賊盤の平均値は正規盤の平均値よりも上である」と主張している訳でもない。「ある海賊盤がある正規盤より優れている」という十分にあり得ることを書いているに過ぎない。(それを否定しようとすれば「全ての海賊盤は正規盤より劣る」ことを証明しなければならない。やれるもんならやってみてくれ。)また、海賊盤を購入する人間は最初から音の悪さはある程度覚悟している。上に挙げたディスクの中にもヒスノイズがかなり耳に障るものもある。そんな悪条件下でも(何かが伝わってきて)感動できたからこそ「良かった」という感想を書いている相手に、「音が悪い」と反論して何になろう? このような論理無視あるいは的外れの指摘しかできない人間が正規盤業者の内部にいるということはさすがに考えにくい。(もし本当にいるとしたら、そのようなボンクラ社員を雇っている業者の将来は明るいとはいえない。 )
 私の海賊盤に対する印象は月並みだが「玉石混合」である。「玉」の中にはAUDIORの5番(AUDSE-523/4)と8番(AUD-7001/2、いわゆる「リスボン・ライヴ」)のように演奏、録音とも非常に優れたものがある。これら2点に匹敵するような正規盤を私は持っていない。 少なくとも録音に関しては。もちろん平均値を取れば間違いなく「正規盤>海賊盤」だとは思うが、一部の「音が死んでいる」正規盤にはノイズ除去と補正等のやりすぎではないかという不信感を抱いてしまうのも事実である。 (同一演奏の聴き比べは1組しかできていないが、そのケースでは僅かながら「海賊盤>正規盤」だった。)いずれにせよ、優れた演奏が正規盤で出ていない場合、海賊盤を入手する以外どうしろというのだ? また、私が入手した海賊盤のほとんどは諸経費(送料、ネットオークションの場合は振込手数料が加わる)を入れても正規盤より安かった。 チェリビダッケの息子(何で「チェリビダッ『キ』」なんだ? 複数形か?)には 「本気で海賊盤を駆逐する気があるなら、音の死んだ正規盤のリリースではなく、海賊盤で出ている優れた音源を買い取って半額程度で売ってみたらどうだ」と言いたい。


チェリに至る道

 この指揮者については、CDジャーナル誌の連載執筆者の1人であった故三谷礼二が贔屓にしていたこともあって、最初は胡散臭い印象しか持っていなかった。(彼の「カラヤン俗物扱い」は鼻について仕方がなかった。三谷といい玉木といい、同誌はなにゆえにアンチ・カラヤン派を好んで起用していたのだろうか?)したがって、彼のブルックナーをこんなに買い込むようになるまでの道のりは決して平坦なものではなかったと言ってよい。 以降はKさんへのメールを再掲しつつ回想する。

 Kさんへのメールにチェリが初登場したのは98年11月のことであるが、やはりあまり好意的には書いていない。

>  最後に今の指揮界の状況ですが、以前いた大学では図書館に置いていた「音
> 楽の友」を毎月読んでいたのですが、こちらには置いていないので、現在で
> はCDジャーナルが唯一の情報源です。(FMがまともに入らないのでFM-fun
> も購読を止めました。)したがって、最近の動向ははっきり言ってそれほど
> 詳しくは知りません。日本人では広上惇一、大野和士、北原幸男、そして佐
> 渡裕など、海外に本拠を置く若手に実力者が揃っているようですし、外国人
> にも各世代(若手、中堅、ベテラン、それに巨匠クラス)に満遍なく優れた
> 人材が存在していると思っています。ですから、クラシック・リクエスト担
> 当の清水和音氏の「評論家諸先生方の巨匠崇拝主義はいい加減にして欲し
> い」という意見に大賛成です。現代の演奏家は過去の名演奏家が到達した地
> 点からスタートしているのだから、(体操競技などのように)現代の演奏が
> 技術的に優れているのは当然である。これは演奏家だからこそ言える意見な
> のでしょうが、実に卓見だと思います。清水氏が述べたのはピアニストをは
> じめとする器楽演奏家であって、指揮者には完全には当てはまらないとも
> 言っていましたが、オーケストラの演奏技術は言うに及ばず指揮法も進歩し
> ているでしょうから、僕は管弦楽曲についても基本的には当たっていると思
> います。最近の指揮者は皆つまらない、フルトヴェングラーやトスカニーニ
> の時代は良かったと口癖のように言う人は懐古趣味に陥っているとしか思え
> ないのです。あと気になるのが、技術的に完璧であることイコール深みや人
> 間味、あるいは暖かさに欠けるというように強引に結びつけて批判する人で
> す。深みなどというものは年齢を重ねていって初めて身に付くものです。と
> ころが、現在壮年期にある指揮者と晩年の巨匠の演奏を同じ土俵に乗せると
> いう実にお笑いぐさとしか言いようのないことを大真面目にやっている人す
> らいます。あと、奇人指揮者のクナッパーツブッシュやチェリビダッケなど
> の崇拝者、彼らの演奏なら無条件で褒めるような人間も胡散臭く思っていま
> す。(そういう人が対象として誹謗するのは、ご存知のように必ずと言って
> いいほどカラヤンです。)確かに彼らにも感動的な演奏があるだろうとは想
> 像しますが、全面的に褒めるのはおかしいと思います。代打に10回立って
> 9回は凡退するが1回は大ホームランをかっ飛ばす選手を、イチローよりも
> 優れたバッターだと褒めるようなもんです。僕はクナやチェリの演奏はほと
> んど知らんので本来コメントできる立場にはないのですが、同じように崇拝
> される奇人指揮者クレンペラーの演奏を聴く限り、確かにツボにはまったと
> きの大ホームランは常人には真似できないものですが、あっさりと空振り三
> 振する事も少なくないと思われます。こういう指揮者の演奏はやはり完成度
> が低いことは疑えないと思います。そして、その不完全さが人を感動させる
> ことは僕も認めますが、不完全であれば何でも良いというものではなく、成
> 功するケースはごく限られると考えたほうが理に適っています。不完全な演
> 奏を崇拝する人は、まるで粗悪な強い酒を飲んで感覚が麻痺してしまい、高
> 級ワインを口にして「こんな水みたいなもん飲めるか!」と喚いている酔っ
> ぱらいみたいに思えます。(ちなみに、SPやLPを聴いてCDよりも断然い
> いと言う人も、実はこれと同類なのではと僕は考えています。)(98/11/26)

 いやはや、すごい暴言である。まったく無知とは怖いものだ。(そして無知なる者は恐いもの知らずだ。)演奏家について述べた部分は全面撤回する。けれども評論家については必ずしもその限りではない。なお、野球の喩えでイチローと代打屋を対比させた時には「ナニワの春団治」こと川藤幸三のことが頭にあった。私は別にタイガースのファンというわけではないが、このオッサンは好きである。現役時代も今のハチャメチャな解説も。
 その後も懐疑的な態度は変わらない。チェリのシュトゥットガルト放送響とのブラ全が発売されたが、買うべきか見送るべきか迷っていた当時の心境が綴られている。

>  CDジャーナル1月号に、チェリビダッケ&シュツットガルト放送響のブ
> ラームスの交響曲全集のことが載っていました。(チェリのブラームスでは、
> ミラノ放送管との海賊版=1959年モノラル録音を持っていますが、こちらは
> かなり速い演奏です。何カ所か肩すかしを喰らわされたり卒倒しそうになり
> そうな部分があり、極めつけのトンデモ盤です。)今回発売されるものは晩
> 年のミュンヘン・フィル盤ほど遅くないようですが、新譜紹介コーナーでは
> 2人の評論家が「聴かないと人生の半分を損する」、「新たにコレクション
> に加える価値は絶対にある」と書いており、とても気になります。さらに、
> 既に非常に高い評価を受けているヴァント&北ドイツ放送響の最新録音も、
> 間もなく全集として安く売られるようですが・・・すでにブラームスの1番
> は9種類所有しており、これ以上増やしていいものか?本棚を改造した7段
> のCDラックも既に満杯ですし・・・・という訳で購入すべきか悩んでいま
> す。レコ芸にも当然批評が出るでしょうから、どういう評価がされているか、
> 執筆者の名前と共に教えて下さい。(多分どちらも特選盤に推されるでしょ
> うが・・・・特に、宇野氏の担当だったら間違いなく絶賛すると予想します。)
>
>             (中略)
>
>  さて、晩年なって異常に遅いテンポを採用した指揮者ということになると、
> 冒頭にも挙げたチェリビダッケが大変な人気ですが、例えば「カラヤンはチ
> ンドン屋だ」と発言したりするなど(それにしてもドイツ語では一体何と言っ
> たのだろう?)カラヤンへのあからさまな反感や対抗意識を示したことに端
> 的に示されているように、彼は自己の完成に集中するタイプではなかったと
> 僕は思っています。(彼がここまで日本の一部の評論家やファンから熱狂的
> に支持されているのは、このアンチ・カラヤン的態度が一因であることはや
> はり疑えません。)またVPOやBPOなどへの客演を拒み続けたという態度
> にも、ジュリーニの「自然体」という姿勢とは全く対照的な不自然さが感じ
> られます。
>  という訳で、チェリビダッケ&シュツットガルト放送響のブラームス全集
> がいくら特選盤になっていても、「ハイ、それでは買いましょう」という訳に
> はいかないのです。繰り返しますと、僕の好きなジュリーニと正反対のタイプ
> と思われるだけに。シュツットガルト時代の彼がそこまで偏屈でなかったとい
> うのなら、話は別ですが・・・・かといって、(クライバーの例を見てもわか
> るように)偏向した指揮者は駄目で人格円満な指揮者が良い演奏をするといっ
> た単純な関係が成り立たないところが難しくもあり面白くもある(渡辺和彦風?)
> 世界ですし・・・・(98/12/25)

結局(当時はまっていた)1番の評価がもう一つであったために見送ることになるのだが、その代わりに海賊盤(AUDIOR)の中古を買った。その時には「シェエラザード」(AUDIOR盤、オケはどっちだったか憶えてない)も置いてあったのに見送ってしまったことが今でも惜しまれる。

>  この前チャットでお話ししたように、チェリのブラームス1番を買いまし
> た。名古屋に出張した際に立ち寄った中古屋で見つけたのです。ただし、最
> 近グラモフォンから出た物ではなく、米国製の輸入盤&海賊版で解説、録音
> データなど一切なし。シュツットガルト放送響盤とミュンヘン・フィル盤の
> 2種類があったので両方とも買ってきました(どちらも1000円也)。デジ
> タル録音の無かった時代なのにシュツットガルト盤がDDDと書かれている
> など、結構怪しい。しかし、演奏は凄かった。
>  とにかく、この2枚はとても同じ指揮者の手になるものとは思えないほど
> 大きく異なる演奏です。シュツットガルト盤の第1楽章はとにかく速い。今
> まで持っている中で最短時間(13:12)でした。チェリの唸り声が数え切
> れないくらい入っていましたが、それがちっとも煩わしくない。(観客の咳
> が終楽章冒頭の静かなところで連発されたのが唯一、ライブ録音としての傷
> か。)また、フル・オーケストラでも楽器群がハッキリ聞き分けられるのは
> 感心しました。(カラヤン&BPO盤の全てが混じり合って聞こえる濃厚でパ
> ワフルな響きも好きですが・・・・)一方ミュンヘン・フィル盤は演奏ノイ
> ズがほとんど無く、唸り声が全然無いのが逆に寂しいくらいでした(テープ
> ヒスは多いが)。とにかく遅い!第1楽章は反復なしで14:58、ジュリー
> ニ&VPO盤に続く遅さ。第4楽章は何と21:05でこれまでの最遅記録を
> 更新です(ただし最後の50秒は拍手でしたが)。19分を越えたのはジュ
> リーニとバルビローリのVPO盤ですが、これらは緩んでいる、特に後者は
> 遅いだけでシマリの無い演奏と感じさせたのに対して、チェリの演奏にはそ
> ういうところが全くなく、メリハリが非常に利いていました。「祈り」を感
> じさせるような境地の深さは、僕がこれまでもっとも好きだったジュリーニ
> &ロス・フィル盤に匹敵すると思いました。とにかく、完全燃焼のシュツッ
> トガルト盤と味わい深いミュンヘン盤という愛聴盤が一挙に2枚も増えたの
> はラッキーでした。(ただし、吉村溪氏がシュツットガルト盤についてCDJ
> に書いた評論「聴かなきゃ人生の半分は損すること間違いなし」はいくら何
> でも大げさだ。こういうハッタリをかますような評論家は今後信用すまい。)
>  この連休の間、他の指揮者&オケによる同曲のCDを聴いたのです。そう
> すると、どういう訳かほとんどの演奏が生ぬるい、精度が低いように感じて
> しまったのです。特にVPOの演奏はベームを筆頭としてみんなダメでした。
> (やはり演奏力の低下か?)チェリの完成度に比肩しうると思えたのは、ジュ
> リーニ&ロス・フィル盤とカラヤン&BPO盤だけでした。前者は先にも書い
> たようにミュンヘン・フィル盤と深い境地という点で似ていることに既に気
> 付いていましたが、カラヤン盤には(もちろん細かい部分での違いはいくら
> でも指摘できるにせよ)曲に対する基本的な解釈や金管の鳴らし方ではシュ
> ツットガルト盤との類似点が非常に多いことを発見しました。カラヤンに対
> するアンチ・テーゼとしてチェリを持ち上げている評論家諸氏はこの点につ
> いてどう思っているのか、意見を聞いてみたいところです。もっとも、最初
> から最後まで全力投球のカラヤンに対して、チェリは力を抜くところでは思
> いっきり抜くという点で相当に違いますが・・・(特に最後にデクレッシェ
> ンドして静かに終わるのには完全に脱帽)(99/03/29)

 読み返すと赤面せざるを得ないような思い違いがかなりあるが、ここは「若気の至り」のせいにしてしまおう。何はともあれ、どうやらこの辺から肯定的な見方をするようになってきたらしい。(なお、チェリとカラヤンの類似点および相違点についてはどこかで必ず触れる、というより骨子は既にできあがっている。)以下の文は許光俊の「クラシックを聴け!」読後に書いたものである。やはりあの本が決定的な役割を果たしたことは間違いない。

>  さて、マーラーの2番「復活」とか9番などは、やたらと「名演」が生ま
> れているように思います。長くてオケの編成も大きいだけでなく、効果を十
> 分に考えて作曲されているし、指揮者の主観を盛り込みやすい。そのため、
> バーンスタインとか小澤、あるいはコバケンのような熱血型指揮者による情
> 緒タップリの演奏を延々と聴かされているうちに、指揮者の熱狂が聴衆にも
> 伝染してしまうのではないかと思います。僕は<正しい演奏>について考え
> るようになって以来、もしかしたらそういうのは<間違った演奏>に酔って
> いる状態ではないかという疑問を抱くようになっています。そういう演奏を
> 収録したCDでは、先に書いた「随伴現象」だけでなく、会場の雰囲気、演
> 奏家や他の聴衆との一体感といった音楽以外の要素が欠落しているために、
> いくら「熱狂のライブ」と銘打たれていても、演奏そのものが<間違ってい
> る>ために不満を感じてしまうのだと思うのです。
>  もっとも、圧倒的「名演」が全て<間違った演奏>とは思っていません。
> マーラーの交響曲は、果たしてどれが<正しい>のかを決めるのが難しいと
> いうよりも、むしろ複数の<正しい演奏>の存在を許容する音楽ではないか
> と考えています。ただ、情緒型演奏よりもインバルやベルティーニなどの理
> 知的演奏の方が、曲の持つ美しさが素直に表現されているなどとして玄人筋
> にはウケが良いようですし、CDで聴くならそちらを選んだ方がハズレを引
> く危険は少ないかもしれません。
>  一方、マーラーと同じく長くて大編成というブルックナーの交響曲ですが、
> こちらの方は<正しい演奏>は一点に収束するように思います。そのため<
> 間違った演奏>では感動がそもそも成立しにくい。したがって、「名演」な
> らばCDでもある程度は感動が味わえるのではないかという気がします。
> チェリの驚異的な遅速ブルックナーを中古で見つけたら買おうと狙っていま
> す。(00/02/14)

 補足しておくと<正しい演奏><間違った演奏>は「クラシックを聴け!」に出てきた言い回し、「随伴現象」は正規盤発売に際してのチェリの息子(ヨアン)の挨拶文で使われていた用語である。「遅速」は誤用で意味不明になってしまっている。「低速」と読み替えていただきたい。
 さて、「クラシックを聴け!」に触発されてヴァントのディスクをいろいろと聴くうちにいつしか聴き比べの面白さに目覚め、やがてブルックナーをいろいろな指揮者で聴いてみようという気になった。特にチェリビダッケ&ミュンヘンの8番(EMI正規盤)は、あの本で詳しく解説されていた演奏だけに当然のことながら真っ先にリストアップされた。(作成したリストを持って15%引きで買える職場の生協に注文に行った。40種類ものディスクが並んだリストを見てショップのおばはん、いやお姉さんは呆れていた。)

 この続きは私がチェリのブルックナーとして最初に買った上記8番(93年盤)のページで読まれたし。ただし、もうそんなに長くはない。

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